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自省録#2 「 無駄な消費と罪悪感のようなもの 」

若い時は毎週のようにレイブやフェスに出勤し、当時は踊ることを最優先にしていたために今のような思考でキャンプをしていなかったように思う。

マスクグループ 2

だいたい友人5-6人で行くことが多かった。

平日の忙しさにかまけてろくな準備もないまま、テントと椅子と寝袋と、毎回のキャンプでなんとなくたまっていった調理セットなどを雑に車に積み混んで出発!あとは現地調達で最悪なんとかなると。

行きの道すがらのスーパーで、「あれも必要、これも必要」と塩胡椒や焼肉のたれや紙皿や割り箸を買い、パックに入った焼肉や野菜やラーメンを買いイベント会場へ向かう。

イベントが終わると、多幸感と心地よい疲労感と、45Lのゴミ袋を2-3袋と毎回増えていく調味料や紙皿と共になんかざわざわする罪悪感のようなものを抱えて家路に着く。

帰宅してからは特段それらの整理をせずに、また平日忙しい日々に戻るのだ。


無駄な消費による、嫌悪感と罪悪感


ああ、音楽イベント自体は楽しかったのになんだろうこのざわざわは。

平日の忙しさにかまけ、ろくな準備もないまま、欲望に身を任せて、無駄に金を使い、、、キャンプをしていてもだんだんと増えていく45Lのゴミ袋を横目で見るたびに、景観も悪いし気持ちもいいものではない。

ある日そんな自分がついに嫌になった。衝動的に何度もシャワーを浴びた。シャワーが罪悪感のようなものを洗い流してくれるはずもない。


マスクグループ 2

まずはお皿と箸を人数分買ってみた。自分がイケてると思うお気に入りのデザインのものだ。

結果とにかくご飯が美味しく感じた。とにかく景色が良くなって気持ちよく踊りに行けるようになった。


次に、出発前にできるだけ時間を作り、肉をパックからジップロックに入れ替えて漬け込んでみた。ご飯が美味しく感じて、次はこうしてみようと楽しみがどんどん増えていった。みんながおいしいと喜んでくれることもまた、嬉しかった。そして、帰りの車の中2-3時間を共にする、ゴミの詰まった45Lの袋が1つに減った。

調味料も、今回使う分だけを持っていくようにしたから、増え続け使われることなく賞味期限を迎える塩胡椒や焼肉のたれたちがなくなっていった。



たくさんのいいことと反面、学びもあった。

友人が借したものの場所を忘れることは毎度のことだった。それがHelinoxの高額な椅子だとしても。壊したりなくしたりして永遠に帰ってくることがないものもあった。

じゃあお前はどうなんだ、と叩かれ炎上するのでしょうね。現代は。

落ち着いてください。私だってやらかしてのこの自省録です。


その事象自体をどうこう言いたいわけではなく、その前段の話が大事なのだ。

自分が懸命に働いた限られたお給料の中から、たくさんリサーチしてこれだ!と思ったものを購入すれば、執着心のようなものが芽生え尊く思える。特にアウトドア商品は高額なものが多いから。

人に借りたものが尊くないと言うことではなく、そのプロセスを通ると愛しさや尊さがより増して、大事にするという傾向にあると言うことだ。


自然環境問題が叫ばれ、少し前からマイボトルやマイ箸などが流行っているが、それらのアイテムは自らの精神衛生に対しても身の回りの環境づくりにつながり、重要な役割を果たす無駄な消費を繰り返し、嫌悪感と罪悪感のようなものを見て見ぬふりをするよりも、お気に入りのものに囲まれクリーンに生きられることで気持ちも見た目も良く心が軽くなる。

モノと時間に対する価値観をまた、アウトドアで学ぶことができた。


自省録

無駄な消費は人の心をかき乱す。
懸命に働いて得たお金で、自ら不快感を招く環境を作ってる可能性があることの恐ろしさ。
自らの精神衛生に対して、身の回りの環境づくりは重要な役割を果たす。



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