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【2020年9月号アーカイヴ】『Tokyo発シガ行き➡︎』 "時のゆらぎ"by 月イチがんこエッセイ

がんこ堂エッセイ20.09のコピー

↑今月もまずは出力してお楽しみたい方のために。

この冊子はA4にプリントされたものをペキペキ折って一箇所に切り目を入れるだけで冊子になるスグレモノです。笑。
(↑作り方。すごく簡単です。原稿の真ん中に線入ってるのでそこで折ってください。真半分でなく数ミリずれるんですがそれがちょうど冊子の”つか”の部分になって製本した時綺麗にあうのです。わたしはA4フチなしで98-99パーセント界隈で出力しています。プリンターにもよるかな)

以上アナログアーカイヴ。
では以下はデジタルで!
昨日は2019年夏の番外「生き死ぬるもの双方に光を」を更新しましたが、
そこにも書いたようにそこいらのアーカイヴには心の体力がいるので、
先にこっちから。

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プールの水底には音がない。
音のない水底すれすれを、まるでエイにでもなったような気分でスイーと泳ぎながら、その静寂と対照的な自分の呼吸の“ブクブク”という音の大きさに耳をすませながら色んなことを考える。古代アトランティスの人魚の生まれ変わりだと思い込んでいるわたしは、なるほど海に潜る気分でプールに潜っているのだな、だからこんな奇妙な動きを、全国各地どこのプールに行ってもしている。

東京タワーの麓には、外国人とゲイの聖地と呼ばれる市民プールがあって、わたしはそのプールを溺愛しており、麻布十番から神楽坂に引っ越してもなお電車を乗り継いでこのプールにやってくる。

屋外プールなので夏季のみ。なんとも大きな50メートルプールでテラスもあって、市民プールなのにラグジュアリーで異国な感じがするところが好き。異国な感じが好きと言っているわりに矛盾するが東京タワーのオレンジが、夕刻からは美しく目の前に見えるところも好き。17時を過ぎると水深が大人仕様にぐっと深くなって、日本にはあまりないグアムとかハワイのホテルのプールみたいになるところも好き。

色んな要素を兼ね備えたこのプールは、色んな記憶とも重なる瞬間を持っていて、水底からフウ、と浮かび上がって水面に顔を突き出す手前、自分はもしかしたら「レイクビワ」に妹の彩女とパパと遊びに来ている小学生のような気もしてくるし、もしかしたらここは守小のプールの夏の解放期間で、
このまま暑い日差しの中を、濡れた髪をふきふき勝部神社の脇を通って自宅に帰ったならば、おばあちゃんが「髪濡れてる!」とか、ガミガミ言いながらも、美味しい烏龍茶を淹れてくれるような気もしてくるし、
いつか家族で行ったグアムのホテルのプールの深い碧の水底な気もしてくる。同時に今度は大人の視点に立って、あの頃パパは朝も夜もなく働いていたのに、日曜日の午後に娘二人を連れてレイクビワ(滋賀県にあったホテルに属するプール施設)に出かけるなんていい親だったなあ、と、日曜はほぼ寝ているだけの自分と比較して尊敬したり、そういうことを現在している妹の美粋を尊敬したり、する。

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プールでは水面がたゆたうだけ時もたゆたい、それには明確な区切りがない。水面に顔を出して「そうそうここは東京の芝ぷーだった」と自覚はしても、今度は「いつ」かわからなくなる。
周りには変わらずゲイのカップルたちが本当に楽しそうに仲良く泳いでいて、外国人の親子や友人同士たちがおしゃれなビキニで日焼け、ここは本当にダイバープール、その様は通い続けているこの十数年変わらない、だからこそ今っていつだろう。芋洗坂のスナックで働きながら連載をたくさん持っていた頃かな、それともアホみたいに荒木町で毎晩飲んでいた頃だったかしら。そうそう短編「マリアンヌと、いつか会うきみ」はこのプールで全部出来上がったんだった。あれはいつのこと? 2011年1? 9年も前かい! 
わたしもここに来始めた26歳の頃の感じでいるけれど、実のところ水底をエイのようにスイースイーと泳いでいるのは41歳のマダムで、それって側から見たらどうなんだろうか、家の近所で食べ物屋を営む同い年のマコちゃんーー「3人の子供を連れてうちも芝プール行くんよ!」というマコちゃんには「怖!」と言われた(笑)(しかしそのままもっと歳をとったらちょっと可愛い動きしてるおばあちゃんになれそうではないだろうか!?)

