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【「うんざりする」教員と「味を占める」子どもたち】

突貫工事のオンライン化――こんなことを言っては、日本中で尽力されている先生方の反感を買ってしまいそうですが、事実そう言わざるを得ない状況にあると思います。
こうしている今も、学校現場はとんでもない慌ただしさに追われ、あちこちから「時間が足りない」「準備が足りない」という悲鳴が聞こえてきます…。

僕の勤務校ではICTに通じていて、実践も豊富な先生がいらっしゃるおかげで、(それでも「なんとか」)体制づくりが進んでいます。その先生の肩にかかるご負担たるや…と思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「チームで臨もう」と言っている僕ですが、チームを機能させることも簡単なことではありません。

とはいえ、休校措置の解除の見通しが立たず、学校再開の時期がずるずると後ろ倒しになっている今、何も手立てを講じずに、手をこまねいて見ているわけにはいかないのも事実です。
現時点では、GW明けの学校再開を想定している学校がほとんどだと思います。しかし、とりわけ都内の感染の拡がりを見れば、これも「確実です」とは言えない状況にあります。
もし、今後もさらに休校が延びる可能性が出てきて(あるいは実際にそうなって)から、
「やっぱりオンライン化やります」
と言い出したのでは、
「なんでそれまで何もしてこなかったんだ!」
といった、対応を望んでいた保護者からの批判は避けられないでしょう。
懸念があることも、リスクがあることも引き受けたうえで、決断して実行に移さなければいけない
というのが現時点での局面だと思います。
 
ただ、現場で活躍されている先生方の本音は「たまったもんじゃない…泣」ですよね。
特にICT機器の扱いに慣れていない先生方は、焦りや不安から来るイライラと慣れない体験のオンパレードで、早くも「オーバーシュート」があちこちで発生していると思います。
「コロナ疲れ」「自粛疲れ」にかこつけて、「ICT疲れ」「オンライン化疲れ」という言葉が飛び交っていることでしょう。
でも今は「やるっきゃない」、そういう難局なのだと思います。
  
 
▽▽▽
 
 
リアルタイムで起きていることはそのような状況ですが、少し先のことを想像してみましょう。
このようなドタバタが落ち着いたとして、その後の教員と子どもたちにはどのような変化が生まれるのでしょうか。
毎度のことながら僕の雑感を書かせていただきます。
 

1.「オンラインはもうやらない」―「うんざりする」教員たち


今は「是非はともかく実行に移さなければいけない」という必然性が後押しをして、普段であればこういう試みに乗り気でない先生方も「巻き込まれる」ような形でオンライン化に挑戦しています。
こうした動きの中で「やってみると案外おもしろいぞ!」と面白がれる層が一定数生まれると思いますが、その一方で「ICTやらオンラインはもうこれっきり。もう二度とやらない。」という方が圧倒的な多勢となることでしょう。
そうなってしまう主たる原因として下記の2つが考えられます。

①ICT機器やサービス、アプリなどを使うことに対して、教職員が「不安がない」と思えるまでの研修の機会や時間が無い。
②「公平性」や「安全性」に対して、教職員間・保護者間で「納得」が得られるまでの十分なコミュニケーションを行うための機会や時間が無い。
 
あえて共通した書き方をしましたが、
「時間が無い」
僕はこれに尽きると思います。
 
政府のICT教育の推進はコロナ以前からあった動きでしたが、
それでさえ全国の学級に行き渡るペースとしては3〜5年先を見越していたのではないかと思います。
その間に、大小さまざまな研修や研究会を重ねていきながら、少しずつこの動きを拡げていこう――コロナ以前はまだその程度の動きだったというのが僕の見方です。
 
それが思いも寄らず、【超圧縮】された形で一気にやってきてしまったわけです。
長い逡巡の過程をすっ飛ばして、「さあ、実行!」という現実が先にやってきたわけですから、受け入れようにも受け入れられないというのが人の心だと思います。
 
