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人は正しく認識する気なし 真実を知るに知能は不要 謝罪 雛鳥の一つ覚え 購買洗脳 私物化

1、人は正しく認識する気なし
アンチとかに対して「大勢に応援を受けている現実が見えていない」色々と言う人は居る。
認知的不協和とか色々と心理学で説明されているけど、それ以前に人は心に留めようとしないから、現実を覚えない。

聖書が絵すらないのは、人間は絵や映像を正確に解釈する気がなくて、何が何でも自分に好都合な捻じ曲げようと曲解するからだ。
文章ですら曲解する偽装キリスト教団が存在するから、絵や映像なんて、もっと曲解するに決まっている。
非信者は、必ず文章と映像と絵を自分の都合で捻じ曲げようとする。
神の信者なら、文章だけで正確に理解するから、映像や絵は不要である。
だから、天の主は聖書で絵や映像を残さなかった。

人は映像を正確に理解する気がない。
例えば、面接とかで「この会場まで来て、新しく歩いた道にあったモノを言ってください」と面接官に聞かれても、答えられる人は居ない。
ラーメン屋の店の名前とか、信号の数とか、ツバメの巣がいくつあったかどうかとか、全く覚えていない。
目に入ったモノ、視覚に入ったモノの99・99%は覚えていない。
覚えていないどころか、認識すらしない。
目に入ったモノを心に留める気がないから、覚えられないのである。

やる気がなければ能力を与えても使いこなせないから、神は人間に自然体で映像を作る能力を与えなかった。
自然体で映像を作る能力とは、例えば金属のコインを水に入れて、目も漬けて、思い出しながら瞬きをしたらコインに映像を記憶して、そのコインを別の水につけて波が収まるまで待てば映像が水面に映るとか、そういう能力である。
しかし、人間には映像や静止画を正しく理解する気がなく、自分の都合で捻じ曲げようとするから、そういう映像作成能力を与えない。
「才能を私物化しよう」とするから、与えないのである。今でも映像をフェイク動画を大量に作るため、与えない方が良い。

金属製のコインだと製造技術力が必要だから現実的ではないと思うなら、特殊な石でもいい。
聖書には「白い小石」に名前が記されているという記述が出てくる。何で「白い小石」なのかと思った。黒い小石とか、緑色の小石とかではダメなのだろうか。
この「白い小石」の部分が妙に頭に残って、色々と想像を搔き立てられる。

勉強したら認知能力が上がるとか、そんな簡単な話ではない。

日本語は漢字という絵が元になっている文字を使っている。
そのため、日本語で読むと絵を見ているだけで文章を読んでいない危険性もあるから、気を付けないといけない。
漢字で書いて、そのままの意味で描かれているのに、全く理解できなかったりする。
例えば、「日没」という感じの組み合わせも、太陽がフラットアースで遠ざかっている組み合わせなのに、全く理解できない人間がほぼ全員である。数万人に一人が気付くレベルだ。
没という感じは、左は日が入って行く、右上は天蓋で、右下は地面や海面を示している。そこへ日が入って行くから「日没」なのである。
漢字でそのまま書いてあるのに読めない日本人が99・99%である。
サタン側がネタバラシをしているのに判らない。
サタン側は、こういうヒントを大量に出して、気付かない人間を侮辱している。
バカにされるのが何よりも許せない人間ほど、こういう隠れてバカにされても気付かない。
頭を下げられない人間ほど気付かない。
謝罪できない人間ほど気付かない。
不思議な話だけど、バカにされるのを受け入れられる人ほど、隠れてバカにされている事に気付く。
バカにされるのが許せない人間は、バカにしていると明言しないと、バカにされている事に気付かない。
バカにされるのを受け入れられない人間は、バカにされても気付かない。
もしかして「バカにされている事」に「気付かなければ腹が立たなくて済む」と「無意識に感じ取っている」から、「気付かないように無意識が思考回路が捻じ曲げている」のだろうか。

何かモノを言う場合は、アンチに限らず、自分の認識能力が「発言資格」に十分に価する高さだと証明しないといけない。
実際、自分に認識能力があるかどうかも判らないし、あったとしても他人が理解できるように証明するのも難しい。相手に理解する気がなければ、説明しても意味がない。
そして、認識能力があるかどうかを公正に判定する方法はない。
こういう問題があるから、俺は文章を出したくない。神にエゼキエル書33章で警告しなさいと命じられたから、文章を出しているだけ。
もし、神に命じられなかったら、他人に警告しないで見殺しにしている。

アンチは、自分の認識能力が十分か証明しないでモノを言う。
自分の認識能力が十分だと証明できるなら、訳の判らないところでアンチ活動なんかしていないで、大企業に自分を売り込んだり、起業して大儲けしている。