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プールはある意味人生の縮図。ここに集まる色んな人を眺めて「わたしはどうなりたかったのか」またはこれから「どうなりたい」のか考えてみる。つまり、ここのプールに本当だったらどのような状態で来たかったのか。友達と来たかったのか、恋人と来たかったのか、夫や子供を連れてきたかったのか。おいそれと来れないくらい顔がさす有名人になりたかったのか。この「エイのごとく水底を一人で泳ぐ」という過ごし方以外の過ごしかたを本当はしたかっただろうか。周りを見渡して羨ましくなったり、いいなと思ったり、急に寂しくなったり、していないだろうか。そうしてわたしは走馬灯のようにたゆたう水面と時の記憶の中で現在の座標に立ち、とても幸せなことを発見した。

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(なんとわたしは、現在のわたしの状況をとても気に入っていて、とても納得し、とても感謝している)

小学生の頃からよくやっている、プールの中で一回転――41歳のマダムがやると監視員が驚くと思うので水深の一番深いところで目立たないようにそっと回転(笑)――ふっと水面から顔を出すと、回転する前まで昏い褐色の鉄の塊だった東京タワーがふっとオレンジに灯っていた。まるで魔法のよう。でももしかして魔法だったりして。

わたしはいま、夏の夕方の水深が深くなるころ、どこからとも現れ、エイのように潜る、ちょっと素っ頓狂なマダムである現状に大変満足しているノダ。仲良しの妹が三人もいて、両親はともにまだ追い越せないくらいに超絶パワフル。ずっとやりたかった根津の箱で芸術酒場を営み、中島桃果子の一番のファンがお店の右腕をつとめ美味しい珈琲を淹れてくれる。

コロナ下で大変は大変だけど、お店に起きる色んなことを自分ごとのように悲しんだり喜んだりしてくれる常連に恵まれ日々の営業はとても楽しいし、2階には樹齢百五十年の欅で作られたテーブルもやってきた。「こんな読みにくい冊子ではもったいないよ!」と自ら組版を申し出てくれたデザイナーのワタセミのおかげで「がんこエッセイ」はこんなにちゃんとした冊子になり、なんと近々それが新聞に載るという。(本日、9月3日に無事京都新聞の記事になりました。大変感謝です)改めて考えてみたら、この「今」にいったいどんな不満があるというのだろう。

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ここのところ「積み重ねていく大切なわたしの日々」「入魂し世に放たれるべき作品」の狭間で苦しんできて、たとえば日々をただ愛しみ生きていくことはそれだけで素晴らしいことなのだけど、小説家というわたしの仕事のファン、応援してくれている人というのは「新作楽しみにしています!」とか「芥川賞とか直木賞とか、いつかとりますよね!」と熱を入れて応援してくれるので(「売れるもんウォウ! 」Byがんこ田中社長含む。笑)
仮にお店のこととかそれ以外のことでも「日々」ただ「日々」をめいいっぱい生きているだけでは申し訳なく感じ、同時に芸術を生業にするすべての同業の人に対して「わかってます、生半可な気持ちで作品など産めないことは」というのがあって、つまり店のことを頑張れば頑張っただけ同業に申し訳がたたなく、また、作品に入魂したらしただけ、イーディのお客様に申し訳ないような、身がまさしく二つに切り裂かれる想いでいたのだけど、
今のわたしは、作品を作り世に出すことと、芸術酒場女主人としての日々を丁寧に紡ぐことが、急に隣り合わせに感じ、ゆえに対角線に引っ張られて身が砕ける感じがふっと消えた。

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前回のエッセイで西も東にも行けない(続く!)と終わらせたわたしだけど。いつかお店に立てないくらいにおばあちゃんになったら、
また水面のゆらぎに記憶を重ね、今のわたしのなんてことない日常を「戻れないあの日」としてもう一度なぞってみたいと懐かしく思うだろう。
新刊が無事刊行されたら、焦れ焦れしていた今を微笑ましく思い出すだろう。人がどれだけ切望し求めても取り戻せない、手にすることが出来ない宝石は「過去の時間」である。本はこれから刊行できるけどレークビワや守小のプールの水底には戻ることが出来ない。だからこそ、この瞬間にも過去になっていく今の輝きを、掴みそこねてはいけない。それがただ、エイのように水底を泳ぐ、という別段、誉ではない「今」であっても。あたりは静かに昏くなり東京タワーのオレンジはいちだんと輝きを増していた。ゆらめく水面の水色、時のゆらぎ。

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なかじま・もかこ/ 守山市出身。1979年生まれ。附属中学→石山高校。2009年「蝶番」にて新潮社よりデビュー。 Twitter@moccatina  

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  がんこエッセイが京都新聞[2020.9.3]に取り上げられました😃❗️

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