もちろん、議論や逡巡を重ねるばかりで、いつまでも決断・実行に移せないということがあるべきではないですし、学校という組織はどちらかと言うと、そういう嫌いがあるところではありました。
だからといって、そういう期間をすっ飛ばしていいというわけではありません。
 
そういうわけで、この状況下で、まさに「巻き込まれる」形でオンライン化に挑戦している先生方は疲弊して、こう毒づくことでしょう。

「もうオンラインは絶対にやらない」

こうなることは、コロナ以前からICT教育を進めてきていた先生方も望んでいたことではないと思います。
埋めようのない断絶が生じてしまわないか。
悲観的にはそのような懸念が拭えません。

2.「学校がないと助かる」―「味を占める」子どもたち


今度は子どもたちのことを考えてみましょう。

「学校不要」論というのは、コロナ以前からたえず言われ続けてきたことでした。
従来の学校教育の制度的な欠陥や短所を挙げて、
「こんな教育をするぐらいなら学校要らない」
という語気の強いものから、
「従来の学校ありきのあり方と、違ったあり方を提案しよう」
というものも含めれば、
温度感・思想性も含めて、さまざまなものが存在しているかと思います。
 
ただ、いずれの立場を取るにせよ
「本当に学校がなくなるとは思っていなかった」
というのは共通しているのではないかと思います。
もちろん本当に学校がなくなってしまったわけではないですが、
長期にわたる休校措置によって、都心部を中心に多くの学校が機能不全に陥っていることは確かです。
 
そういう意味では「学校不要」論の絶好の(言葉は悪いですが)「社会実験」の時期とも言えますが、状況が状況なだけに、とても落ち着いて検証できる状態ではありません。
 
 
さて、学校から解き放たれた子どもたちはこの状況をどのように感じているのでしょう。
 
従来の学校教育に批判的な立場を採る人ほど、この状況に対して希望的観測を見出している印象です。
あえて言語化すると、
「学びの主導権が学校から子どもたちにうつり、今や子どもたちは自由に学べる!」
という見方です。

学校から与えられる「時間割」を必ずしも必要とせず、自分自身の力で学んでいく子どもの姿は、僕にとっても一つの理想とするものです。
そういう子どもたちは、この休校期間の過ごし方に味を占めて、
「なんだ、学校がなくても案外やっていけるものじゃないか」
と自信を高めているかも知れません。
そういう子たちが大勢いるというのは、僕は決してネガティブなことではないと思います。
大いに味を占めてもらいましょう。
そのうえでも学校には、通うだけの役割・価値がある(そういう場所でありたい)というのが僕の基本姿勢です(今回はここに触れません)。
 
ただ、このような味を占められる子どもたちはごく一部に限られているのが実情です。
僕のクラスの話しかできず申し訳ないのですが、
休校期間中の子どもたちに対して行ったアンケートから見えてきたことを簡単にお話ししましょう。

まず、顕著だったことは「子どもたちの学習方法の依存度は、学校からの課題、塾の課題が顕著に高い」という点です。
これだけオンライン上のコンテンツやアプリの情報がシェアされていたにも拘らず、そういったサービスを学習の手段としている子どもは全体の数%に留まりました。
ZoomやGoogleクラスルームを活用している自クラスでさえ、この結果ですから、そういう体制のないクラスではもっとその傾向が顕著に出るかも知れません。

普段から使い慣れていないサービスなどに、子どもたちが自ら取り組むというのは思っていた以上に壁が高いのだなと思いました。
その背景には保護者の考えやご家庭ごとのルールなども影響しているかと思います。「使いたいけど、使わせてもらえない」という子どもも一定数いたことでしょう。
僕はそのことについて親御さんの理解がないとは思いません。むしろご家庭ごとにルールを設けて、子どもの活動をある程度管理することはとても大切なことだと考えています。
だからこそ、こちらとしては「紹介すれば何でもすぐにやってくれる」ということではないということを心得ておく必要があると思います。
 
