感情は1話完結型が良い!?の続き。

先日は、このことを思い付いたきっかけとして、褒められることが苦手になったところまで書きました。

褒められて、それを真に受けると、後で痛い目見る。
だから、褒められても真に受けちゃいけない(否定する)。
それがゆがみにゆがんだ結果、
〝褒められてはいけない〟というところまで行き着いていたのかなと思います。

ただ、当然ながら褒められることが悪いことなのではなく、
おそらく私の両親はそれをうすうす感づいていたのかもしれませんが、
褒められて調子に乗る、乗りすぎるところに、私の問題があったのだという気がします。

それは、褒めてもらった時に、
〝必要以上に自慢したい、ひけらかしたい気持ち〟が顔を出すこと。
自分はすごい。
それを周りに認めてほしい。
そんな気持ちが心の底にあり、(今でもゼロではないと思います。恥ずかし~)
それゆえ、褒められた時はその〝高揚感〟に陶酔しがちでした。

で、
そこからなぜ、「感情は1話完結型」という発想になったかと言うと。

いずれにしても、そういう時の私は、
湧き起こった感情を正しく味わい切っていないのだな
と思ったからなんです。

褒められた時、〝嬉しい〟という気持ちが本当はあるのに、
「いけないこと」だとフタをして、その気持ちをないものにしてきた
こともその1つ。

そして、
調子に乗って、褒められたことをひけらかしに使おうとする行為も、
一瞬の感情を引きずってしまっています。

あの時褒められた私ってすごいと、ドロドロした執着がそこにはあります。

感情って、本来どんなものでも美しいものだと思うんですよね。
それが感じられるというのは、生きているということだから。
つまり、その時その瞬間の気持ちを否定する必要なんてないんです。
それは、嬉しい気持ちや誇らしい気持ちであっても、怒りや悲しみであっても同じだと思います。
あってはいけない感情などないはずだから。

なのに、無理やり抑えつけたり、変な風に利用したり、
自分の都合でゆがめてしまうから変なことになる。

だから大事なのは、
湧き起こった感情をその時にきちんと味わい尽くすこと。
味わい尽くして消化すること。

そうすれば、それは自分自身の中に蓄積されて糧になるし、
自己肯定感も高まるから、
承認欲求にとらわれて変な自慢をしたりする必要もなくなると思います。

何か起きた時のその場面で、湧き起こった感情をちゃんと味わって完結させることが大切だな、という思いが湧いて、
それで、感情は1話完結型が良いなと思いついた、というわけです。


ご理解いただけましたでしょうか・・・?
うまくまとめられたかはわかりませんが、考えたことはすべて書き切れた気がするので良かったです(自己満足、笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?