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第4回 #レディオイーディ(黎明期)「わたし、響きがわからない」ーわたしと音楽、恋と傷たちー

ええと。ごめんなさい。こっちのアーカイヴをあげる前に、動画の方のレディオVOL.5「胎動は己の子宮から」をupしてしまいました、謹んでお詫びします。

で、その前の回、レディオイーディVOL.4「わたし、響きがわからない! 」ーわたしと音楽、恋と傷たちーのアーカイヴです。

この回は単純にゆるくしたかった。
レディオの初回〜3回までが、メッセージと五次元、四次元と、惑星会議と、クリストファーノーランの話、みたいな感じでのっけからぶっ飛んでいた上、難解なことを言っていたので、ふつう〜の、ゆる〜い、そして30分でおさまるレディオにしたかった。笑。

あとこのレディオはそもそも「傷」に向かい合い、自分の弱さにも向かい合っていくというところに起点のモチーフ(動機)があるのだから、そういうことについても話していこうと思って、自分が「響きとしての音楽がわからない」という話と「恋愛には死亡している」という話をしています。

さて。

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タイムラインを順番に整理していきますね。

まず0:00~10:00  くらいまでは、お芝居のことを話しています。
わたし、日芸の演劇学科出身なんですよ、元女優志望。笑。
それで、2月の頭に観に行った友人夫妻の芝居「無能役者」がとても素晴らしかった!という話を切々としています。

こちら、演出であり奥様の高野ゆらこの投稿より。
芝居を観た人ならわかる、最高の1枚。

で、そこからいくつかお芝居のこと話したので、リンクをぽん、ぽん、と貼っていくね。

まず、わたしがずっと関わっている、そしてこの⤴︎写真に写っている、鈴木祥二郎くんとわたしの盟友の一人石川シンが一緒にやっている劇団「ねじリズム」のブログがこちら。

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(何年か前にめんちゃんこと石川シンと撮った写真で気に入ってる)

そしてこのページではちょこちょこ紹介している、妹であり、演劇ライターでもある丘田ミイ子。彼女が最近「LEE」で書いたインタビュー記事がとても人気があるみたいなのでそれを貼っておきます。演劇ではなくドキュメンタリー映画のインタビュー記事です。とてもよかった。

まあこんな感じ。

Time line 10:00〜13:00
ここから関西弁で話したい、ってことで関西弁に切り替えました。笑。

Time line 13:00〜15:00
イーディ のこと。模様替えしましたよとか、店を時短営業で再開しましたよとかそういう話。(この回さ、まだ体調が回復途中なんだよね、それで厚化粧なんだよ。笑)

Time line 15:00〜20:00
メインの話題の「わたし、響きがわからない」という話。
ここで20:00くらいに杉浦くんの話が出てきますが、これは第1回や2回のアーカイヴでも紹介した、ピアニストの杉浦くんです。

Time line 21:06〜27:30
わたしの恋愛がいかに死亡しているかという話。
(おそらくこのレディオの中で一番無駄な時間でしょう。笑)

ええと、これレディオ中でうまく言えなかったんだけど、レディオやお店やSNSでわたしは今後も恋愛のことを赤裸々っぽく語るけど、そこには嘘も混じっているぜ!って話をしています。なんでかっていうと恋愛こそ相手ありきのものであるから、どこかで軽く話してしまうと誰かに迷惑がかかったり、大きな揉め事になりやすいじゃない。

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なのでとりあえずわたしはいま、志磨さんのことだけが好きなんです。笑。

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で、最後、楽曲です。
♩ミルク(by Chara)
Time Line 27:30〜

で、ここでわたしが言ったことは、レディオ第2回の「真実には意味がない」「真実など存在しない」案件なんです。

わたしは25年近く、このミルクの歌詞を誤解して覚えていたのだけれど、今となっては25年間擦り込まれていた間違った歌詞がわたしにとってのミルクだし、いま正しい歌詞を知ったとて、41歳のわたしに、その正しい歌詞は全然響かなくって、結局は10代の多感な時期に、その間違った歌詞が細胞に擦り込まれたことが、わたしが今回このレディオでミルクを弾こうと思うことに繋がっているから、その結果にしか、今日という座標にしか、意味がないんだ、ってことなんです。ここから遡って聴くと少し意味がわかるだろうか。

で、わたしは——わたしは、ですよ——クリスファーノーランは「メメント」でも「インセプション」でも一貫してそれを言っているね、って思っているのです、という話。(以下少し”テネット”のネタバレするので、気になる人は見ないで)

で、ここでわたしが「わたしは、ですよ」を強調するのは、映画や楽曲や様々な作品に対する解釈すらも、当然個体差があって、その人の価値観を通しての解釈になるので、真実は本人にしかわからない。例えばわたしはノーランの新作「テネット」に関して、ニールはタイターの息子だと思っているんだけど、それを証拠づけるシーンはないんです。でもなぜそうわたしが信じているか。それは自分が小説家なので、1に、そうじゃないとそこまでしてニールが主人公と仕事を共にしようという流れになるとは思えない、ということ。次に、映画のラストカットが、彼女の息子がクローズアップされたところで終わるということ。自分が映画を撮るならば、ラストカットに無意味なものを持ってはこない。なぜ彼女じゃななくて息子なの!?

......ってことなんですが、それすらもわたしの人生の経験と感性を映し出した自己投影の予想なんです。

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私小説作家としてデビューして本をいくつも刊行していくにつれ「いちばんほんとうのこと」ほど書くことが許されないのだと知りました。いろんな意味です。モデル問題もあるし校閲の問題もあるし、社会的な立ち位置の問題もあります。「いちばんほんとうのこと」「そのつぎにほんとうのこと」
この2つは共存できない。だからどちらかを選んで、どちらかは嘘で支えます。嘘というか「物語」で支えます。

それを体感してからわたしは「古事記」や「日本書紀」に書かれていることの行間が気になり始めました。もはや行間だけを見つめていると言っていい。笑。例えば、建御名方神(たけみなかたのかみ)は「負けた神」として書かれているけれど、本当にそうなんだろうか。天照大神は本当に女性?
なぜ瀬織津姫は、祓戸四神で「大祓詞」でもとても大事な役割を果たしているのに、古事記でも日本書紀でもサラ、としか触れられていない?
これを書いた人が、その行間で伝えたかった著者なりの真実は、何なんだろう? 小説家は物語を彫り出すことが好きだから、つい、そういう答えのないことについて考えます。かと言って左翼でも右翼でもないんです。ただ、物語の奥にある「ほんとう」を、つい見つめてみたくなる、それだけなのね。

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クノッソスは、本当のこと言ってる?

ねえ。

「アトランティスは次いつ沈む?」

前回、Youtubeが勝手に、レディオの後に流したこの戯曲が、わたし自分が書いたはずなのに全く覚えてなくて、幕開きの暗転前のこのセリフを聴いた時にびっくりしてしまいました。

なぜ自分で書いた戯曲を覚えていないんだろう。

不思議。

これもいつかの座標からバイナリで送られてきた、いつかのMeからの、メッセージ。時をレコオドしろ。場所と時間を。アカシックはそうわたしに要求してくる。そう、今、2021年2月23日水曜日、深夜2じ10ぷん。

アトランティスは、まだ、ギリシャに、浮かんでる。


長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!