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Log

僕らがつくるマンションのメインブランド
“Logシリーズ”。

Logとは大航海時代、船内で使われていた計測器。
つまり、スピードメーターが語源だ。
そこから記録などに言葉は転じて、
今では“log in”、“ log out”という使われ方もする。

僕らが何故Logと名付けたのか。
それにはいくつかのエピソードがある。


15年前、僕は福岡から上京した。

住んでいたのは目黒区東山3丁目。
これまで積み重ねて来た全てのキャリアを捨て、小さなワンルームからの再スタート。
それまでも、東京には月1、2回のペースでは来ていたし、短い期間だけど住んでいた事もある。だけど出張だったり、当時のキャリアのままだったり、ベースを持ちながら訪れる東京と、本拠地が東京になるのとは全く感覚が違う。当時の僕には、常に緊張感とよそ者感が漂っていた。

引越しの日には、熱海から妹が手伝いに?!小遣いをもらいに?!来てくれていた。
遥々福岡から到着したトラックには、それまでの贅沢な暮らしを体現するかのような沢山の家具や荷物が積まれていたけれど、18平米しかない小さなワンルームにそんな大量の荷物が入り切る訳もなく(当然相当数を、あげたり捨てたりした筈なのに)、ソファなんかはエレベーターにすら乗らない。
当時は最新だったAQUOSの液晶テレビなんて、巨大な画面に視聴距離が合わず、具合が悪くなる始末。申し訳なかったけどトラックの荷物のうち、半分くらいを持って帰ってもらった。

今までの家具が全く役に立たずに途方に暮れていると、妹が気を使って「東急ハンズに行こう!」と誘ってくれた。
僕は福岡で散々豪華で自由な暮らしをしてきた。それをよく知っている妹は、東京での余りの落差に、本当はショックを受けていたと思う。何しろ小さなワンルームでもう一度、一から始めると決めた当の本人の心が折れそうだったのだから。

2人で収納ケースなどを買い込んで、タクシーに乗った帰り道。住所を書いたメモを忘れて来てしまい、仕方なくマンション名を伝えた。
スマホはもちろん、Google マップもない当時、渋谷から池尻まで向かう道中の事だった。

運転手さんは機嫌が悪かったのか、
元々気性の荒い人だったのか、
「マンションの名前言われても分かんねぇからよ。」
とぶつくさ言って追い討ちをかけてくる。

小さなワンルームの事、トラックの荷物の事、これからの不安、焦り、怒り・・・

何かがプチっとキレそうな瞬間。右側から
「コラ、おっさん!!」
とドスの聞いた北九州弁が聞こえてきた。

妹が散々まくし立てた結果、池尻大橋駅前のファミリーマートで降車する事で決着した。それぞれ沢山の荷物を抱えて、うる覚えの東山3丁目を歩いて家に帰った。

夜、近くのとんかつ屋さんに行って二人でご飯を食べて、妹は帰って行った。
未だに伝えられてないけれど、あの時運転手さんに怒鳴ってくれた事、すごく感謝している。
少しファイトが沸いたし、冷静になれた。

それから1ヶ月程経って、新宿で仕事を終えたある夜の事。
東京は台風みたいな大雨だった。
山手線で渋谷に向かいながらタクシーの事を考えた。
「池尻大橋の駅からだと近すぎるしな・・・」
引越しの日のことを想い出す。タクシーに何だか抵抗があった。

結局、田園都市線には乗り換えず、渋谷からタクシーに乗ることにした。すぐにタクシー乗り場へと急いだけれど、すでにそこには100人以上の人が列を作って待っていた。バブルも知らない、福岡育ちの僕には大都会のタクシー行列なんて、想像もつかなかった。

面食らった僕は、さらに田舎者ぶりを発揮する・・・
その辺を歩けばタクシーなんて捕まるだろうと、ビニール傘であてもなく(しつこいけどスマホもGoogle マップも無い)ウロウロし続けること40分。
気が付いたら代官山辺りまで来ていた。ずぶ濡れの僕は、ようやくタクシーに乗ることが出来た。
歩いた方が早いじゃないか!
何をやってんだか・・・
自分が情けなくて泣き笑いした夜。

僕の上京当初は、散々だった。

会社を作ったのはそれから4年程後。

自分達のオリジナルブランドをつくるまで、
そこから3年。
ブランド立ち上げの時に、このことを想い出した。

東京は厳しい。
ある程度の地位や責任を持たせてもらって経験を積んで来た、28歳の僕でも大変だったのだから。
高校や大学を卒業してから上京する人達は、どんなに大変だろう・・・と。

「一人暮らしは冒険だ」

学校とか、会社とか、満員電車とか、
コンクリートジャングルとか
外に出たら嫌なことも沢山あるやろう。
周りに負けんように、東京に負けんように、
自分に負けんように。
歯を食いしばって、気も張っとるやろう。

何かあったらすぐに帰って来い。
守っちゃるけん。自分にかえり。

一人暮らしの人達にとって世間や社会は、大航海時代の「荒波」だろうなと。
だから、僕たちがつくるマンションや部屋は「船」でありたいと考えた。

そしてその成長を想い出として心に刻んで行けるように、
“Log”という名を冠した。

Log入れ替えると

“Life Goes On”の頭文字になる。

どんな事があっても
人生は続いていく。

家に帰って心が落ち着いたら、また頑張って来いよ。
これを乗り越えれば、良い事あるぞって。
東京も美しいぞって。

そういう思いが込められたLog。

1棟目のLog東日本橋が完成したのは夏の終わり。
ちょうど隅田川花火大会の頃だった。


花火大会帰りのお父さんとお母さん、
小学生高学年のお兄ちゃんと、低学年の妹の4人家族。

お父さんとお母さんがLog東日本橋を見上げて立っていると、
お兄ちゃんと妹が駆け寄ってくる。

「お母さん、どうしたの?」

お母さんを見上げながら妹が聞くと

「お父さんとお母さんが、初めてキスした部屋よ」

「ふーん」

不思議な顔をする兄妹の後ろで、
お父さんとお母さんが軽く手を握る。

そんなシーンが目に浮かんだ。


このマンションがやがて何年も、何十年も経って、
色んな人達のドラマを生む場所になる。


‘劇的な生き方を’

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