芸能人はアンチを自分の人生に必要としていないけど、アンチは芸能人が自分の人生に必要なのだろうか。
こういうバランスの取れない人間関係は築かない方が良い。
片方は相手を不要だと思うけど、もう片方は必要なんて偏っている。
夫婦や友人でも、片方は不要だけど、もう片方は必要なんて偏る。
互いに必要とする人間関係を築くのを意識した方が良い。
物事を正しく認識する気がないと、自分が偏っている事に気付かない。
もしかしたら、アンチに対してこういう事を言わない芸能人は、こういう事を言うとアンチの人生を全否定するから、優しさから手加減して、まるで対等なように演技しているのだろうか。
まあ、本気で争っている芸能人も居そうだけど。争いは同レベルでしか発生しないというモノだ。

前に書いたけど、モーセが杖を蛇に変えさせたりする時も、神は一挙手一投足に至るまで指定する。
モーセが使ったのが「魔法」か「不思議な力」か「神の奇跡」か判らないけど、人間が魔法を使えないのは、神が人間に魔法を使えないようにしたからだ。
モーセのこの部分の話を読んで、一応、人間は「こんな感じの力」は使えるのだろう、と思った。
敵が炎耐性なのに、炎魔法で攻撃するような間違いを犯すのが人間だから、魔法を使える恩恵を与えても、恩恵にならないで本人の邪魔になる。
映像を正確にイメージしないで、捻じ曲げようとするのだから、イメージで炎や風や雷を正確に扱わないため、魔法を使えないようにした。
人間は不思議な力を与えても、間違った使い方をするし、蛇に唆されて逆効果な使い方をするし、イメージを捻じ曲げるから正しく使えない。
目に見える情報を正確に受け入れる気がないと、魔法を正確に操る事も出来ない。
剣や鞭を正確に操れなくて、自分を傷つけるようなモノだ。
だから、人間に「自由に魔法を創作する能力」を与えなかった。
今だって才能や銃を正しく使えなくて、戦乱になったり、逆効果になる。

この世はフラットアースで、自分の目で空を見たら直ぐに判るのに、自分の目に見える事を正確に受け入れないで、洗脳された「存在しない球体地球や銀河宇宙」を妄信するような性根だから、魔法を使える能力を与えても洗脳されて、逆効果な使い方をするようになる。

非信者が魔法を使うと、必ず間違えて、自分を傷つけるから、使えない方が良い。
神の信者なら、神がいいよう取り計らってに守ってくれると信じているから、魔法を使える必要性がない。

2、真実を知るに知能は不要
和して同ぜず、動じて和せず。
100人中99人は、真実より多数派や強者に同調する。
臆病者は真実のフラットアースより、多数派の球体地球に同調する。
日本は属国だから、アメリカの権力者に屈服するため、99%が球体地球を妄信する。しかし、アメリカ人は覇権国の人間だから強者の立場にあるため、25%ぐらいが強くて勇気と正義があるからフラットアースを認識している。
日本人は属国民で臆病者だから、自分の目で真実を認識しないで、多数派に同調して、強者に媚びへつらうため、球体地球を妄信する。

アメリカの強者はフラットアースを認識しているけど、属国民が服従するかどうかを試すために、黒いモノを白いと言って試す。
馬と鹿の語源は、鹿を連れて来て、馬を連れて来たと言って、周りの連中が鹿と答えるか馬と答えるかによって、自分に従うかどうかを試す故事にある。
世の中はフラットアースだけど、球体地球だと言って、フラットアースと答えるか球体地球と答えるか試して、自分に屈服するかどうかを試す。

ギデオンは、属国状態のイスラエル人の何百万人の中で、3万人ぐらいが兵士として集まって、臆病者は家に帰らせたら、300人だけが勇気のある人間だった。
属国民で本当に勇気のある人間は1万人に1人ぐらいなのだろう。
まあ、本当に勇気があったら、とっくの昔に侵略者に戦いを挑んで殺されているから、家系が途絶えているか。
1万人に1人の勇士も、偶然が重なって生き残ったのだろう。
アメリカも75%の人は、弱くて勇気と正義がないから、球体地球を妄信して強者に屈服する。
どこの国でも、強くて勇気と正義のある人は少数派になる。
物事を正確に認識するには、強さと勇気と正義が必要になる。
物事を正確に認識するのに、知能は要らない。
弱くて勇気と正義のない人間は、物事を正確に認識するのは、知能だけが必要で、強さと勇気と正義は必要ないと思い込みたいのである。願望で物事を捻じ曲げようとする。

