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お気に入り作品の読み返しと、プレゼン大会の振り返りの記録。

私が、村上春樹作品の中で一二を争うくらいで好きなのが『スプートニクの恋人』。

それが証明になるかはわからないが、過去に二度ほど紛失している(涙)のだが、都度再び手に入れるほどには、好きだ。

つい最近、幼馴染が「読みたい」というので貸すことになり、その前にもう一度読み直してみて、改めてこの作品が好きだと感じた。
天下の村上氏の作品で素晴らしい文章力、春樹ワールド前回なのは言うまでもないのだが、数ある作品の中でも特に繊細で清らかな文章・ストーリーだと私には感じられるのだ。

今回読み返して心に残ったところを2つ紹介したい。
1つ目。

わたしはただ、書かずにはいられないから書いていただけだ。
どうして書かずにはいられないのか?その理由ははっきりしている。何かについて考えるためには、ひとまずその何かを文章にしてみる必要があるからだ。
小さなころからずっとそうだった。何かわからないことがあると、わたしは足もとに散らばっている言葉をひとつひとつ拾いあげ、文章のかたちに並べてみる。もしその文章が役に立たなければ、もう一度ばらばらにして、またべつのかたちに並べ替えてみる。そんなことを何度か繰り返して、ようやくわたしは人並みにものを考えることができた。文章を書くことは、私にとってはそんなに面倒でも苦痛でもなかった。ほかの子供たちが美しい小石やどんぐりを拾うのと同じように、わたしは夢中になって文章を書いた。わたしは息をするようにごく自然に、紙と鉛筆を使って次からつぎへと文章を書いた。そして考えた。

そして2つ目。

考えてみれば、自分が知っている(と思っている)ことも、それをひとまず「知らないこと」として、文章のかたちにしてみる―それがものを書くわたしにとっての最初のルールだった。「ああ、これなら知っている。わざわざ手間暇かけて書くことないわね」と考え始めると、もうそれでおしまい。わたしはたぶんどこにも行けない。たとえば具体的に言うと、まわりにいる誰かのことを「ああ、この人のことならよく知っている。いちいち考えるまでもないや。大丈夫」と思って安心していると。わたしは(あるいはあなたは)手ひどい裏切りにあうことになるかもしれない。わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には、私たちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。
理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。
それが(ここだけの話だけれど)わたしのささやかな世界認識の方法である。

この2ヶ所が今回印象に残った理由は簡単。それはこのような感覚を最近味わっていたからだ。

すでに何度か書いているけれど、先日まで、社内で各社員によるプレゼン大会が行われた。他人のプレゼンも聞いたし、自分もプレゼンをした。自分のプレゼンの準備も含めて、自分に対しても、他人に対しても、様々なことを考え、感じる機会となった。

まず自分について気づいたことは、
・振り返ってみれば、幼少期から本やことば(表現としておよび言語・外国語)が身近にあったし、好きで興味があった。
・上記の通り子供の頃から本がすきだったのにも関わらず、新卒時代は四艇だ本の記憶がない(これは今回プレゼンのために振り返ってみて気づき、愕然とした)。現実逃避でマンガばかり読んでいた。
・転職し、数年たってからだんだんと地に足着けられるようになってきてからは、マンガは全然読まなくなった。(あれだけ熱心に集めていた某海賊マンガも手放した笑)
・一方で、新卒時代、1週間のご褒美として某バスケマンガの特装版を1冊ずつ買い集めた。当時の心の支えであり、今も手元にある唯一のマンガ。
・アートが好きなのも、ルーツは幼少期にあった。
・視野が狭かったり、リサーチや考え方が甘かったところはあったかもしれないが、人生の岐路では〝自分なりの理屈〟をつけて、自分で決断してきた。
・SNSやこのnoteなど、自分が投稿することも、他人の投稿を見ることも好き。コメントなどのリアクションもする。・・・コミュニケーションや交流をする感覚。→人とコミュニケーションを取ることが好き。
・本をはじめ、様々な文章を読むことが好き=インプット ※
・文章を書く(仕事での原稿・取材記事、日記、ブログ)ことが好き=アウトプット ※
この2つ(※)の行為はセットで、どちらも私にとって不可欠なこと。本を読んだり、それ以外にも日々起こることから影響を受けたりして感じたり考えたりすることを、「書く」ことで整理をつけていると、今回のプレゼンを作る過程で実感した。

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『スプートニクの恋人』で今回印象に残った箇所の1つ目、登場人物の〝書かずにはいられない〟という衝動に近い感覚、そして〝書くことを通じて、考える〟という行為にすごく共感する。もっと言えば、「そうそうそういうこと!」と、自分のことを説明してもらった感じがしたのだ。

2つ目に関しては、まさにこのプレゼン作成に向き合った心境に当てはまる気がした。
自分のことなどすでに十分〝知っている〟と思っていたら、上にあげたような自分に対する気づきは得られなかったと思う。改めて自分を見つめてみて、自覚していなかったことや、すでに認識していたことでも別の見方を見つけることができたという手応えが得られたのは、自分のことをひとまず〝知らないこと〟として扱った成果と言えるだろう。
またこの部分が表現していることは、自分のほかの社員に対する姿勢・態度にも通じる。この度のプレゼンで、それぞれの知らない面に大いに触れることができた。これまでいかに、「〇〇さん/くんはだいたいこういう人だよね」と〝わかった気になって〟接していたのかを思い知った。
そしてさらに、各プレゼンを聞いたそれぞれの感想を聞いてみると、また発見がありそうだということだ。まだ一人二人にしか聞いていないが、そこには自分が感じたこととは違った感想があって、それを聞くことでまた視野が広がって面白い。自分だけの「このプレゼンではこう感じた」で、他人のプレゼンから受け取り得るものを〝知った〟気になるのはもったいなと思った。機会を見つけて、まだ聞けていないほかの社員に、各々のプレゼンにどんな感想を抱いたのかを聞いてみたいなということを、この文章を読んでいて改めて思う。

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