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わたしはかつて"口のない"留学生だった

「ねえねえ、人種差別ってどう思う〜?」

もしこんな質問を投げかけられたら、どう答えるだろう?

おそらく、「ないほうがいいに決まってるけど、なくならないものかな」だとか「絶対よくないよ!」だとかの答えになるんだろうと思う。

「もっとやれ! って思うよ」なんて答えは、今のところ、幸運なことにわたし(もか)のまわりでは聞いたことがない。

確かに「人種差別」と言われると、良い気はしない。でもそれは確かにあるのだ。海外にも、日本にだって。

身近に迫る人種差別

"それ"を身近に感じたのは、まだ10代のころだった。意外と早いほうだと思う。

当時わたしは海外留学したばかりで、右も左もわからないなか、先生に手伝ってもらいながら時間割を選んでいた。

結果、アドバイスのもと選んだのは「理科」「ESOL(留学生用の英語クラス)」「日本語」「数学」「IT」の5科目。英語力ゼロでの留学だったが、不安や緊張というよりなんだか現実味がなく、単身日本を出てからずっとふわんふわんしていた気がする。

「家政学」や「演劇」など見覚えがない教科も多かったので、「どの科目だと単位が取りやすいですか?」と、なんともたどたどしい英語で訊きながら決めた。

でもその答えがまったくのデタラメだと知ったのは、時間割を変えてもらうにはもう遅い、その直後にあった休み時間のことである。

「授業、どれ選んだの?」

同じ日本人留学生が興味津々に訊いてきた。

「ESOLと、数学と、日本語と…」

思い出しながら答えていく。最初はうんうんうなずいてくれていた新しい友達だったが、「ITと、理科」と答えた瞬間、表情に蔭が差した。そして心配そうに眉を落として言うのだ。

「ITと理科なんて取ってる日本人いないよ! 専門用語難しすぎて、1年目じゃまったくわからないし…。それに、先生が留学生嫌いだから気を付けたほうがいいかもよ」

前半に関してはまだ理解できた。わたしたちは"交換留学生"ではない。"正規留学生"であり、これは"卒業留学"なのだ。

単位が取れなければ当然、留年する。基準だって現地の生徒と同じ。英語が苦手だからといって、容赦してくれることはない。

その学校ではとりあえず卒業を目指し、ひとまず(英語耐性が付くまでは)日本人でも単位が取りやすい科目を取るのが定石のようになっていた。

そこに同じ日本人がいれば、なお心強いことだろう。なにしろ最初の段階では、宿題が出ていることすらわからない英語力なのだ。

それはわかる。でも、後半は?

「留学生が嫌いな先生?」そんなこと、ある? 率直な疑問だった。

でも、わかっていないのは自分のほうだったんだと気付くのに、そう時間はかからなかった。

先生だって人間だもの

留学してはじめての授業は理科だった。友達の言葉が頭から離れない。ここでようやく「不安」になった。

留学生担当の先生に、教科のクラスに連れて行ってもらう。(基本、すべて移動授業で固定のクラスは朝と昼に集まるホームルームだけ)

簡単に紹介してもらい、席に座らせられる。一番後ろの席だった。日本人はいない。

実際はもうひとりいたのだけど、交換留学生だったので週に1〜2回は必ず休む子だった。単位を取らなくていい、というのは要するにそういうことでもある。(一方で、めちゃくちゃ真面目な子もいる)

