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#54★愛しさが込み上げてくる子育て

「寝れないの。」
次女が気まずそうに、ぼそっとつぶやく。

小学5年生になって、ひとりで寝れないのはなんだか気恥ずかしさがあるらしい。

「ママ歌って?」
なんて可愛いお願いだろう。次女の願いが愛おしい。

「うん。横になって?」
次女のお腹にタオルケットをかけ、一緒に横になりながら子守唄を歌った。

『ゆりかごの歌』『ゆうやけこやけ』
この2曲は長女が赤ちゃんの時から13年間歌い続けてきた、ママの十八番だ。いや、もはや催眠術なのかもしれない。

歌い出して5分くらい経つと、スゥースゥーと寝息が聞こえてくる。たまたまではない。いつもなのだ。

『ママの子守唄を聴くと眠くなる』と潜在意識にインプットされているのかもしれない。ちなみに他にもたくさんの童謡を歌ってみたけれど、圧倒的に寝つきが良かったのが先述の2曲だった。

さらなる裏技として寝付きに有効なのが、呼吸を合わせること。

子守唄でスゥースゥー聞こえ始めたら、こどもの呼吸に合わせてこちらも呼吸をすると、寝息はグゥーグゥーに変わっていくことが多い。

(※これは意外と大人にも効きます!笑)

自分の歌声と呼吸でよく眠れるだなんて、そんな嬉しいことはない。いつまで味わえるか分からないけれど、ささやかな日常の喜びだ。


次女が寝付いたと思ったら、今度は小学1年生の長男が寝ぼけて起き上がり、寝言を言い出した。

「まって!!!まってよぉ~…。うぇーーん…。」

誰かを呼び止めたかと思いきや、泣き出してしまった。普段よりも幼い泣き方だった。

「おぉ。どうしたどした。〇〇くん、ママだよ?大丈夫だよ。大丈夫…。」

そう言いながら長男を抱きしめて、布団に寝かせた。長男は寝たまま「ぐすん…。ふぅん……ふぅ…。」とべソをかきながら、呼吸を整えていった。

長男の胸にそっと手を置くと、いつも以上に鼓動が早かった。ドクンドクンドクンドクンッ…。

左手はそのまま胸にそっと置いたまま、右手で息子の髪を優しく撫でた。少し額が汗ばんでいた。

「暑かったね。お腹だけかけとくね。」

タオルケットをお腹にかけると、彼は丸まったように横向きに体勢を変えた。そのフォルムに合わせるように、後ろからそっと抱きしめた。

まだ私の体の中にすっぽりおさまる息子に、愛おしさがこみ上げてきた。もうすっかり寝付いた彼の髪を、優しく何度も撫でていた。


「ひとりでゆっくり寝れる日が来ますように」と願っていた日々がすでに懐かしい。ほんの数年前の話なのにね。

今ではもう、「この子たちの寝息を聞きながら寝る日はあと何日あるのだろう」と漠然としたカウントダウンが始まっている。

実際に、中学生になった長女はすでに別室で寝るようになっている。

『終わりの見えない子育て』から、『期間限定の子育て』に意識が変わったのはいつからなのだろう。

ただ、不思議なことに、寂しさも焦りも全くないのだ。かといって、喜びも解放感も感じない。

おそらく、やりきったのだと思う。

その時々でしっかり向き合い、対応してきた自負がある。こどもたちの中に安心感を育んできた、と心から思えているのだ。自分に出来ることは精一杯やった。充分に伝えた。心から愛してきた。

だからこそ、後悔が全然ないのだ。

そして、この環境が無くなったとしても、この経験と思い出はずっと残ることがもう体感として分かっている。こどもたちの中にも『自分は愛されている』感覚はきっと残っている。そんな確信もある。

だからこそ、寂しさが全くないのだ。

これから離れても、ずっと繋がっている。
ずっと繋がっているけれど、ちゃんと互いに離れられる。

その自信があるからこそ、もう大丈夫だと思えているのだと思う。


「マーマ…。」
今度は寝言で呼ばれてしまった。

「んー?」
そっと長男に近づき、頬を撫でる。 

「ふふふ…。」
眠ったまま嬉しそうに笑う息子に、思わず鼻をすりよせた。なんて可愛いんだ君は!!!

やっぱり、もうしばらく、この可愛さを堪能させてもらおう。期間限定と思えている状態での子育ては、ほんともう、ご褒美でしかないのよ。

ありがとね。ごちそうさまです。

たまには子育てで悩むこともあるけれど、今をめいっぱい味わおうと思う。

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