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新聞販売店の未来(過去から学ぶ) 中編

新聞販売店の未来を考えるために、新聞販売店の過去から学ぶというテーマで今回は中編とする。
前回が1960年代であったが、今回は少し駆け足ではあるが1970年代後半〜2000年代にかけてである。

私が生まれたのが1981年なので、まさしく私が生まれる少し前から大学生までの間である。

今回1970年後半から2000年までの業界紙を一気読みした。
(流石に丸2日ほどかかって、目がチカチカしている)
前回の新聞販売評論さんが1970年代には廃刊?されているようだったので、現在も発行されている新聞情報さんを読み込んだ。

改めて業界紙を読み込んだ感想としては、こうやって紙になって残ることの重要性を感じたということ。
また、普段何気なく読んでいる業界紙が、自分の居なかった業界の時間を、追体験出来る場として非常に貴重だと感じた点である。
業界紙って必要あるのかな・・・と思っていたのですが、必要です!
新聞情報さん、侮っていました、すいません!
引き続き購読させていただきます!

激動の20年


さて、本題に入ろう。
今回は1970年代後半から2000年代ということで日本は大変革時代である。
1974年 オイルショック 年率20%以上の激しい物価上昇が襲う。
1983年 ファミコン発売
1989年 消費税導入
1990年 湾岸戦争
1995年 阪神淡路大震災 ・ Windows95発売
1999年 docomo iモードサービス開始
2001年 アメリカ同時多発テロ ・ ヤフーBB(ADSL)開始
2007年 iPhone発売
2008年 リーマンショック
様々なイベントや商品・サービスの販売が相次ぎ、世の中は大きく変わった時期でもある。
特にインパクトがあったのはiPhoneを始めとするスマホの販売開始だろう。

新聞業界も、折込広告の激増や人手不足、価格改定・・・など、様々な諸問題が起こっている。
まさしく激動の時代と言えるだろう。
しかし、この時期は新聞販売にとって人口増加、部数増加、折込広告増加の追い風もあったのは事実だ。
まさしくこの時代は新聞販売の最盛期とも言えるだろう。

激動の20年は新聞販売にとってどんな時代だったのか


さて、ではその20年は新聞販売にとってどんな時代だったのだろうか?

昭和44年(1969年)の新聞情報には、
「販売店と直結した新時代を 大衆の中に生きる折り込み広告」
「広告代理業へ体質改善 ローカル性をいかそう」

などを記事が見られる。
本格的に折込広告が普及してきたのが1970年代であろう。
まず、折込広告の普及が挙げられる。

昭和51年(1976年)の新聞情報には、
「テレビが新聞抜く トップの座、入れかわる」という見出しがある。
テレビがどんどん拡大していく時代である。
新聞に対する広告出稿量は前年対比で3%の減少。
新聞の広告がテレビに取られていく現象が見られる。
新聞がメディアのトップの座をあけ渡したのがこの時期である。
よって、新聞の媒体価値の相対的低下も挙げられるだろう。

昭和55年(1980年)の新聞情報には、
「従業員数は4年連続減少 構成比で中高年齢化傾向進む」とある。
5年前対比(昭和55年VS昭和50年)で6.8%の減少とのことである。
昭和40年代の高度経済成長に伴う経済拡大により、人員の争奪戦が激しいことも要因である。
また、高齢化と書かれているが、50代の従業員の割合が増えているという結果のようである。
現在と比較して平均寿命は男性で10歳低いので、今に直せば60代の従業員の割合が高くなっているという感じであろうか。
これらの内容から労務難と高齢化も挙げられるだろう。

平成2年(1990年)はどうだろうか。
「89年首都圏折込調査 トップは町田の月480枚 伸び率は千葉市25%増」という見出しが踊る。
千葉市は1988年から折込の伸び率が年率で15%増である。折込バブルきたーという感じか。
折込広告の拡大期である。

また、1990年は自動振替の拡大期でもある。
朝日新聞は1990年1月から、読売新聞は1990年3月から自動振替サービスを開始している。
スタッフ不足もある中で、労務効率化の開始時期でもある。

