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「3対1」で幸せになれる。

気づけば2週間、noteを書いていませんでした。
ちょうど仕事の締め切りが近づき、慌ただしくなっていたからということも理由の1つですが、
根本的な原因は、些細なイラつきやモヤモヤした気持ちが積もり積もって、気力が落ちていたからにほかなりません。
こうやって言葉にしてみると何とも情けないですね(笑)

先日それこそnoteに書いたのですが、noteを書く前に私は、手帳に手書きでその時々の気持ちや考えを書いて整理しています。
この2週間は、noteだけでなく、この手帳を書くという行為もストップ。
すなわち、自分の気持ちの整理がおろそかになってしまっていました。
自分の心境が健全な状況でない、このままいくとよろしくないからきちんと向き合った方が良いという自覚はあったものの、
気力が落ちすぎていたのか、どうにもできずじまいだったんです。

その結果、案の定、先週とある場面で感情の暴走を起こしてしまいました。トホホ。

というわけで、この週末というか昨日は、ちょっと落ち込んでいました。
感情の暴走を起こしてしまったことに対しても、
「だからもっと早く向き合っていれば良かったんじゃん!」と気力が落ちて自分の気持ちと向き合うことを避けていたことに対しても、
自分を責める気持ちに苛まれました。
さらに、未だにイライラしたりモヤモヤしたり悩んだりする自分にも嫌気がさしてきました。
ポジティブな気持ちで、やる気に満ちている時、楽しい気持ちに満たされている時もあるけれど、
常にそうでないとまだダメと、どんどん自己否定の沼底に沈んでいく感覚。

お風呂に入りながらも悶々とし、ふとんに入ってもしばらくは気持ちがざわついてなかなか寝付けないほどでした。

そんな私を救ってくれたのが、今日の毎日新聞日曜版に載っていたこちらのコラム記事。

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はじめは、

「言葉」を使わなくても「言葉」を感じさせる行動がある。その行いにこめられた「励まし」、「感謝」、「思いやり」を感じる時、時間は短くても私たちの心の中に温かい思いが生まれ、つらくても前を向いていこうかという気持ちになる。

というところを読んで、
やさしさを感じる行為や〝気の良い〟行動に触れると(直接的でも間接的でも)、自分も晴れやかな気持ちになることはよくあるなと思い浮かべ、
明るい気持ちになりました。

でも、そのあとに書かれていたことによって、私の気持ちは完全に浮上しました。

最近のポジティブ心理学の研究に、「3対1」の理論がある。一点の曇りない幸せな状態を目指さなくてよい。うつでネガティブな気分が1あっても、ポジティブな気分が3の割合であればよいというものだ。
日常の中で、ゆううつな気分がおこった時、その割合の3倍、ポジティブ感情をキープするのを目指すと心が健康的になるとされているのだ。

これを読んで、私は、知らず知らずのうちに〝一点の曇りない幸せな状態〟を自分に課していたのだということに気づきました。
そして、曇る時、つまりは悩んだり上手くいかなかったりする時があったとしても、自分は幸せで良いのではないかと思えました。
そもそも、24時間365日悩んでいたり落ち込んだりしているかといえばそんなこと全然ないし、
私は元来ポジティブ思考な人間なので、たぶんネガティブの3倍くらいポジティブで過ごせているはずだから。

もっと言うと、厳密に3対1かどうかすらもどうでも良くて、
もうこれは、上手くいく時ばかりでなくても「自分は幸せです」と自分が自分に許可を出せるかどうかの問題だという気がします。
生きていればいろいろなことがあるし、
ネガティブな感情を味わうことも自然なこと。
その自然なことを否定していたら、ポジティブを感じる瞬間があるにも関わらず、いつまで経っても幸せにはなれないですからね。

もちろん、モヤモヤしているのは、自分にとって何か問題や不具合があるということなので、これはきちんと解決するために向き合う必要があります
でも、モヤモヤしたり問題にぶつかること自体は否定しなくて良いし、
そういうことがあっても私は幸せになれる(幸せであって良い)ということを覚えておきたい
と思います。

よし、気持ちも浮上して、問題と向き合う気力も湧いてきたぞ~!


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