11/19 『すずめの戸締まり』を観た

面白かった。が、あんまり深くはブッ刺さらなかったように思い、それは何故か、やはり主人公のすずめが抱える震災の傷を、幸運にも自分はほとんど被らずにここまで生きてこれたからかなとも考えた。だがそれにしては、作中においてすずめ以外の登場人物もあまり震災の傷を抱えている感じはなかった。叔母さんだって、自分の姉が失われててその娘を引き取ってるわけだから震災によって人生を大きく変えられた人だけど、叔母さんにおいては重要視されてたのはその後の変わった人生の方だったし、すずめと叔母さんを実家まで運んで行った芹澤をして、その目的地から察するものもあった筈なのに、「闇が深い」なんて曖昧な表現で済まされちゃったりしてるのだ。入場特典でもらったパンフを読む限り、震災の傷を描いた作品であることは確かだが、それらはある意味で「過去」の側面も持ち、ある者は傷を抱えたまま生き続け、ある者はほどよく忘れて未来を志向している、そうしたグラデーションも含めた「震災後」と向き合った作品であった筈だ。ならば僕の抱いたそこまで深く刺さらなかったこと、その浅みもまた、グラデーションの一重として入っているものと思う。
楽しかったのは、やはり何より前半の旅路だった。道中で大小の困難に遭遇しつつ、人との出会いにも恵まれて解決・克服していく。その土地土地の災厄も逐次鎮めていって、なんかそういう道中だけでTVアニメーションが13話くらい作れそうな感じ。
あんま関係ないかもだけど、なんとなく、道を横切る描写がちょくちょくあったような気がする。車道を突っ切って轢かれそうになったり、あるいは坂を転がるミカンを、道に網を引いて堰き止めるなど。前作でも線路の上を走ったりしてたし、交通インフラに迷惑をかけるのが監督の”癖”だったりするのだろうか……批判するわけじゃないけど。一方で東京のミミズを封じた後トンネル内をとぼとぼ進んでいくのとか、故郷に戻る高速道をえんえん走るところなどは主人公は全然楽しそうじゃなく(楽しそうなのは芹澤だけだったとも言える)、「道を切る」描写はアッパーで、「道なりに進む」描写はダウナーな印象。災厄の象徴たるミミズじたいが長虫であり「道」を連想させるし、なんかそういうものはあった気がするな。
ミミズや神にまつわる伝奇要素があんまり掘られなかったのもちょっと刺さらない原因だったかもな。刺さらないというか、刺してほしい箇所をほっとかれたというか。前2作が登場人物などつながってて、今作が3部作の完結編みたいな立ち位置を期待していたが、どうやら世界観や設定面では繋がってないっぽいし(神木くんも別の役だったし)。むろん、災害をテーマにした3部作で、最後に日本の直近の大災害である3.11を取り扱うのは締め括りとして必然であったというのはわかる。しかしそういう伝奇面での締め括り作品も観てみたいな。次作あたりで。
主演2人の演技はとても良かった。声優初挑戦なんて最近そこまで苦にならん近況が喜ばしい。区別がつきづらいっつーのはあるけど。3作のヒロインの何気ない会話を目つぶって聞き分けられる自信はない。草太の声は最初寺島拓篤がやってるのかと思った。良いことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?