教科学習以外の点に関しても同様のことが言えます。
休校期間中に、自ら学ぼうとしているものがあるかどうかを尋ねると、あると答えた子どもは約半数。
そのうち、コロナ以前から続けている習い事を除くと、これも数%に留まっていました。
今の状況下で、何をしていることを「学ぶ」と捉えるのかは難しいことでありますし、「やりたくてもやれない」こともあると思います。
そういった変数や要因が多いだけに、あまり数値として有効なものではありませんが、それでも傾向を知ることには役立つと考えています。 
 
こうして見ると、僕たちが期待するほど、子どもたちはすぐさま学びに走っていくというわけでもなさそう…という実態が見えてくるかと思います。
一部の子たちは学校を離れ突っ走っていく、それ以外の多くの子どもたちは、学校に通えない今、どうしていいのやら…と困り果てている。
これが実情なのではないかと考えています。
 
 
▽▽▽
 
さて、表題は教員と子どもを対比させるように書きました。
かたや「うんざり」して疲弊していて、かたや「味を占めて」充実している。
そのような描き方をあえてしてみましたが、僕はこの対比が成立しているとは思いません。


そもそも、想定される人数の規模が全く違います。
「うんざりする」教員の数は(残念ながら)相当数いる一方、「味を占める」子どもの数は全体で見ればごく一部に限定されています。
また、「うんざりする」教員は実際すでに生まれつつあるリアルな存在ですが、「味を占める」子どもたちはまだまだ遠い、理想の存在のように思われてなりません。
一番肝心な部分、残りの、リアルな子どもたちはこの対比の中には直接描かれていないことになります。
おそらく今、この部分が非常に見えにくくなっています。


ここから浮かび上がってくる近未来は、
オンライン化にほとほと「うんざり」した教員たちによる従来の授業スタイルへの反動的な揺り戻しと、そこに付き合わされる、ごく一部の「味を占めた」子どもたち。また、その周りにいる「正体不明」の子どもたちが併存する教室なのではないか。
悲観的かも知れませんが、僕にはそう思えてなりません。
 
 
学校が休校を余儀なくされ、機能不全に陥ってしまったことで見えなくなってしまったもの。
でも、実はそこにこそ学校が果たすべき役割や価値の重大なものがあるように感じています。
それとは別に、こうした状況の中でも学んでいける力を、「ごく一部」の子たちだけではなく、より多くの子どもたちにも育んでいくことを、これからの学校は目指していかないといけないのではないでしょうか。
 
そのいずれの課題に向き合うにせよ、今後必要になってくるのはデータです。
とりわけ教育の受け手側である、学習者(児童・生徒・学生)と、それを支援する保護者から【声】を吸い上げないといけません。
 
そんなことを思っている矢先、立教大学の中原淳先生やNPO法人カタリバなどが連携して、この研究プロジェクトを興しているという情報が入ってきました。非常に心強いです。
できることがあればお手伝いしたいなと思いながらも、まずは僕にできることとして、この投稿を目にして「そうかも知れない」と思って一緒になってやってくださる先生方とともに、できるところからリサーチを始めていくことだと思います。
 
こればかりは一人でやっていても仕方がありません。
ぜひ多くの方にお力添えいただき、ご意見・ご協力を賜りたいと思っています。
 
最後までお読みいただきありがとうございました。
拙い内容ですがシェアも歓迎です。
一緒に考えて、そしてアクションしていきましょう。
(大切なことは【無理のない範囲で】ですね。)

 

 


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小学校教諭(国語・劇)。学校が好きなインプロバイザー。 教室と舞台、二足のわらじを履いています。晴れときどき曇り。
コメント (1)
この内容ものすごい参考になりました。
たしかにこのような流れになる可能性は多いにありますね。
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