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自己紹介

目次
・自己紹介をしようと思った理由

・基本情報

・大学生時代
 周りの人の違いに違和感をもつ

・20歳
 祖父の死、「自分らしく生きたい」

・特別支援学校教員時代
 熱心だが言葉のトゲが強かった私

・大学院時代      
 発達障害がより身近に感じた

・フリーター時代
 グレーゾーンの生きにくさを知る

・小学校の教員時代
 自分らしく生きるために自分を知る必要性

・これからと、最後に

自己紹介をしようと思った理由


私は大学を卒業してから、
特別支援学校、小学校(情緒固定学級)と
教員を9年間してきました。

そんな中、多くの子どもたちと
関わることで疑問をもちました。

学生時代は、保護者、学校、
民間と様々な支援が受けられ、
サポートされている子どもたち。

ですが、社会に出てから、
人間関係や体調を崩し離脱し、
中には引きこもりになる子も
少なくありませんでした。

診断はなくても
グレーゾーンであるからこそ一人で抱え
障がいの特性からくる生きにくさからの社会離脱


「人生100年時代」、多様化する社会で
多様な選択肢に迷うことがあると思います。

周りの人に合う選択が
必ずにしも自分に合うとは限らない。

特に周りとの違いを感じる方、
発達障害グレーゾーンの方、
繊細な方にとって、

自己理解は
長所も短所もどちらも受容することが
生きやすさに繋がると思いました。

また、
私自身も生きにくさを感じていた学生時代から、
30代になった今、自分らしく生きる中で
その過程での「自己理解」の大切さを感じています。

もし今、
一人悩んでいる方がいるならば、

私は、今までの多くの方との出会いを通し、
より発達障害グレーゾーンの方が
「自分らしく」生きるためのサポートを
したいと考えました。


そのために安心して
自分を知る(自己理解する)機会作り、
継続的に社会で「困り感」を感じたら、
戻って来られる場を作りたいと思いました。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

今回のnoteの発信を通して、
私という人を少しでも知ってもらいたい、
そして皆さんとの交流のきっかけになったら、
そんな思いで自己紹介を書きました。

基本情報


・みのり(30代女性)
・夫と二人暮らし

・趣味は自然の中で焚火、銭湯
 探偵ものドラマを見る、ドリームノートの更新

・元特別支援学校教員(知的部門 小学校から高校)
・元小学校教員(情緒固定学級)

・大学卒業後
 特別支援学校(小・中・高等部)勤務
 特別支援教育について学びを深めるため 大学院に進学
 小学校(情緒固定学級) 勤務
 現在、発達障害グレーゾーンの方対象に、自分を知り、未来を描くサポートプログラムを作成中
 ※皆さんへの思いを込めて作成しています。
  もうしばらくお待ちください。

