人の本性が現れるとき
ども、こんにちは!
今日、神田にある寿司食べ放題に行ってきました。飲み放題&食べ放題で3280円!安い!
ただ、コストダウンのために接客を省人化して全てiPadで注文する形式でした。何だか寂しかったですね。
もちろんその方が効率的なのは分かりますが、人がどんどん孤立していく社会では、人と人が感動的なタッチポイントをより多く作れる企業が強いように感じました。特にサービス業でそこを切り捨ててしまうのは、何だか勿体無いような気がします。
さて、本題です。
別のお店で実際にお客さんとして接待を受ける中で感じた「人の本性」について、ちょっと考えてみたいと思います。
名古屋の味噌カツ屋さんにて
先日名古屋に行ったのですが、Googleマップで「ランチ」って検索したらいくつか引っ掛かったので、近くにあった味噌カツ屋さんに行ってみました。
店内に入ると、一人の若い女性が接客してくれたのですが、非常に感じが良く、食べログの評価もめちゃ高かったので、期待が高まりました。
カウンターに座り、味噌カツ丼を注文した後、オープンになったキッチンをずっと観察していました。
先ほどの女性が目の前にいたのですが、最近バイトとして雇われたばかりと思われる後輩女性に対し、とても荒い態度で指導している姿が目に映りました。
「分からないことがあれば言えばいいじゃん!私があなたのようだった時は何でも聞いたわよ!」
「お客様がいらしたら、いらっしゃいませ!って言うの。そんなの当たり前でしょ!」
不慣れなバイト女性が不憫に思われ、いたたまれない気持ちになりました。
都内の歯医者さんにて
歯が痛かったので、都内にある歯医者さんに行きました。
先生がとても歯に詳しくて、撮影したモビ君の歯の写真を見せてくれながら、歯の状態について説明してくれました。
治療もスムーズで「すごい先生だなあ」とミキログの評価は3.8くらいだったのですが、突如2.3くらいに落ちました。(あ、ミキログってMikiyaの主観的な評価です。)
それは、先生が助士に接する態度を見た時でした。
「どうしてここに置いておかなかったんだ!」
治療に必要な道具が手元に用意されていなかったため、助士に対して荒く叱っている先生の姿がありました。かなり残念でした。
人の本性が現れる時
この2つの出来事を通し、僕は考えが深くなりました。
人には「本性」がありますが、それは下記の人と接する時により強く現れるのではないか?と感じます。
①利害関係のない人
②自分より立場が弱い人
お客さんに対して愛想良く接することはとても易しいです。愛想良く接してこそ、満足してもらえるし、お金ももらえるから。だから、そんなことは誰でもできます。
でも、利害関係がなかったり、特に自分より立場が弱い人に接する時には、自分の本性が現れます。
味噌カツ屋さんでいえばバイトの後輩女性、歯医者さんでいえば助士がそれに当たります。
周りはそこを見ている
自分の本性は変えることが本当に難しい。そもそも「変えられる」という発想すらない人も多い。
だから、当事者は自分の素を見て見ぬふりをする傾向にあります。
でも、周りの人はむしろ「そこ」を見ていることを知らないといけないと思います。もっとストレートに言えば、「そこ」しか見ていないと言ってもいい。
味噌カツ屋の女性はモビ君に本当に愛想良く接してくれましたが、そのような接待を受ければ受けるほど、「これは真実ではないんだな」と思ってしまう。
本人は「良かれ」と思って接してくれる。でも、それがむしろ逆効果になる。その人に対する僕の評価はますます下がりました。
これは非常に重要なポイントです。
金メッキが分かりやすい。見かけはピカピカだけど、いつか剥がれます。でも、本物の金は剥がれません。どこまでいっても金です。
このように、僕たちも本性を金にしないといけないんだな、と思いました。「変えにくい」からといって見て見ぬふりをするのではなく、「変えにくい」からこそ「価値がある」という発想で、果敢に手をつけていく。
そのようなマインドが大事ではないでしょうか。
では、さいなら!
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