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大事にしている考え方。#3 ガイア理論

20代後半の頃、どう生きていくのが正しいのかを考えていた時期があった。

「人生の目的」というと重い感じになってしまうのだけれど、
単純に自分が最期を迎える時に「あー、いい人生だった」と思えるためにはどういうことを大事にしたら良いのか。

その正しさを求めて、あれこれ考えている時に、ガイア理論にバチーンと出会った。そんな考え方があるのか!と激しく震えた。


ガイア理論とは

ガイア理論とは、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げていることを、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説である。ガイア仮説ともいう。

生物学者リン・マーギュリス、気象学者アンドリュー・ワトソンなどが支持者に名を連ねる。
ガイア理論では、地球があたかもひとつの生命体のように自己調節システムを備えている、としている。

そのような観点に立つと、地球環境に対して人為的な介入を行うことについては、現代の科学技術による近視眼的・部分的な措置を計画したりするのではなく、もっと、地球の大きな生命の流れ、とでも呼んだほうがよいような、全体的な何か、に配慮したうえで判断をすべきだ、との見解・説も生まれている。

ガイア理論の、このような全体論的な地球の把握方法は、人間中心の視点でのエコロジーではなく、生態系がそれ自体で固有の価値を有しているからエコロジー活動を行うのだ、とするディープエコロジーにも大きな影響を与えている。
(Wikipediaより)

地球と生物の相互作用によって、ひとつの生命体をなしている!
当時そんなことも考えてみたこともなかったので、驚きを隠せなかった。

なるほど。
森林伐採や環境汚染など人間が行ったことの影響で自然災害が発生すると見るのではなくて、ガイアがバランスを保つために変化が起こっていると捉える。

感覚的だけど、全体から俯瞰しているガイアからの見方の方が的を射ているように思った。

(※理論の解釈が間違っているところがあれば、ご指摘ください!)


自分はガイアからすれば1細胞にしか過ぎない

感覚的にスッと腹落ちしたガイア理論。

ガイアからすれば、自分は全体を構成する、ほんの小さな1細胞にしか過ぎない。そう考えられる気がした。
このポイントが「どう生きていくのが正しいのか」を考える糸口になった。

仮に自分が1細胞にしか過ぎないのであれば、その1細胞はどの様に生きるのがいいのだろうか。
地球規模で想像すると大きい話になるので、1生命体である自分に置き換えて考える。

「果たして、自分は自分を構成する1細胞にどの様に生きてもらうと良いと考えるのか」

あまり時間を必要とせずに答えは出た。
「自分の細胞には、その細胞の持ち場で任された役割をきちんとこなしてもらいたい。良い状態をキープし、機能を低下させることなく」
「できれば周りでダメそうな細胞がいれば協力し合ってもらいたい」

自分的には納得。そうだな。皮膚細胞には皮膚細胞の、神経細胞には神経細胞の役割を担って貰うのがいい。

ここを地球における自分に置き換えると、
「自分は自分の持ち場で任された役割をきちんとこなす。良い状態をキープし、機能を低下させることなく」
「できれば周りでダメそうな人がいれば協力し合う」
というように考えられる。

そうか、「良い状態をキープし、機能を低下させることなく」が大事なことなんだな。

良い状態をキープするというのは、「楽しく暮らす」と読み変えられる。
つまり、どう生きるのが正しいのかは、「楽しく暮らしながら、自分の持ち場で役割をこなす」「ダメそうな人がいれば協力し合う」と置いてしまって構わない気がした。

どう生きるのかが正しいのか、の回答は「楽しく暮らすのが正しい」
偶然にもガイア理論に出会い、全体から見た時の自分を考えることができた気がした。


まとめ

ガイアの一部である自分。
日本の一部である自分。
地域の一部である自分。
会社の一部である自分。
家族の一部である自分。

それぞれで自分が全体から俯瞰した時にどうあるのが良いのか。
何か判断に困った時は考えるようになった。
もちろん、これはやりたい・あれはやりたくないといった気持ちも湧き上がってくることもあるけれど、自分個人からみたメリット・デメリットで考えるだけって事からは離れることができた気がする。
もう本当にこれはガイア理論のおかげ。感謝。

・・・あれこれつれづれに書いてきたけれど、伝わりにくい内容を書いている感じもしている。よく分からん!ということがあれば、今度会うことがあった時に詳しく説明できれば。


楽しく暮らすためのサジェスト
「ガイア理論を調べてみる」


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