真実を知るのに知能は不要である。むしろ知能は邪魔かもしれない。
真実を知るのに必要なのは「心の強さの勇気」と「正義」である。

多数派に合わせればいいと思っていると、自分の目で認識する気がなくなる。
強者に同調すればいいと思っていると、自分の目で認識する気がなくなる。

聖書で知恵が必要と書いてあるけど、その場合の知恵と、俺がここで書いた知能は別だから、そこは注意して欲しい。
真実の神を知れば自由になるとあるから、信仰心が真実を知るのに必要なのは確かだ。

3、謝罪
過去に「能力が無いのではないか」と書いたけど、それは全て「やる気がない、性根の問題」という風に置き換えておいて欲しい。
無能と言ってはならないと聖書にあるから、無能と言った事は謝罪して訂正する。申し訳ありませんでした。

やる気があれば能力は付く。
やる気があっても能力が付かないなら、能力が付かなくても何の問題もない。やる気があれば別の能力が身に付くからだ。
それでも能力が身に付かないほどの知的障碍者なら、無条件で天国へ入れるから何の問題もない。
才能を私物化して楽をしてはいけないし、やる気がある振りをしてサボるのが最もダメである。

運動音痴でも、頑張れば能力が付くか、別の能力が付く。
頑張っても能力が付かないなら、能力が無いのが証明できたのだから、別の事をするキッカケにはなる。
何も挑戦しない方が「自分はやればできる」という根拠のない自信に囚われて、いつまでも未練がましくなる。
運動音痴に運動をさせて運動ができない現実を思い知らせないと、自分は運動ができると思い上がって、無茶なアクションや登山とかやり出して、とんでもない事故を起こして死ぬ危険性が高くなってしまう。
そういう無茶をしなくて死なずに済んでいるのは、無理やり運動をさせた人たちのおかげとも言える。
最近、弾丸登山で無茶な事をする若者が多いのは、無理やり運動をさせていないから、自分の体力や運動能力の程度を思い知っていないからではないだろうか。まあ、俺の思い付きでしかないから証拠はないけど。
俺は虚弱体質だけど、小学生の時に無理やり全員で運動をさせられたから、自分の体力の程度が底辺だと判るため、登山とかは低山ならともかく、高山は絶対に無理なのが判るから、挑まない。
「この程度の体力で富士山に挑むのか」と思うような奴らが弾丸登山で富士山へ挑んで、事故を起こして迷惑を掛ける。
体力が平均以下の癖に、無理やり運動をさせられなくて、自分が平均より上か下か判らなくて、平均以下だと危険な登山とかスポーツをやり出す。
平均以下の癖に、平均以上だと思い上がる状態が最も危険である。俺も、根拠なく、人生で平均以下なのに平均以上だと思い込んでいた。

4、雛鳥の一つ覚え
3匹の雛鳥の内、一番上に乗ってマウントするのが最初の餌食になる。
最初に餌食にならなかった雛鳥は、兄弟姉妹が次々と蛇に飲み込まれているのに、頑なに巣にしがみついて頭を伏せる事しかしない。
今まで、このやり方で上手くいったから、成功体験を繰り返す。
特定の思想に洗脳されている人間も同じ事をやる。
今までこの思想や考え方で上手くいっていたから、仲間が無駄死にしても同じやり方を続ける。
サタン側はいくらでも手段があるのだから、1つの防衛策だけで自分の身を守れるわけがない。
しかも、その防衛策はサタン側が用意した物である。
サタン側が人々を餌食にしやすくするために用意した思想や哲学や価値観である。
食卓の上や皿の上で行事よく並んでいるようなモノだ。

唯一、自分の身を守れる方法は、神に立ち帰る事だけだ。

5、購買洗脳
買っているのではなく買わされている。
テレビなどで物欲を洗脳されている。
「最悪、洗脳されていると思え」というのが詐欺に騙されないための思考方法である。

テレビで事故が多いというけど、別に昔から起きている。
昔は隠蔽できていたけど、最近はテレビ業界の力が衰退しているから、隠ぺいできなくなっているだけだ。

もっと昔の江戸時代だと、カラクリや仕掛けの多い舞台装置で死傷者は多発していたから、芸能界で事故が多いのは、そんな不思議でもない。
普通に生活をしているだけでもケガをするのだから、普通ではない行動をしている芸能界ならケガは多くなる。

6、私物化

願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。

ヤコブの手紙 4:3

私物化しようとするから、与えられない。
私欲で動くと何も得られない。
死後の永遠の命だけを求めるべきである。
この世の人間社会での見返りを求めていると何も与えられない。
願望で動くと行き詰まる。

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