さて、さらに10年進んで平成12年(2000年)
平成12年の新聞情報には、
「夢を描けぬ中小規模店 経営好転の兆しも現行手数料では苦しい」という見出しが見られる。
しかし一方で、
「99年の首都圏折込出稿数 過去最高枚数を記録 1世帯1ヶ月平均561枚に」という景気の良い見出しも見られる。
無読者の増加に関する記事も見られ、購読者数の減少の局面と折込最高の局面との分水嶺と言える時期かもしれない。
また、首都圏と地方との折込格差も拡大していることも見逃せない。
新聞販売低迷の始まりの時期とも言える。

以上を踏まえて激動の20年を振り返ると、
この20年の特徴としては、
折込広告の普及と拡大によって新聞販売店の新たな収益の柱が育った20年である。
そして、テレビの拡大により新聞媒体価値の相対的低下が起こった20年でもある。
この後10年後の未来は既に私たちが苦しみ始めている未来である。
そう、インターネットとスマホの普及により新聞媒体価値はさらに低下が進み、育っていた折込広告さえも低下が続く未来である。

1980年代〜2000年代に学ぶこと


さて、激動の1980年代から2000年代において学ぶことは、ビジネスには必ず浮き沈みがあるということである。永遠に良い時代が続くなんてことはビジネス世界にはない。常に時代の変化に対応し続けることが必要である。

新聞販売においてリカバリーのチャンスは2000年にあったと思われる。
「無読者数の拡大」というアラートが鳴り出したのが2000年前後である。しかし、一方で折込広告の拡大というプラス要素に、そのアラートは打ち消されてしまった。いや、分かってはいたが・・・というのが本音であろう。
新聞の価値をどう伝えるか。
そう、新聞を「取ってもらう」から、新聞を「読んでもらう」へと営業手法を変えるべきであったと思う。
しかし、それが出来なかった。
新聞の価値をどう伝えていくのかということは今後の最大の課題である。

一方で変わらないことも学ぶことができる。
新聞販売店は常に労務難である」ということである。
現在も労務難ではあるが、1950年も1960年も、1970年も・・・今に至るまで基本的には労務難の業種である。
根本的な課題は、休みの問題と給与の問題である。
新聞販売店に人が集まらない理由は、何十年経ってもちっとも変わっていない。
これは、労務対策としては打手はわかっているわけで、改善の意思と行動力さえあれば解決は可能であると思う。

もう一つ、変わらないことは。
それは、1950年から常に「販売正常化」が叫ばれていることである。
これは、悪習と言う人もいると思うが、私は、過去の新聞販売店は常に新聞販売にこだわり続けたと評することも出来ると考えている。
先ほど、無読者数の増加という2000年のアラートの話があったが、無読者数の増加は実は1960年も1970年もあったのである。
それに対して、あの手この手で読者を獲得したのが折込広告収入の無い1960年や1970年の新聞販売店だった。
ところが、2000年の新聞販売店は折込広告というボーナスに目が眩んでしまって、無読者数の増加に真剣に向き合わなかった・・・本気で営業しなかった・・・そう思えてならないのである。(新聞発行本社も含めて)

新聞販売店の未来 中編のまとめ


さて、まとめにはいる。
新聞販売店の未来を考える上で、1980年〜2000年に学ぶことは。
もう一度真剣に新聞販売に向き合おうということである。
しかし、今さら昔の売り方をする訳ではない。
今という時代における新聞の価値を見出して、きちんと伝えていく営業である。
少なくとも折込広告が無いに等しい1960年や1970年の新聞販売店より、現在の方が恵まれている。

もちろん、私自身も新聞の価値を明確に表現できる訳ではない。
しかし、池上彰さんの講演などを聞いていると、確かに、デジタル時代だからこその新聞の価値は存在すると考えている。

そして、時代は繰り返すのである。
きっと、ラジオの時代・テレビの時代と生き残ってきた新聞は、インターネットの時代においても生き残ることは可能であろう。
それは、先日、くまモンの生みの親のデザイナーである水野学さんの講演を聞いて確信に変わった。
その話はまた今度・・・。


*少し前の動画ですが、私の考えるデジタル時代の新聞価値について載せておきますので時間があればご覧頂けたら幸いです。 ↓


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