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感情は1話完結型が良い!?

数日前、突然そんなことを思い付きました。
どういうことか、自分自身の整理のためにも言語化してみようと思います。
すなわち言語化の過程なので、よくわからない文章になるかもしれません。
でも、書いていくことで整理がつくという書くことの効果を実感したところなので、とにもかくにもやってみようと思います。
気が向いた方はお付き合いください。

こんなことを思いつくきっかけになったのは、たぶん先日書いたことhttps://note.com/mochi51/n/ndeabbe467456に関連している。

もう長いこと、自分は〝叱られて伸びるタイプ〟だと思って生きていたのに、実は褒められて嬉しい=〝褒められることが好き〟だったなんて、どこでこんがらがってしまったのだろう・・・?と気になりはじめ、何とはなしに、頭の片隅でぼんやり考えていたんです。

そしたらふと、子どもの頃のある情景が思い浮かびました。


それは、小学生くらいの頃。父母(兄もいたかな?)と一緒に、親戚のおじさんおばさんと食事か何かに出かけた時のこと。

おじさん、おばさんは私を可愛がってくれ、よくいろいろなことを褒めてくれました。「あーこは偉いね」「すごいね」と(子どもに対してよくあることかもしれませんね)。
そんな時、私はいつも、内心で有頂天になってました。「私ってすごい!?」と。

それで調子に乗って、自信過剰な大人になって失敗した、痛い目を見た、

というわけではないんです。私の記憶に残っていたことはもう少し複雑(?)で、
そんなふうにおじさん、おばさんが褒めてくれた時に必ず、
私の父親が(母親も?)「そんなことない」と否定するような言葉で一刀両断してきたのです。
今思えば、そこまで大げさな言われようではなかった気がします。ただ、まだ幼かった、世の中の酸いなど知らず甘さのみに厳重にくるまれて生きていたような私にとっては、そのくらいに感じられてしまったというだけで。

そして厄介なことに(?)、うちの親戚は関係が濃く、お家を行き来したり外へ食事に行ったりすることが割と頻繁にありました。その度に似たようなことを経験しました。

それが小学生の頃。
そして中学生の頃にも、あまり詳しいことは書きませんが、やはり「私ってすごい!?」と調子に乗りかかったことがあり、その時は母にピシャリとやられました。
それも今なら母の判断は正しかったと思うのですが、その頃の私はへそを曲げ、「私は褒められちゃいけないんだ(怒り泣き)」と、ひどい拡大解釈をしてしまったんです(これも今だからそう思えることです)。


私がこんがらがった原因が、なんとなくカラクリが見えてきましたね(見えてないですって?笑)

つまり、誰かが褒めてくれたりしたとき、
その褒めを否定する言葉や、その真逆の(ように思える)お叱りがセットでやってくるものだと私の中で定義づけされてしまったんだと思います。
そして、そのギャップにダメージを食らうのが嫌で、
誰かに否定されるのが怖くて、
先に、自分で、否定するわけです。
もっと言えば〝褒め〟を受け取らないようにしていたんです。


わぉ!歪みまくってますね(;'∀')
これで、私が褒められることが苦手になった理由の解明ができました。
ここからなぜ、タイトルのような思い付きが生まれたのかの言語化はもう少しかかりそうです。
長くなってしまったので、一旦一区切りさせていただきます。

続きをお楽しみに?


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