「じゃあ、昨日言った実験するから、好きなように2人1ペアになって」

席に座った途端、先生が言う。当時はそれすらちんぷんかんぷんだったが、日本人特有の「察する能力」でまわりの行動を見たら、どうやらそういうことだった。

でも、わたしは放置。先日の記事でも述べた「根暗だったわたし」は、この「好きな人とペアになって」がとても苦手だった。

日本で苦手だったものが、海外に出たからといって突然得意になるわけはない。加えて、学校初日の話だ。友達どころかまだ、現地の同級生と話したこともなかった。

そうしている間にも、ペアはひたつ、またひとつと出来上がり、教室の壁に沿うように設置された実験用のテーブルに集まっていく。

気付けば真ん中に取り残されているのは、自分だけだった。目立っている。留学生というだけで、唯一の日本人だというだけで、編入生というだけで非常に目立っている。

「よし、はじめるぞ〜」

先生の対応は辛辣だった。肩身の狭い思いをしている留学生を取り残し、授業を続けようとしたのだ。

海外渡航を決めた時点で、甘えがあったわけではない。選んだのは自分。英語ができないのも自分。多少のつらさは覚悟していたはずだった。

でも、先生からの無視。さすがにこれは予想していなかった。とはいうものの、このままでは本気で「わたしの存在」はないものにされてしまう。

先生に近寄った。薄いグレーの目が、こちらを見下ろす。なんだと言わんばかりであったが、その口が開くことはない。見るからに不機嫌そうな表情だった。

「ペア、いないんですけど…どうしたらいいですか?」

今世紀最大の勇気を振り絞った訴えだった。英語ができないというのはおそろしい。反応がないと、伝わっているかどうかすらわからないのだから。

でも、言った。知っている単語をつなぎ合わせ、身振り手振りも付けて、必死に。

教室がしんと静まり返る。

音が止まった。

見られている。背中に突き刺さるものがあった。でもどうしようもない。今日も明日も明後日も、わたしはこのクラスにいるのだ。

クスクスと、誰かが笑いはじめた。「英語がたどたどしくて可愛いわね」。そんな親近感の持てる笑いじゃなかった。

これは日本でも感じたことがある。

誰かを馬鹿にするときの、ちょっと抑えた笑い方だ。同時に、先生が小さく溜め息をつくのが見えた。また友達の忠告が蘇る。ああ、そうか。この先生は留学生が嫌いなんだっけ。

「じゃあ、エイミー(仮名)。お前のとこに入れてやってくれ」

「エイミーって誰ですか?」。そんな質問はもう許されなかった。先生はすでに「時間を無駄にした」と言わんばかりのスピードで、授業に戻っていた。

唯一の救いは、エイミーが比較的良い子だったということだけだった。

「どうせわからないんだから」

海外留学をすると決めたとき、まず用意したのはICレコーダーだった。最初のほうは授業についていけないだろうからと、家での復習用に買ったものだ。

だけど先生の許可なしに録音するのは気が引けたし、なにより一番後ろの席からではほかの生徒の声が大きく入ってしまってやりづらい。

とはいえ、なにがなんでも単位を取らなきゃ。なりふりなんてかまっていられない。

授業後すぐ、先生に話しかけた。「あの…」。とりあえず反応はしてくれたが、足先はすでにドアのほうを向いている。早く帰りたかったのだろう。でも、わたしにだって言いたいことはある。

悪いことをしているわけではない。むしろ留学生にしては熱心なほうではないか。英語ができないにしては、初日しては頑張っているほうではないか。

そう自分に言い聞かせ、口を開く。

「英語がまだよくわからないので、授業を録音させてもらっていいですか。あと、後ろだとホワイトボードも見にくいし、録音もしづらいから一番前に座りたいんですけど」

今度はすぐに返事が戻ってくる。なんとか伝わったらしい。

でもそれは、期待していた言葉ではなかった。

「録音は許可しない。だいたい、前の席にはやる気がある奴を座らせたいんだ。英語なんてお前にできるようになるはずないんだから、後ろで大人しくしてくれるのが一番だな。それから、今日みたいな手間をかけるのはもうやめてくれよ」

愕然とした。ハッと我を取り戻したとき、そこにはもう誰もいなかった。ただただ、泣きたい気分だった。惨めで、来なければよかったとすら思った。

不思議なもので、英語はわからないのに悪意のある言葉だけはなんとなく理解できてしまう。

実に悲惨な初日だった。

口のない"留学生"

わたしのお世話になるホームステイは学校から遠かったので、スクールバスに乗らなければいけなかった。朝と夕方一本ずつしか出ていないそれを逃すと、その日はもう学校に行くこともできないし帰ることもままならない。できないのはまだいい。帰れないのが一番怖かった。

授業終了の鐘が鳴り、15分後には出発してしまうバスのために走る。

当然歩いても間に合う距離だったが、これには意味があった。

バスに近付いたところで、ああ、と溜め息をつく。今日は無理だったか。嫌だなあ。乗りたくないなあ。足取りも自然と重くなる。

「ハーイ! 今日は遅かったね!」

運転手さんだけが元気に挨拶をしてくれる。でも駄目だ。この笑顔を信じちゃいけない。これは助けてくれない"大人"だ。

留学してから数日、心はすでにすさみきっていた。

仕方なく残った席に腰を下ろす。少し待つと、景色が動きだした。

バス停は決まっているので関係ないが、誰かが遊び心でボタンを押す。バスは日本製。大きく「次、停車します」と聞き慣れた言葉が響いた。

「何語だろうねー。変なの!」「面白いからもう一回」

あちこちから聞こえてくる。英語はまだわからない。たぶんそんなことを言っているんだろうな、という感じだった。「それ、日本語だよ」なんて言える雰囲気ではなかった。そもそも彼らにとって、わたしが日本人か中国人か、韓国人かなどどうだっていいのだ。

