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無気力から立ち直る

4月からの忙しさが、やっとこさ一段落ついた。

6月半ばに「よっしゃ、一段落ついた!」からの「やっぱりついてませんでしたー(絶望)」を乗り越え、7月に入ってようやく落ち着いた日々がやってきた。

気力というガソリンはもうとっくに空っぽ。
「あと少し(たぶん)、あと少し(たぶん)」と自分自身を励ましながら、なんとか乗り切った。カッコつきの”たぶん”のせいで、余計にしんどかったぞ。

で、終わったのが7月1日。
その翌日の2日から、猛烈な無気力がやってきた。

なんにもやる気がしない。もーなんもかんも嫌だ。

そうして、ぼーっと日々を過ごした。

全く同じ日に、大きなお仕事が一段落ついた恋人とともに、恋人の家でぐでーん。

料理が好きな恋人の、美味しい美味しい手料理を三食食べ、街中をお散歩し、夜にはAmazon primeで『相席食堂』を見ながらお酒を飲んだりして、他愛もないおしゃべりをしながら一緒の布団で眠りについた。

控えめに言って、最高に幸せな日常。

でも、こんな幸せな日常を過ごしていても、頭のどこかで「作業しなきゃ」の焦りは抜けないもの。
研究に終わりはない。それに、私の研究の前にはちょうど、大きな壁。考えないといけないことが山積みだ。

「あー、作業しなきゃなのにな」

こんな焦りともやもやで、うまく休めない。今までの私だったら、そうだった。
でも今回は、ちょっと違った。

「あ、これ、休んでたら1週間くらいで回復するやつだ」

いま無理やりやってもはかどらず、逆効果。1週間くらいぼやっとしていたら気力が回復して、ちゃんと作業できるようになる。なんとなく、そんな気がした。

幸か不幸か、これまで幾度も無気力状態を繰り返してきたために、なんとなくの自分の回復力、「これくらいの落ち込みだったら、これくらいの休みで戻るな」ってのがわかってきたのかもしれない。

だからもう、思う存分ぐでーん。幸い、直近でやらなきゃいけないことは一切ない。

とはいえ、単にだらけてるだけだと、まだちょっと罪悪感がある。
そんなときは、「やっておくと後々楽になりそうだな」と思うことの中で”好きなこと・やりたいこと・労力かけずにやれること”をやる。ちょっとでも「いやだな」と思ったことはしない。
お休みのときは、やりたくないこと・面倒なことはやらないに限るのだ。

私は延々Macの便利アプリを調べて、いろいろインストールして(遊んで)いた。ガジェットやらアプリやら、好きなのよね。あとはこれまでの研究結果やファイルの整理を少し。

そうして過ごして、4日ほどが経った昨日の晩、「これは明日からばっちし作業できるぞ」な気分になった。
でも、油断は禁物。ここでスタートダッシュかけるとすぐ疲弊するってことは、もうよーーくわかっている。

なので、今日はゆるーく。
タスク整理をして、雑用を片付けて、資料を整理して、少し論文を読んで、おしまい。明日からはもう十分勝手のわかっている作業をして、頭を使う作業は来週かな。

これまで、うまく休めないなあ、と思っていたけれど、足りなかったのは自分の回復力についての情報なのだなあ、なんて思っている。

どれくらいで回復しそうか、どうやって普通のペースに戻していったらいいか、なんてことがちょっとはわかったいま、なんだか前より安定して日々を過ごせそうだ。

なにかとストレスや、落ち込みの多い大学院生活。

うまく自分の声を聞きながら、なるべく安定した体調で日々を過ごしていくことの大切さを年々強く思うようになっている。


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