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「やりたいこと」をストックしておくことが大切だと思う。

やりたいことカタログ」という、やりたいことをストックするサービスをしているわけだけれど、なかなかそのストックすることの大事さが人に届かないことが多い。

「やりたいことがあるんだったら、すぐやればいいじゃん」
「すぐできないんだったら、時間のある時にやれるし」
「忘れちゃうようなものなんだったら、大してやりたいことでもなかったんだと思う」
・・・・・・

まあ、それぞれの考えがあるので全ては否定はできない。
否定はできないのだけれど、自分の考えとしてはそのアプローチだとやりたいことに着手するタイミングがどんどん遠のいてしまうんだよな……と考えている。それはやりたいことの大きい・小さいに関わらずだ。
むしろ小さい「やりたいこと」を雑に扱ってしまうと、なかなか毎日は楽しくなっていかないと感じていたりする。

ここから先は個人的な考えをバババと並べていく。
意見が違う!と思う人はそっとスルーしてもらえれば。
以下のような順番で伝えられるといいかなと。

①人が楽しく暮らすためには、「やりたいこと」が不可欠だ
②「やりたいこと」は大きいものだけではなくて、日常的に実行できるものがあると良い
③タスクに忙殺され、多くの情報に流され、人はすぐ「やりたいこと」を忘れる
④みんなで「やりたいこと」をストックすると、誰かの「やりたいこと」のヒントが見付かる

もう見出しだけで言いたいことを書いてしまっている感もあるけれど、それぞれの説明を簡単にではあるけれど順番にお伝えしていく。

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①人が楽しく暮らすためには、「やりたいこと」が不可欠だ

「やらされ感」満載で取り組むものに楽しさなんて生じようがない。それは仕事だって、家事・育児だって、勉強だって、趣味だって、遊びだって、恋愛だって、何だってそうだと思う。

自分で「やりたい」っていうモチベーションがある対象にこそ、時間がかかっても苦にならないし、むしろどんどんテンションが上がっていく、そんな感覚を得ることも少なくない。
仮にしんどいことがあっても、最後の所で踏ん張りが効くのは自分の気持ちが入っているものであることは間違いないと思う。

「やらされ感」のあるものだったら、できないものには言い訳が先立つし、ひどいケースならば放り出してしまうこともあるかもしれない。
例えば仕事で無茶な指示してきた上司には恨み節も言いたくなるし、真面目にやらない同僚には当面きつく当たろうと決めたくもなる。

全てを自分の「やりたい」で人生を埋め尽くすことはなかなか難しいのだけれども、少しずつでも「やりたい」の割合を高めていくことはできないか。
そこに楽しく暮らすヒントが詰まっていると思う。

「やらされ」よりも「やりたい」で生きる方が絶対いい。
「やりたい」>>>>>「やらされ」

自分の主体的な意思を持って「やりたい」と思うことなくして、楽しく暮らしていくことは難しいんじゃないか。そんなこと思う。


②「やりたいこと」は大きいものだけではなくて、日常的に実行できるものがあると良い

「やりたいこと」の話をすると「夢」と同様の意味に捉えられてしまうことも少なくない。ここで書いている「やりたいこと」は夢と同義の大きなものからもっと日常的な小さなものまでの全てを含んでいる。
自分がやりたいと思ったこと、全部でいい。

「楽しく暮らす」と目的を置いた際には、途方もない大きなものだけではなく、小さな「やりたいこと」を率先して持っておくのがいい。これは本当に大事なところだと感じる。
なぜかと言うと、大きなものは実現に多くの時間を必要とするケースが多いからだ。いきなり大きなものが実現することはあまりない。
「やりたいこと」が大きければ大きいほど、そのサイズに比例して実現するまでに時間を要することが多い。

かつて、自分でも人生の100のリストを20代そこそこの頃に書き出して持っていたことがある。そこには「宇宙旅行をしたい」とか「会社を5つ持ちたい」とか「世界中でムーブメントを起こしたい」とかそういったサイズの大きなものばかりを並べた。

それらの多くはまだ実現していない。どうしても大きいものは実現に時間もお金もタイミングも要するものが多いので、その実現ばかりにかまけて日常生活を「あー、まだ実現できていないや」みたいな不満に満ちた生活をすべきではないように感じる。

