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Z世代とスマホの葛藤

こんにちは。

私はいつも荻上チキさんのSessionというラジオ番組をポッドキャストで聞いているのですが、今日のテーマは「団塊世代の半世紀」でした。

団塊世代という言葉も知らずにこの番組を聞いたわけですが、パーソナリティーのお三方が楽しそうにポケベルや掲示板など懐かしい思い出話をされていて、私もそんな時代に行ってみたいなぁと思うのです。

先ほどポケベルを調べたのですが、キッズ携帯のような形だと思っていましたがゲーム機に似てると思いました。カタカナなのが良い味出してる👍

2008年にスマホが発売されてから、あっという間に私たちの生活に変革が起こされたわけですが、当時やっと日本語で話すようになったばかりの私にはもちろん、スマホなんぞ与えられませんでしたので学校の無い休日は友人宅の固定電話に電話をかけていました。学校の連絡網なんかも同じ。今でも友人宅の番号を覚えている(笑)

まるで年を重ねた人から若者への発言のようで申し訳ないですが、最近の子供たちを見ていると彼らの将来がとても不安になります。親の物か、はたまた自分専用のスマホなのか分かりませんが、ベビーカーの中や電車、レストランでスマホにくぎ付けになっている子供たちを見ると、この先の人生ずっと、スマホや新しいテクノロジーの依存症となって時間や人生を搾取されることにならないか心配になってしまいます。
(新しい技術が導入されればある程度はそれに依存せざるを得ませんが)

子供の育て方や期待することは親が決めることなので、口出しは出来ませんが。。。

私は小学生時代、元気に公園を走り回って泥だらけになるという日常を6年間続けたわけですが、もう少し生まれているのが遅かったら、同じようにスマホを見続けていたと思います。なぜならスマホというこれほど便利で楽しい”おもちゃ”はないから。アルゴリズムと人間の本能を刺激する設定のおかげで永遠に見てられるんですよね。

スマホのない幼稚園や小学校時代を過ごしたことがないため、スマホなしでどのように遊べばいいのか分からない今の子供たちや、スマホなしで子供を泣き止ませて、おとなしくさせる方法がわからない親が多いのと同じように、私も中学、高校、大学までスマホなしでの生活は想像できません。

期末テストの過去問はLINEで送られてくるし(笑)、どんな問題も調べれば答えは載っているので日常生活ではとても便利なスマホ。

ですが、時々悲しくなります。みんなで集まっているのにその場の全員が下を向いて、それぞれの四角い物体をただ見つめている時。遊びに行ったのに、目の前にいない友人に見せるためにインスタ用の写真を真っ先に撮る同級生。ネットの答えを模倣しても力にならないと知りながらも楽な方に流れてしまう自分。

私もSNSの通知が気になってその場を十分に楽しめないことが多くありました。この瞬間にだけ過ごせる友人や家族と同じ時間を共有しているのに通知が気になる自分自身に嫌気がさしました。

人類の未来、ちっぽけな私は一人不安です。世の中にどんどん新しい技術が導入され、便利になっていきます。そうすると、私たちは自分達の頭を使うよりも、AIや新技術に考えることを任せて生きていくことになります。もちろん、人は自分一人で立つことは出来ず、様々な人や物によって支えられて生きています。ですが、人間が何も考えなくなった時、働く必要がなくなった時に一体私たちの存在はどうなるのでしょうか。自分の頭で考えず、ただ与えられた物にかじりつく人生を過ごすことになってしまうのでしょうか?

長くなりましたが、結論はスマホのない時代を謳歌してみたい。友人の家の前で大声で、遊ぼー!って呼んでみたり、団地で鬼ごっごしたり。これは同級生とよく話す話題です。みんな、ある程度はSNSによるストレスを抱えています。暇つぶしにスマホを触ること以外に何もやらなくなります。やはりSNSのない時代に青春を生きていた世代がうらやましい。通知が来なくてデートにも集中できそうです(笑)。

みんなが駅前の掲示板に伝言を書くって聞いたのですが、チョークが何十本もあったとか…?知れば知るほど疑問が出てきて、さらに魅力的な昭和と平成初期です。両親にも聞いてみようかな。
ただ…

あの体操服の短パンを履くことと(あの短パン、まるで水着みたいです。。)、電話をリビングで親に聞かれるのだけはお断りです(笑)



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