3日目〜6日目 手術当日から術後3日目まで

辞世の句を用意せねばならぬほどのこととは思わず、術着のまま時間まで風を浴びて過ごした。
手術室は湿度管理されており、少しじっとりした空気だ。これもまた、クリーンルーム故か。
手術台に上がると周りがよく見える。よくドラマで見るような青くて暗い物々しい部屋ではなく、
CTでも撮るかのような雰囲気の部屋に様々な器具が据え付けられている。オーディオからは最近のJ-POPが流れていたが、何の曲だったかは思い出せない。へえ、本当に音楽流すんだ、なんて思っていると、あっという間に全裸にされて麻酔が始まった。今回は「ヤバイ薬」が入ってくることもわかっていたので、一生懸命、深呼吸に努めた。

名前を呼ばれて目覚めると、手術は終わっていた。ぼんやりと挿管を抜いたときの記憶がよみがえり、麻酔で朦朧としているわたしは手近なスタッフに「わたし挿管抜いたときの記憶ありますよ!」と、特に意味のない報告をした。その後は主治医の後ろ姿に「先生、本当にありがとうございました!」手近なスタッフに「こんな大変な時に本当にありがとうございました」と、とにかくお礼を言い続けていた。もちろんそんな頓狂な患者はさっさと病室へ戻ってもらうに限る。回復室を出ると母親が顔を見せてくれたが、前回より朦朧としていてよく見えなかった。ただ、「お母さんありがとう」とうわ言のように繰り返すわたしに困惑し、どういたしまして、と言うしかなかったようで、そのままわたしを乗せたベッドは一般病棟に移されたのだった。

術後3時間の酸素投与中、わたしは懲りずにTwitterのTLを追ったりLINEを送ったりしていた。ただ本当に麻酔がよく効いていて、5分とスマホを注視していられない。諦めて眠ればいいものを、意識が戻るたびにスマホを探して必死にTLを追いLINEを返した。なにがわたしをそうさせたのかはよくわからないが、傷口のテープを見て、終わったんだという安堵と喜びを伝えたかったのかもしれない。
この日は点滴からの麻酔薬でよく眠れた。前回の地獄が嘘のように、穏やかな夜を過ごした。

地獄はこの翌日から始まる。麻酔の点滴も切れ、ロクに飲める痛み止めもないわたしはカロナールだけで騙し騙しベットに寝転がっていた。やがて来る回診の先生方に見守られ、歩行器を使っての第一歩を踏み出す。これも脚の長さの違いに呆然とした前回よりはよほどマシで、長さの揃った自分の脚は比較的スムーズに動いた。
とはいえ、膝だの腿だのがジリジリと痛み、思うように歩行は進まなかった。

一進も一退もない1日が過ぎ、やがて日が暮れる。ちくちくと眠れない夜を消費し、この先の生活を憂いた。奇跡は、翌日に起きた。

全く聞かされていなかったが、部屋に理学療法士が来た。来たからには追い返すわけにもいかず、ゴリゴリとリハビリを受けた。マッサージのようでそうでない、独特な手の動き。この妙技に、わたしはいつも虜になる。外から触っているだけなのに、内側のパーツがひとつずつばらけていくような、不思議な感覚。そして終わってみると、しっかり施術部位の痛みが取れて動かしやすくなっているのだ。
「歩いてみましょうか」
療法士の指示に従い歩き出すと、どうしたことだろう。あんなに痛かった膝や腿が全然痛くない、とても滑らかに脚が動くではないか。調子に乗って病棟を半周した。療法士さんも嬉しそうだった。

この日は入院以来初めて、中途覚醒を繰り返しながらもゆっくりと眠ることができた。睡眠は尊い。

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