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「つまらなくないものですが、どうですか」

ゼミでの発表を来週に控えた今、指導教官にお土産を渡すため、画策している。

この”お土産”は、お菓子でも特産品でもキーホルダーでもなく、作業の成果。
メインの作業から少し逸れてやってみた、副産物だ。

「ついでにこんなこともやってみて、こんな結果なんですけど、どうでしょう」

そんな手作りのお土産を、出来る限り万全の状態で渡すべく、試行錯誤している。

この手作りのお土産も、旅のお土産と同じように個々のセンスが出てしまう。

誰もが順当に思いつく定番モノ。
定番じゃないけれどまあ妥当なモノ。
送られた側がビックリしてしまうような奇想天外なモノ。

包みは違えど、中身は前に送ったものとそっくりなモノも時にはある。

「どうですかねえ」と仕上げたお土産を差し出す気分は、まるで駆け出しの職人。

目指すは商品化。”論文”になる研究として、スタートを切ること。
固唾をのみ、返答を待つ。

「ーーこれはだめだよ」

「うーん、やりたいことはわかるけどさ……」

「これは違うね」

商品化への道のりは険しい。

ちらりと横を見ると、新商品をバンバン発表する同期に、商品化の末に好評を博した先輩。

一番間近にいる、同じ分野の大学院生である恋人は、ベストセラー間違いなしの太鼓判を押され、海外進出をも控えている。

歯痒い。悔しい。なんでみんなそう上手くいくんだ。

ついつい自分のセンスを疑って、劣等感を抱いてしまう。

このお土産が旅のお土産と一つ大きく違うのは、「相手の好きそうなモノを持って行かなくてもいい」ということ。

指導教官にだって、好き嫌いはある。
でも、”お土産”は、その好き嫌いを慮らなくてもいい。

自分が面白いと思ったこと、疑問に思ったこと、大事だと思ったこと。
ありのままの、自分のセンスをぶつけていい。

ぶつけた結果、否定されることもある。コメントに、先生の好き嫌いが反映されていることだって、もちろんある。

けれど、いただいたコメントと向き合ってもなお、自分のお土産に自信があったら、何度だって持っていっていい。

研究者同士のお土産は、きっとそういうものだ。

輝かしい同期や先輩たちも、険しい商品化への道のりを、きっとこうやって乗り越えてきたのだろう。

「いつだって、一番信じられるのは自分だよ」

と、幾度となく恋人が言っていた。
ーーだったら、劣等感なんて抱いている場合じゃないね。


このお土産を渡すときは絶対に「つまらないものですが」は言わない。

自分の考えを、センスを信じる勇気を持って、差し出すのだ。

「つまらなくないものですが、どうですか」


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