【大学生時代】
周りの人の違いに違和感をもつ


教育学部で学校の先生を目指し大学へ、
段々と自身に違和感をもちました。

100人ほどの大きな 
集団での講義は疲れやすい、
「私だけ?」と悩みました。

一人で図書館にこもり、
哲学書や自己啓発本を
読みあさっているのが楽しかった。

自分でこれをやると決めたことは
とことんやりぬく、それ以外には興味がない。

周りからは変わっていると言われました。

そんな中、その「変わっている」を「あなたらしい」と
受け止めてくれた仲間がいたことが
私にとっては救いでした。

周りが当たり前にやっていることが
うまくできない自分に
違和感を持ち葛藤、

自分を隠し「普通」を
演じれば演じるほど辛かった。

【20歳】
祖父の死、「自分らしく生きたい」


私が二十歳の時、
突然、
脳梗塞で祖父を亡くしました。

祖父は私にとって
年の離れた友達のような
良き理解者でした。

科学のこと、宇宙について、
様々なことを教えてくれました。

祖父は、
日々未来に創造を膨らませ、
晩年も発明に勤しみ、
新しい発明が浮かぶと

「これどう思う?」
といつも私に感想を聞いてくれました。
私はその新しいアイディアを見ることが
楽しみでした。

そんな祖父の死は
脳梗塞による急な死でした。
私にとって衝撃
でした。

「人は本当に亡くなるのだ」と
体感した瞬間でした。

当時の私は、
いつか死ぬとしたら、
「自分の人生をどのように生きたいか?」

ひたすら自問自答する日々でした。

二十歳の私が出した答えは、
「自分の好き・やりたい」を基準に生きたい
でした。

そこから、
初めての海外旅行に一人で行ったり、
青春十八切符で日本一周をしたり、
やりたいことリストに書いたことをひたすら叶えていきました。

リュック一つで
NPO法人などを訪れ、「ここで働かせてください。」
と頼みにいったこともありました。とにかくたくさん動きました。

今思うと若さと勢いで少し無謀感はありますが、
今から思うと
行動すると現実を変わる
と私が初めて体験したのはこの頃でした。

多くの素敵な大人の方に出会いや助言は、
その後の人生に大きな影響を与えてくれました。

そんな中「自然」と「子ども」をキーワードに
働く体験をさせて頂いた時期がありました。

自然の中で大学生が
小学生を対象にキャンプを
企画するサポートのお仕事です。
要するに裏方のお仕事です。

私はそこで裏方にまわった時、
人と直接関われないと
自分が「幸せでない」ことに気づきました。

そんな中、
障害のある子と関わるキャンプでは、
子どもたちとロッジに泊まりを衣食住を共にしました。

当時に出会った中学生の発達障害のある女の子が
歌や登山、キャンプファイヤーなど

活動や状況に応じて
「好きなものは好き」、「嫌いなものは嫌い」と
周りを気にせず素直に
表現するところに魅力を感じ


特別支援学校への就職を決めました。

【特別支援学校教員時代】
熱心だが言葉のトゲが強かった私


その後小・中・高校の一貫校である特別支援学校で
6年間勤務しました。

とにかく毎日
子どもたちに会えることが楽しかった!

重度、中度の知的障害、自閉症がある子どもたちが、
言葉で表現することは難しくても、
どの子も自分の意志をしっかり持っていました。

この頃の私は、
目の前の子どもたちの実態を把握し、
発達段階に応じて、今できることをがむしゃらに実現していく日々

子どもたちが大好きで、楽しくて、必死でした。
だからこそ、
「中途半端にやっている人が許せなかった」のですが、、、。

これを書くにあたり当時の日記を読んでいましたが、
若いころの私に、「色んな価値観の人がいてよいのよ」
と突っ込みたくなるほど、言葉のとげが強すぎていました。笑

そんな私を周りの方は、心暖かく見守って頂き、
本当に感謝しています。

この頃、目の前の子どもたちに何ができるか、
保護者の方と一緒に考えに考え抜けた時期があったからこそ、

「人の悩みや困り感の本質をサポートしたい」という
現在の思いに繋がったのだと思います。

より彼らについて深く知り、力になりたい!
「彼らと共に生きること楽しみたい」
それが
その後大学院でより専門的に学ぶ原動力となりました。

【大学院時代】
発達障害がより身近になった


志の高い仲間や先輩、教授と話す時間は、
面白く深い学びでした。

私って「普通すぎる?」と
自分の長所と短所が薄まって見えるほど、
個性的で魅力的な方々に囲まれて学ぶ日々、

なんだか「普通」って一つ長所を持たないと面白みがないかも
と思った時期でもありました。

発達障害についてより深く学ぶほど、
「みんな少なからず特性があるのでは?」と、
感じました。

その頃、
実家の両親が里親になり
20歳以上も離れた兄弟ができました。
可愛くて仕方がない!

