終わるということ。終わらないということ。

仕事の作業中。
ぼくはオードリーのラジオをYouTubeから垂れ流している。
集中してくると何も聞こえなくなるので、どの回を聞いて、どの回を聞いていないか、もはや判断ができない。

今日たまたま流れてきた、若林が高校生のアメフトの試合を観戦しに行く話。
この話を聞いていて、色々と考えてしまった。(集中できていない証拠だね)

若林曰く、高校生のアメフトの試合はいちいち涙腺を刺激するのだと。
点を取る姿に、応援する女子高生に、あの日の合宿の思い出に。
プロ野球をみるよりも、甲子園を見る方が好きな人がいるように。(僕もそんな人間のひとり)
技術的には劣る彼らのプレーにどうして感動するんだろう。

やっぱりひとつは、「刹那性」なんだろうな。
「儚さ」といった方がしっくりくるかもしれない。

負けたら、終わり。
もう一生、このメンバーで試合はできないかもしれない。
もう一生、このスポーツをすることはないかもしれない。
そんなものを背負った試合に、明日も試合があるプロとは違った感動があってしかるべきだよなそりゃあ、と思う。

大学生のダンスサークルが主催する「公演」というものにも同じ力がある。
彼らは夏を、毎日を、3年間を言葉のとおり懸けている。
たった、2回の公演のために。

バイト代も、睡眠時間も、授業の出席も、友達との飲み会も、恋人なんかも犠牲にして、公演に向き合わなくてはいけない。
なんであんなにひとつのことばかり考えられたのか今でも不思議に思うほどに。
僕自身、何100回と練習した公演のフリを、話しながらでだって踊れたあのフリを、公演以来もちろん一度も踊っていない。

これで終わりという刹那性。そして熱量と密度。


そんな力の中に僕らは学生時代、ずっといた。
学生の時、僕らには常に終わりが待っていて。
その終わりのことが、見えていた。
それが当たり前だと思いながら。

SMAPの中居くんがいいともの最終回のスピーチでこんなことを語った。

「やっぱり・・バラエティって非常に残酷なものだな、とも思います。歌の世界っていうのは、いずれかライブとかやれば最終日があって。 ドラマもクランクアップがあって。 映画もオールアップがあって。 なんか始める時にその終わりを・・ゴールに向かって・・それを糧にして進んでるんじゃないかなって思います。
でも、バラエティは終わらないことを目指して、進むジャンルなんじゃないかな、と。 覚悟を持たないといけないジャンルなんじゃないかな、と思いながら、「いいとも」に立たせてもらったのをきっかけに僕は、バラエティを中心にSMAPとしてやらさせてもらおうかな、と。」

このバラエティの考え方と社会人になった今の生活が重なる。

終わらせないことを目標に進むもの。
僕らは社会人になるとき、初めてそれを突きつけられる。
終わりの見えていない生活。
「いつまでこれをやるのかな」という葛藤に突然向き合わなくちゃいけない。

あれ?もしかして、刹那性を失った状況を大人って呼ぶのか?

3年くらい前、僕が結構無理をして働いていた時。
会社の先輩に怒られた。
「仕事は長距離走。長く走るためにやるべきことをもっと考えなさい。」
確かにそうだと思った。
まだ何十年も働く可能性があるとして、今無理をして体を壊したら。

世の中や会社は、いつも僕らを焦らせてくるけれど。
焦る必要なんてないのかもしれないな。
これから先のゴールは自分で作っていくんだ。
逆に言えば、作らない限りずっと続けていられるのだ。

終わらない。続いていく。走り続ける。
そんな美しさにもっと光を当てられないものか。

みなさんのマラソンはどうですか?
僕みたいにゴールなんて見えないですか?

でも、走りましょうね。一緒に。

できるだけ長く。

明日も。明後日も。

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