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第1回 #レディオイーディ(黎明期) 「モールスとしての言葉」 by ”わたしと音楽、恋と世界”

ええと。おそらくこのマガジンは現在の肌感では「#レディオイーディ」のアーカイヴとしての連載になりそうな感じです。
まずは第1回レディオイーディの動画を貼るね。

<2021年10月追記>
2021年9月1Q日より新番組「レディオイーディNezuU🌈」がスタートした関係で、このシリーズは(黎明期)と名付けられることになりました。

前回の記事では「傷や痛み」についても語っていくと書いていたのですが、レディオ初回は随分アッパーな感じだったので(笑)、
傷とかについて今後、語られることってあるのか!? って思った人もいるかもしれませんが、今後語ります。笑。
このマガジンを始めて、それから実際にピアノ動画を、どんな感じで撮ってったら、見る人にとって楽しく、誤解が生じないが—わたしが常に怖がっているように、音楽畑の人から音楽の人になりたがっていると思われて、そのセンスのなさとかを強く叩かれないか—を考えていったときに、もう本当は2019年の頭からやりたいと思っていた、わたしの「語り」と「ピアノ練習」を組み合わせた「ラジオ番組」を、やってしまったらどうかということが閃いたのです。

わたしが音楽を愛しているけど怖がっている理由はいちいち書かないんだけど、とにかく怖がっているから、誰かの楽曲をカバーして、それが1本ずつの動画になって、タイトルに曲名とかを入れることで、本家の人の動画に混ざって表示されて、間違ってクリックしたりした人が「誰だよこのクソみたいなカバーはよっ!」って、つまり知らないところでわたしの音楽が人をイライラさせてしまうシチュエーションが起きることがわたしは本当に嫌だから、そうならないように動画を残したかった。で、これに辿り着いた。ラジオ番組のラストで1曲わたしが引き語りをする!名案!笑。
これで楽曲だけがYoutubeに残ってしまう恐怖を払拭できる。笑。

で、ラジオ。これがやってみたらとても楽しかった。
これ、Popに続けていけそう!そう思った。
(わたし、多分、ラディオ、向いている!笑。)
この”向いている”という感覚が、経験に裏打ちされてることが、わたしを安心させてくれた。つまり毎日スッキリ!を録画して、加藤さんのMCを研究しながら酒場での接客ーー揉めずにみんなを楽しく繋ぐための反射神経や言葉の使い方ーーに反映しながらトライ&エラーを繰り返してきたこの10年ほどが、今、いい感じにわたしを喋らせてくれている。笑。
ありがとう、過ごしてきた日々!笑。

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2021年9月現在、新番組「レディオイーディNezuU🌈」が、どこから見ても半ばお笑いバラエティよりのトーク番組だという風になってきたので、
音楽についてあまり酷く怯える事はなくなってきた。だってどこからどう見ても酷い演奏なので叩く必要もないかと...。

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(写真は2015年、アブダビ。日本でいうチームラボのような展示が当時アブダビの美術館で行われていました)

 で以下、レディオイーディ第1回「モールスとしての文学」の内容に関してのアーカイヴです。

✴︎ レディオイーディ第1回「モールスとしての文学」✴︎

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🌕 time table
0:30〜02:11 / English part
02:11〜20:00/ クリストファーノーランと時間の秘密、メッセージについてのモカコ考察について。モールスとして言葉、信号としての言葉について。つまり言葉は言葉なのに言葉そのものには意味がない。
20:00〜33:00/ 今年イーディをどうしていくかっていう話。
33:00〜end / ピアノの時間。(♪Last Hope/ Paramore)

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(2015/01/18/ midnight/アラビヤに向かって発つところ)

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🌕発言における誤植
レディオの中で修正したい点が1つ。レディオ中では「シャルジャというイスラム博物館の天文学の部屋」と、まるで博物館の名前が「シャルジャ」という風に言っていますが、これは「シャルジャという街にあるイスラミック博物館」の間違いです。シャルジャはsharjahと書きます。ドバイからバスで2時間ほど行った街の名前です。途中でAbū Dhabīを通ります。
イメージでいうとDubai(東京)→Abū Dhabī(小田原)→Sharjar(静岡)みたいな距離感かな。