もちろん、サイズの大きいものを書く方が良いと思う。その方が自分が進みたい方向性がきちんと明確になるし、大望を抱きながら生活ができるから。

なので、もっと日常生活で「オムライスを食べたい」みたいなレベルのものも同列に取り扱う方が自分の気持ちひとつで動かせることが増えるのが良いと思っている。

なので大きいものと小さいもの、どちらも一緒にたくさんの「やりたいこと」を持っておくのがいい。これが自分の強く信じていること。

大きいものだけだとなかなか実現しなくて心が折れるし、
小さいものだけだとストレッチがなくて面白くなくなる。


③タスクに忙殺され、多くの情報に流され、人はすぐ「やりたいこと」を忘れる

でだ。小さいものも、大きいものも一緒にたくさん「やりたいこと」を持っているのがいいと書いた。

……だけど、残念ながら小さいものはどんどん忘れる。
そして忘れたことも忘れてしまう。とんだheavenly daysだ。

忙しい毎日のタスクの中で忙殺され、そして大量の情報に晒されている僕らの短期記憶力はよほど意識しないと発揮することができない。

なので、例えばFacebookで友達が食べているハンバーガーを今度自分も食べに行きたいと思ったとしても2~3分のうちに別のことを考えていることになる。

TVで紹介されていた面白スポットも「行きたい!」と感じてもメモったりしなければあっという間に忘却の彼方へだ。

エビングハウスの忘却曲線よろしく、人は忘れてしまう生き物。
なので、ちゃんとストックしておかないと、「あれ、何やりたいと思っていたんだっけ?」などということになってしまう。


④みんなで「やりたいこと」をストックすると誰かの「やりたいこと」のヒントが見付かる。

ここまで書いたことは、やりたいことはちゃんと書き出すのが必要で、小さいものも大きいものも大事で、忘れないようにストックするといいよねという話たちだ。

では、それは1人でやったらいいじゃんということになると思う。
実際に、自分のノートや手帳に自分の「やりたいこと」を書き連ねている人も少なくない。

ただ、それではとても勿体ないと思うのだ。

みんなの「やりたいこと」は自分の「やりたいこと」になる可能性があるし
自分の「やりたいこと」は誰かの「やりたいこと」になる可能性がある

というのも、じゃあ、いざ自分の「やりたいこと」を100個でもさらりと書き出そうと決めたとする。そうするとなかなか100個なんて出て来ない。「あれ、おかしいな」と感じるとは思うけれど、出ないものは出ない。

ワークショップを開いていて、すぐに100個さらさらさらと書き出せる人なんてほぼいない。

それは多分、忙しさやお金のなさなどから自分の可能性に蓋をして生活してしまっているため、ぱっと「やりたいこと」を問われても大きい「やりたいこと」も小さい「やりたいこと」も引き出しから取り出すことができにくい。

そこで他人の「やりたいこと」を参考にするのが良いと思うのだ。
別に自分だけのオリジナルな「やりたいこと」を紡ぐ必要なんてないのだし、誰かに評価されるために「やりたいこと」をストックするわけじゃないのだから、本当に自由気ままに他の人のものをガシガシコピーしていけばいいはず。
むしろいろんなものを集めてくる、その組み合わせの中にオリジナリティが出てくる位の感覚であって良いと思う。

自分で書いた「やりたいこと」も誰かのヒントになるのだから、できるだけオープンにしていくことが相乗効果を生む。

やっぱりみんなで一緒になって「やりたいこと」をストックしていくのがいいと思う。

長々書いてきて本当にごめんなさいだけど、やっぱりみんなで一緒になって「やりたいこと」をストックしていくのがいいという頭になっている。

1人では絶対に思い付けない「やりたいこと」をどこかの誰かが考えていたりするのは刺激になったりする。

というわけで、それらをうまく実行できるように「やりたいことカタログ」を仲間たちと作ったわけだ。

本当に騙されたと思って良いので、アカウントを作っていろんな人のやりたいことを眺めて欲しい。
そしてできれば自分のやりたいことを書き出して、他の人のやりたいことをコピーして自分のカタログを30個くらいから作ってみて欲しい。
絶対いいと思ってるのです。

現在のところはユーザーがまだ増えきっていないので、無料にてサイトを使えます。やりたいことカタログです。
(今後ユーザーが増えたら有料化に移行することも視野に入れているので、良かったらお急ぎくださいませ)

▼▼ やりたいことカタログ▼▼
http://yaricata.com


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