そうしているうち、頭に鋭い衝撃が走った。

何かを思い付いただとか、そんな比喩的表現ではない。文字通り、"痛み"が走ったのだ。後頭部に。

小さくうめいたが、それはもう"少し遅れたとき"の恒例行事だった。

基本、バスの席は自由だ。けれども、毎日同じメンバーで乗っていれば、おのずと座る席は決まってくる。わたしの場合、早く着いたときは後ろのほう、少し遅れてしまったときは前のほうに座っていた。

これがいけなかった。

前の席に座ると、ひとつ後ろの中学生が全力で頭を叩いてくるのだ。それはバスに乗っている30分間、ずっと続く。

最初のほうは「たまたま手が当たっただけかな?」と思い込もうとしたり、「痛い!」と言ってみたりしたが、反応すると笑われた。

その日から、わたしは"口のない留学生"になった。

問題は英語だけではない

こういった状況はいくらでもあって、それをどう打破し、乗り切っていったかはまた別途記事にしたいところであるが、大人になった今でも、少なからず似た感情を覚えることはある。

当時わたしは、英語さえ話せれば差別対象から抜け出せるものと思っていた。

でも違った。

例えば、カフェで働いていたとき。見た目でわたしが外国人だとわかるやいなや、ものすごくゆっくり、身振り手振りを付けて単語だけで注文をしてくるご老人のお客様がいた。たぶん、悪気があったわけではない。おそらく、むしろ気遣ってくれたのだ。

けれどわたしの感想は「優しいな」だとか「ありがたいな」だとか、そんなものではなかった。

それはどこか「お前にはどうせ英語なんて話せないだろう」と言われているようで、なんだか悲しいような、悔しいような、もどかしい気持ちになったものだ。

そして普通に対応すると、ご老人は驚きの色を顔に乗せて「どこから来たの?」と問う。

「日本だよ」

そんなときには、少なからず誇らしい気持ちになったが、ご老人はさらに驚いた表情を浮かべた。

「まあ! 日本人なのに英語ができるなんて驚きね!」

噛みしめるように、もう一度。

「日本人なのに…」

一応お礼は言うものの、それは決して褒め言葉ではない。要は、「日本人は英語ができなくて当然」というステレオタイプがあるということなのだ。

確かにそんな日本人もいるだろう。昔のわたしもそうだったから覚えはある。

でもわたしがいた国は少なくとも、両親はアジア人でもその国で生まれ育った英語ネイティブの人たちがたくさんいた。そんななか見た目で判断するということ。

それは小さな人種差別に感じられたのだ。

フレンドリー?いや、差別かも

日本は良い場所だ。みんな真面目だし、仕事はちゃんとしてくれるし、コンビニは夜遅くまで開いているし、電車が時間通りに来る。

それは素晴らしいことで、海外にいるとそんなことが懐かしくなったりもする。

でも、日本でもどこにだって差別は発生し得る。

わたしの知人家族(奥さんは日本人、旦那さんは英語ネイティブ)が一時期日本に住んでいたときのこと。

旦那さんは見た目からして外国人だ。誰が見たってわかる。そんな彼が公共交通機関に乗ると、話しかけてくる人がいる。誰が、というわけではない。誰かしらが肩を組む勢いで話しかけてくるのだ。

生の英語を練習したい誰かが。

外国人だからといって、誰もがその突然の突撃に対応できるわけでも、快く対応してくれるわけでもない。なにより、自分が「練習台にされている」とわかっていればなおさら。

彼が外国人の見た目をしてさえいなければ、話しかけられることはなかっただろう。

想像してほしい。電車に乗っていて、突然知らない人からグッと距離を詰められ、ペラペラとよくわからない話をされる自分の気持ちを。「えっ、なに?」と感じる人も多いのではなかろうか。

なににしろ、本人はそれで嫌な思いをしている。海外では偶然隣に座った人に話しかけられるというのはたまにある話だが、日本がそういう国でないというのを彼は理解していた。

そうなるとこれはもう立派な人種差別だ。

本人が嫌だと感じたら差別になり得る

難しいところであるが、本人がそう感じてしまったら、それはもう差別なのだ。

だからこそ、わたしたちは日々気を付けなければならない。

優しくしてあげているつもりでも、本人にとったらありがた迷惑になっている可能性。英語を練習しているだけのつもりでも、本人に不快感を与えてしまっている可能性。遊んでいるつもりでも、本人は傷付いている可能性。

さまざまな可能性を考えながら、人と付き合っていきたい。

Twitter⇒@MochaConnext
複数ブログ運営中⇒雑記/ポップカルチャー/レビュー/英語学習/アメブロ(めまい闘病日記)

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