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「〇〇な人」など存在しない

新年一発目のブログということで、あけましておめでとうございます。
今年のお正月は食べた、食べた。
これでもかというくらい食べて、横に横に成長している気がします。
大丈夫。その分動くから。旦那と毎日散歩するって決めたんだから。

さて、年始休みの最終日は親友と買い物へ。
大晦日も二人で過ごしたのだけれど、セールになったらダウンを買いに行こうと決めていたので短いスパンで会うことに。
結局お目当てのダウンは売り切れていて、ケチってセールをまつんじゃなかったと後悔することになったのだけれど。

そんな親友と話していると、共通の友人の話に。
ふと彼女が「あの子って考えすぎるところあるよね」と言った。
「うんうん、そうだよね」と相づちを打ちながら、ふと考える。
考えすぎるというレッテルを貼られた“あの子”だけれど、つい最近引越し先を即決していた。
考えすぎないところもあるんじゃないかな、と。

そうして“あの子”の意外な一面をいろいろと話しているうちに、“あの子”は考えすぎる子なのではなく、「考えすぎるところもあるけれど、考えなしに行動することもある」というなんとも曖昧な結論に至った。

こういった結論に至ったのは初めてではない。
これまでも誰かを「〇〇な人」と結論づけようとして、何度も失敗してきた。

そして私自身も、結論付けられそうになり反論したことがある。
「ももこって面倒くさがりだよね」と言われて、たしかにそういう一面もあると頷ける。けれど、面倒くさがらずに即行動に移す一面もあるのだ。
「面倒くさがりな人」というレッテルを貼られるのはなんだか違う。
私は「面倒くさがりなところもあるけれど、そうでないときもある」人間なのだから。

これまで何度も失敗をしてきて、やっと学んだことは、「〇〇な人」なんてレッテルを貼るのは不可能だということ。
人間はみな、その一面しか持っていないということはありえないのだから。
どんなに元気な人でも、すごく悲しいことがあれば落ちこむ。
どんなにネガティブな人でも、仕事で成功した日は少しだけ自信を持てたりする。
結局誰でも二面性があって、「〇〇な人」というふうに決めつけることはできないのではないだろうか。

私はこれまでたくさんの人を「〇〇な人」という枠にはめようとしてきた。
けれど、どれも失敗。すべてを撤回して回りたい。
そんな人は存在しない。誰も「〇〇な人」には当てはまらない。
これまで勝手に決めつけてしまった人、ごめんね。
あなたは「〇〇な人」なんかに当てはまらないし、当てはまらないあなたも嫌いじゃない。

そう反省した年始めなのでした。
今年からそういうレッテル貼りごっこには気をつけよう。

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