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17年前に占い師の先生から言われたこと。

記憶とは妙なもので、ふとした瞬間に全然忘れていたつもりになっていた出来事を映像でフラッシュバックさせる。何がトリガーになっているのかは全く分からない。

いきなり映像が脳裏に浮かび上がって勝手に再生が始まる。一時停止も早送りも効かない。YouTubeに挟み込まれた広告みたいに無理矢理見せて来る。

この時も風呂上がりにバスタオルで髪を拭いている時に記憶が甦った。


「川口さんは将来独立すると思います。ただその時に一人で独立するのか、それとも二人で独立するのか、それが運命の分かれ目になると思います」


23歳の時、当時働いていた会社の新規事業の調査という名目で半年ほど占いの勉強をしていた。その時の占いの先生からの言葉だ。

その先生は中目黒のマンションの一室で占いと整体を中心に行っていた。1時間2万円から予約を受け付け。その先生に毎週2時間の講習の時間を頂いていたので、それなりの費用を会社に請求していた計算になる。

元々会社からは「どの先生に教えて貰うかは自分で決めていい」と言われていて、全く占いなんてものに知見のない自分は取り敢えず有名そうな人をnetや本でピックアップして会いに行った。
先生は知っている人はしっかりと知っている界隈では有名な方で、確か中谷彰宏さんの著書で占い師と対談した本でその方の存在を知った。

四柱推命、九星気学、算命学、手相、ホロスコープ、タロットなどあれこれ行ってみたけれど、四柱推命や算命学がきちんとロジカルに構成されている印象だった。ただでさえどういう理屈でこの人はこの占い結果を語っているんだろう?と首をかしげるものも少なくなく、きちんとフォーマットがあるものの方が自分には飲み込みやすかった。

四柱推命は年柱・月柱・日柱・時柱の四つの柱の組み合わせで占いを構成していて、算命学は時柱を除く三本の柱で占う。
その先生は算命学で占いをしていた。


そう言えば占い師を巡っていた時のこと。何人かの方に見てもらった際、後頭部が重くなる経験をしたことがある。その人たちと向き合うとずっしりと頭が重くなり目がチカチカする。
その時の体験を先生に質問した。(その先生と相対している時も軽くずっしりときていた)

「先生、占いをしてもらっている時に後頭部が重くなることがあるんですけど、これはなんでなんですか?これまでも同じような経験を占ってもらっている時に何度かしたことがあるのですけど」

「川口さん、それは『気』ですよ。『気』のせいですよ。強い『気』が来ると波長が合わなくてそういう状態になってしまうんです。はははは」

急に「気」の話になってしまったので、ぽかんとした。先生は満面の笑みを浮かべ当たり前のことを説明するように話してくれた。


その後、半年間の勉強は続けたものの、結局占いを用いたサービスを立ち上げることにはならず、次のテーマは「ホットヨガ」に移行した。それで占いの勉強はストップすることになった。

自分のなかではよく分からないものを用いて人の人生に「こうした方がいい」「ああした方がいい」ということは生半可な気持ちではできないと感じていたので、サービス化することが立ち消えになって良かった気もしていた。
(その後取り組んだ「ホットヨガ」も本当に身体に対して有益なのかどうかは分からず悶々とするのだけれども・・・)


そんな出会いだった先生。
勉強のため自分の命式を見てもらった時にさらりと言い放った。

「川口さんは将来独立すると思います。ただその時に一人で独立するのか、それとも二人で独立するのか、それが運命の分かれ目になると思います。完璧です。」
(「完璧です」というのが口癖だったのを思い出した)

当時は自分で店をやりたいとおぼろげにイメージはしていたので、そう言われて嬉しかった気もする。
ただ、二人で独立するってどういう事なんだろう?とそっちの方が想像ができなかった。


17年経過して、自分の会社で生活するようになって、あの時言われた通り本当に独立することになったのだなと言葉を噛みしめる。

占いは当たった・外れたと二面的に捉えるものではないと考えている。
言われたことに対して自分は何を感じるのか、どう今後の判断に役立てるのかという自分のリトマス試験紙的なものだと考えている。

その意味からしても、あの時の先生の言葉が何らか自分の今の選択に少なからず影響を与えていて、で、その結果自分の会社を作ることに繋がった気さえもしてくる。

しかも、今の会社はほぼ一人会社であるものの、いくつかのプロジェクトは複数人で動かしている。ここは先生の言葉で言えば両取りになっていそうでもあり、ただ唸る。

誰かが何かを言うことがこうやって「楔」のようなものになって自分の中に残り、影響を受けていく。いいとか悪いとか、正しいとか正しくないとかではなくて。そういうものが人生だったりするんだよなと感慨深く思う。


占いの勉強を終えてから、その後は3回ほど占いに行ったことがある。リトマス試験紙的にという意味もあるし、先生に会いに行っていた気持ちも少なくない。
最後に行った時に先生は少し痩せていて「体調は大丈夫ですか?」と質問した。

「川口さんに会うのは今日が最後かもしれません。また来世で会いましょう」

先生はニカッと笑いながら、その表情に似つかわしくない言葉を告げられた。この言葉もいまだ胸のうちに残っている。


楽しく暮らすためのヒント
「フラッシュバックした思い出に浸ってみる」

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