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罪悪感という、人生の味わい

罪悪感は、、そう、スパイスだ、くらいになりたい。たぶんそうなんだもん。

こどもを、風邪をもらってきてばかりでずっとげっそりしているこどもを、保育園に預けて働く罪悪感から自分の正社員としての暮らしを手放した。罪悪感はわたしの心身に悪影響であり、その当時苦しみはしたが、結果わたしの今のしあわせなかんじは連れてきてくれた。ほんまは結婚したくらいのときにはなんとなく専業主婦なりたかったような、だから結果オーライやな?などと都合よく思いだしてる。

こどもと必要なときに向き合わないと、子離れできないよ、となんかのネット記事を見たんだよな。忙しくてしんどくてこどもがかわいいかもわからなかった育休あけのとき、悩みまくってネット検索してばかりいた。ギョッとした。怖すぎる。たぶん私このままじゃお母さんだという自覚なくなってしまうと思った。こどもはわたしを必要としている(ただ風邪をひきまくっているだけ。だが、とにかく保育園通えないからわたしが必要なのは事実)のに、一緒にいられない。必要としているのに答えられないという重苦しくのしかかるこの罪悪感はいま消しておかないと、ギクシャクした母子関係になる予感がした。罪悪感をあとから補填しようとしたとて、おそらくこどもには届きにくいのでは?こどもにおそらく問題行動として現れてからになるのでは?罪悪感、それと恐れ。とにかくいまのままキツキツの正社員のままでは、うまくいかないと思った。こわいこわい、こわい。

長い目、というほどではないが、それから5年くらい経って今、まあ、しょーがなかったよねー。と思っている。もっと、冷静だったり賢かったりすれば、罪悪感だけに引きずられて苦しまずスマートに方向転換できたんじゃないかとは思うけど。いずれにせよ仕事はやめただろう。

仕事をやめて、その心の処理メモリスペースがあいて、やっとこどもを大事に思えるようになったんだ。。不器用。狭くなっていた視界も開けて、わたしは、目が覚めたようだと思った。

人生はやっぱり自分でストーリーとして過ごしてしまう。冷静になってみられれば事実が流れていくだけなんだけど。罪悪感はそのときの味わいのひとつに過ぎなかった。それに踊らされてしまった、とも思うし、それが原動力になって方向転換できたとも思うし。
ただ、わたしはそうだというだけなんだけど。

不器用っすわ。

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