兄弟たちの特性を見ていて、
彼ら自身もこれから
自分を受け止める時期がいつか来るのだろう。
そして、彼らの良さを理解してくれる人に恵まれてほしいと
切実に願いました。

彼らの姉として、彼らが社会にでて
困ったときに立ち寄り、エネルギーを蓄えられる「場」を作りたい!
と漠然と思ったのはこのころでした。

【フリーター時代】
発達障害グレーゾーンの生きにくさ


大学院を卒業後、
もう少し自分の時間を過ごしたいと思いフリーターに、

「私先生です。」なんて肩書に頼っていた自分
「かっこ悪くない?」と当日の私は思いたったようです。

発達障害のある子の家庭教師をしたり、
株の勉強をしたり、
今でいうミニマリスト?になってみたり、
大好きなコナンのアニメを好きなだけ見てみたり、
飽きるまで寝てみたり、
やりたいと思っていたことを一通りやってみました。

その中で某家電量販店の倉庫で梱包のアルバイトを始めました。
無機質の倉庫で、ひたすらダンボールに商品を詰めました。
多動性と衝動性が強い私は、1カ月で飽きました。

今思うと自分の特性を考えると確かになと思いますが、
当時の私は自分の特性をあまり分かっていなかったので、
あまりにもすぐ飽きた自分に
不思議に思いました。

そのため、この作業はゲームだと思って
取り組むことにしました。
「1日にどれだけ速く多く梱包できるか」というゲーム
それに力を注ぎ、
そこの小さなコミュニティーで3位に入るほど上手になりました。

そんな中、長く働く
おじさんやおばあさん、お兄さん、お姉さんたちは
私に優しく接してくれました。
仲良くしていただく中で、
それぞれの暮らしや人間関係での生きにくさを
よく聞くようになりました。

当時の私は、私にはできない努力をたくさんしている先輩
「かっこいいな」と思いました。
そして、その苦労、少し軽くしたいけど、今の私には難しそうだと
漠然と思っていました。
そして何より彼らの人柄に魅力を感じていました。

今思うとその環境には
繊細な方、
衝動性が強い方、
自閉傾向がある方たちが多かったように思います。

「私にも似た特性があるな。」「障がいってなんだろう?」と、
障がいの診断がつく、つかないに関わらず、
生きにくさや困り感を持っている人がいる
という現実を体感した時期でした。

【小学校教員時代】
自分らしく生きるために自分を知る必要性


小学校で勤務して3年が経ち
情緒固定学級の担任をしていました。

情緒学級学級にはもちろん
通常の学級にも
発達障害の傾向があるお子さんが多くいました。

繊細な子、
気持ちがコントロールできず暴言暴力をふるう子、
様々な子関わる中で、

発達障害の特性からくる悩みをもち、
漠然と「普通」であることを
目指している子も
いることを知りました。

「普通とは?」「障害とは?」
いったい何なのでしょうか。
ただ一つ言えるのは、
そこで悩み困っている本人がいるという事実です。

そして、
子どもたちは
自分を知り、受容していく過程で
自分が好きになり、気持ちが安定して、
言葉で人と気持ちを共有でき、
笑顔が増えた子が多かったです。

そんな中、
学生時代は、親、学校など
サポートが受けられる環境があるのですが、
社会にでてからは
発達障害の傾向があるグレーゾーンの人たちが
人間関係や周りとの違いで悩み
「社会離脱」していく現状があることに
問題意識を感じるようになっていったのが
この時期でした。

これからと最後に


「人生100年時代」、多様化する社会で
多様な選択肢があるからこそ迷うことがあります。

周りの人に合う選択が
必ずにしも自分に合うとは限らない。

じゃあ本当に自分が求めているものは何か?
自分の長所と短所は何か?

現在、発達障害グレーゾーンの方向けに
自分を知り、未来を描くサポートプログラム
を作成中です。
もうしばらくお待ちください。

安心して自分を知る機会作り、
継続的に社会で「困り感」を感じたら、
戻って来れる場

周りとの違いに違和感がある方、
発達障害グレーゾーンの方、
繊細で生きにくさを感じる方、
お子さんが発達障害で悩んでいる保護者の方、
一人悩んでいる一人でも
多くの方に届きますように。

「多くの人が特性を生かして、イキイキと生きる社会」を目指して、

皆さんの温かいコメントが励みになっています。
そして、日々感謝しています。

よかったら、
引き続きSNSを見て頂けたら
嬉しいです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございます。みのりでした。




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