「助けて」と言えなくなった日のこと。(ちょっと重ため。)
私の高校受験の前日。よりにもよって、緊張と共に過ごしていたあの日。
理由は覚えていないけど、普段に増して兄の調子が悪かった。パニックを起こし、家の中もひどい状況だった気がする。
きっと母も限界だったんだろう。
「もう、死ぬから」
そう言って、母が包丁を握りしめていた。
泣きながら、取り乱した様子で。
こういう場面は初めてじゃない。
でも、何となくその日、
「あ、これはやばい。」
そう思った私は、がむしゃらに止めようとした。
台所のガスコンロの上で母と格闘。
どうにか必死に手を抑え、
「お兄ちゃんのこと、私がどうにかするから。死なないで!!」
と、思わず、叫んだ。
ただただ、居なくなってほしくない一心で。
でも、母から返ってきた言葉は、
「あんたに何が出来るのよ、何もできないじゃない」
「あんたが居たって、何にもなんないんだから」
と、ピシャリと私をはねのけた。
わかっていたよ。わかっていたけど。
何もできない、母を助けられない、兄の力になれない、、、
なんのために存在しているのかわからない、自分。
言うんじゃなかった、という激しい後悔と、無力さ、やるせなさ。
母が私をどう見ているのか、いざ突きつけられると、もう、言葉に詰まってしまった。
でも、母を止めなきゃいけない。
死んでほしくない。
切羽詰まって、私は助けを求めた。
「お父さん、やばい。どうしよう」
わけもわからず、父の会社に電話していた。かけたのは仕事中のお父さん。
私の家がこんな状況だって知ってるひとは誰も居なかったから。すがるような気持ちで、震えながら話した。
でも、父から返ってきたのは、「仕事中だから電話されると困るんだよ。」という、残酷な一言でした。
そのあと何を考えたかあんまり覚えていない。
ただただ、
悲しさ。寂しさ。やるせなさ。
どうして??
なんでこんなに緊急事態なのに?
お母さん死んじゃいそうなのに?
私は何もできないの?
誰か助けてくれないの?
なんで????
そして、私はこの日から、
「もう言わない。言えない。」
と、思うようになった。
みんな迷惑なんだ。
助けなんて求めちゃいけないんだ。
どうにか出来ることなんて、全然ないんだ。
必死に口にした一言も、なんにも意味はないんだ。
と。
そんな次の日は、第一志望の入試の日。
行っていいのかわからなかったし、行きたいとも思えなかったけど。
包丁は鍵のかかる引き出しにしまい、どうにか試験に向かった。
一睡も出来なかったので頭痛はすさまじいわ、試験中にお腹を下すわ、散々なメンタルでどうにか終えた第一志望の高校受験。
まさか受かるはずもなく。
せめて良い高校に入って、家族を喜ばせたい、明るくしたい、と頑張ってきたことも、全く実を結ばなかった。
この日だけがきっかけではないだろう。
でも、私は、家族に自分の思っていることを言えなくなった。「助けて」なんて、とても言えない。気持ちなんて全く伝えられない。
言っても良い方向には繋がらないから。
そう思っていた私は、家族以外の人にも、長いこと、相談することが出来なかった。
でも、今思うのは、きっと私たち家族は、間違いなく支援の必要な家庭だった。
家がこんな状態なんて、誰かに言ってもいいと思えず、黙っていた当時の私。
今の私なら、適切な支援を受けるために、SOSを求めることは大切だよ、と声を大にして言いたい。
家族に思いっきりぶつけてもいい。
家族で支えきれなくなったら、他の人に言ってもいい。
今は障がい児のサービスを提供する事業所はたくさんあって、受け皿が増えているとは言え、家庭内はとても閉鎖的だ。
だからこそ、言わないと変わらないのだ。
私は、きょうだい児には、「絶対に助けを求めてね」と伝え続けたい。
孤立し、人知れず悩み続けるひとが、ひとりでも減りますように。
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