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こんな感じのところです〜。

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🌕「賞について」
わたしはレディオで「わたしと音楽、恋と世界」が、売れるかどうかはわからない、と、まるで受賞する前提みたいに話していますよね。今後もそういう風に話します。なぜかというと、タイムテーブル20:00〜30:00で話したように「店の存続」とは「作家としての存続」なのです。
そしてわたしには今、市場にニーズがない。つまり、作家としての存続には「受賞」が前提なんです。
だから「受賞しないかもしれない」ような作品を書いても意味がないし「受賞するかしないか」を考えて「しないかもしれない」ってところで止まっていたら、店も中島桃果子も、存続できなくなってしまう。
わたしは結構すでに大きな賞を頂いてデビューしました。
そこから12年(うちアングラ6年)はプロとして何かしらを書き続けて、そしてそのわたしがこの6年の集大成として書き上げた新作「わたしと音楽、恋と世界」が、賞を獲れないんであれば、わたしのこの12年の意味も、なくなってしまう。同時に、また詳しく語りますが「過去の現象」には意味がない。「過去の座標」は「今の地点」に影響しない。なので現象としての「受賞」の過去は、今のわたしには意味(干渉/波及)を成しません。ただ、「感覚」は残ります。
わたしの場合「ずっと書き続けてきた」という感覚です。

(メメント、ではおそらくその”感覚のみ”を肌に刻んでいるのだとわたしは解釈してる)
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まあそんな訳でわたしには「賞を獲れないかもしれない」ことについて思考する暇はないということです。賞を獲る以外の選択肢は、わたしには残されていません、継続したければ。
わたしが「わたしと音楽、恋と世界」に関して「もしか本になって世に出た場合」の話しかしないのは、それが理由ね。

こちらも2021年4月に結果が出て、結果は1次にも残りませんでした。
以降わたしは自身の中の傑作と市場との不一致の中で現在ゴッホ化しておりますが、とにかく「今」を色鮮やかに生きていくことから答えが見えてくるのかなと思っています。

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🌕 小説家/ 丘田ミイ子
表紙には名前が載っていませんが、この「USO」という文芸誌に、妹の美粋(丘田ミイ子)が書いた「茶碗一杯の嘘」とい短編が掲載されています!!!😆
詳細は年始にインスタに書きましたのでご覧ください〜

⤴︎こちらから購入できますゆえ。笑。

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🌕 次回予告

"物理的な次元において意味をなさないからこそ過去は人生にとっての意味がある"

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そう、魂を乗せて前進する肉体運動において「過去」には意味がない。
過去は過去でしかなく、その座標座標での出来事は0地点に干渉しない。
自身がその座標と座標を結びつけて帯にさえしなければ。
ただし”モールスとしての言葉”は肉体を持たないので「過去」にしか干渉できない。なので”言葉のモールス”はいつも過去の自分に干渉し未来を変える。それの連続運動が人生であるから、つまり0地点から先の未来は常にブラックボックスであり未知の領域。

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(写真はレディオでも言及した、わたしが栞に熱弁をふるった際に用いた図説。笑。)

言ってることわからないですよね。笑。
そうなんです。これを次のレディオまでに、自分が噛み砕いて説明しなくてはいけないのです。「過去に意味がない」ということと同時に「真実も自己の潜在意識の投影だから真実にすらも意味がない」ということも喋りたいと思います。そう、喋るだけ。何かを伝えたり教えたりは、しない。というかできない。だからこれは自己啓発でも他人啓発でもない。
できないし、というか「意味がない」んです。
つまりわたしの結論では、わたしがあちこちで受け取ってきたメッセージ、それは世界の声ではなく、ただただ時空を超えてわたしに届けられた「わたしの声」だったということがわかったんです。わかったというか、わたしはそう思ったんです。

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そう、なんたるウロボロス! 👀✨
そしてループのパラドックス。わたしがわたしに向かって放っているメッセージそれがわたしの「真実」なのであればそのsource(情報源)もわたしだから、物理的な信頼ができない、だってそれってただただIts Me!
「わたし個人の見解」にすぎないのだもの。
(あっ、ここのくだりは第2回のレディオより先に始めていますので、このマガジンがある意味先行としての読み物になるのかも。アーカイヴという名の先取り予告編として)
だからこのレディオはわたしがただ、思ったことをわたしのために喋る、ということしか意味をなさない。

ここら辺のことを回収せずに(黎明期)は終わってしまったんだけど、
新生レディオで定期的に取り上げたいと実は思っています。


ともあれ最後に2016年にやったサロン de うたタネ♪ の5月の企画ーー月刊/杉浦秀明 ”小さな惑星の音楽家”ー
より冒頭芝居の映像を貼ります。
この記事と、関係ないようで関係ある内容なのでございます。

#レディオイーディ 第2回へ続く!

長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!