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成熟した魂の猫。

たまには運営のお題に沿った記事を書いてみるのもいいなぁと思ったので、きょうは我が家(実家)の黒猫ちゃんを紹介する。


3年前のある日、長く飼っていたキジトラの猫が台風の日に行方不明になって以降、意気消沈していた母は、知人に拾われた子猫を引き取ることにした。そのときわたしは既に東京の大学に進学していたので、母からのLINEで家族が増えることを知った。だいすきだった沖縄から上京する際、溢れ出る名残惜しい気持ちを必死に殺して出てきたあの家に、新たな家族がくる。嬉しいような、悲しいような、曖昧な気持ちだった。わたしの細胞たちが、感傷的になっていた。

その時のことを思い出すと、肌触りの良い柔らかな風に吹かて待っている桜の花びらを思い出す。きっと季節は春だった。

前の子みたいにいなくなったら、母は何度でも探偵を雇って必死に捜索活動をするのかと思うと、心が痛んだ。猫は、自分の人生をきちんと生きる生き物だ。人間よりも責任を持って、気の向くままに、立派に。だから、勝手に訪れて勝手に去っていく。そうなるべくして、そうなっている。

猫が気まぐれな生き物であることは「どうしようもないこと」だと知りながらも、猫に対してだけ何故か執拗なまでの愛を抱く母のことを考えると、幾つもの悩みか背中にのしかかってくるのを感じた。わたしの心臓はちゃんと軋んだ。



「新しい家族だよ」という一言とともに母から送られてきた写真に写っていたのは、真っ黒な毛に覆われた子猫だった。彼女はしっぽが曲がっている、いわゆる「鍵尻尾」というやつだ。つぶらな黄色い瞳でこちらを伺っている彼女の姿は健気で、この子なら母の過剰な愛情を受け止めてくれるかもしれないと思った。

しばらくたったあとの帰省で、わたしははじめて彼女と顔を合わせた。生後6ヶ月の黒い子猫は、片手で抱えられるほど小さな身体をしていた。家族になって4ヶ月、母は彼女を自分の娘のように愛していた。

母は、自分より小さい命に敬意を払っているひとだ。子どもであろうと動物であろうと関係なく、あたたかいまなざしを向けている。その中でも特に猫への愛情は別格で、人間の赤ちゃんとまったく同じかそれ以上に、汚れのない繊細なものとして丁寧に扱う。そのような母の元に辿り着いた彼女も、わたしも、しあわせものだと思う。



この猫の何が自慢できるかというと、「品が良い」ことだ。よく言えば品が良い、悪く言えば気取っている。(野良猫生活をほとんどせず、母の元に来ることとなったのだから当然のことか。)



動物が好きな人は、動物に話しかける。これはあるあるだが、母の会話量は「あるある」の範疇には到底収まらない。(猫側もにゃーと応じているので立派な"会話"である。)黒猫が家族の一員となったあと、初めて帰省したときは、母と猫とのあまりの会話量に耳を疑った。てっきりわたしに話しかけているものだと思って、「なに?」と聞き返すと、『猫と喋っているから気にしないで』とのことだった。ほとんど人間に話しているようなものなのだ。気にならないわけがない。

母の猫好きにある程度慣れたはずなのに、未だに会話が気になって仕方がない。前回の帰省の際にも、隣の部屋からボソボソと声がしたので心配して見に行ったら、猫と母が向かい合って仲良く話していた。『あなたは知らないかもしれないけど、寝る前の会話はわたしたちの日課なの』と言われた。夜中だったので緊急の電話でもしているのかと、心配した娘の気持ちも考えてほしい。



黒猫の彼女が「品が良い」のは、自分のことを〈素敵な飼い主に巡り会えたしあわせな猫〉だと自覚しているところにある。母からの愛情を一身に受けている彼女は、何に対しても欲がない。ごはんもおやつも確実にもらえるとわかっているので、騒ぎ立てることがない。蛇口の近くで鳴けば誰かがちょろちょろと水を出してくれるし、爪とぎで爪を研いだだけで褒め称えられる。彼女は、人間として日々を精一杯生きているわたしが羨むほど、すべての欲求が満たされた上にしか成り立たないような「優雅な暮らし」をしている。

彼女は、知り合いのアニマルセラピストにも『わたしはとっても幸せよ』と伝えたらしい。当たり前だ、君はとてもしあわせな猫だ。



わたしは母に愛されている彼女をみていて、思うことがある。たしかに彼女はとても恵まれた環境に身を置いているが、それをきちんと理解して、感じきっているところがすごい(あくまでもわたしの見解。)おいしいおやつが好きなだけ貰えたとしても、貰えることがわかっていたとしても、それに満足できないところが人間の弱さであり傲慢さである。満たしきった欲は顧みず、それを上回るほどの新たな欲が湧いてくるものだ。

彼女にはそれがない。だから「品が良い」のだと思う。これは猫だから、ということではない気がする。猫ならなおさら、動物的本能に従って、その時々を一心不乱に生きているはずだ。



「満足する」ということを知っている、我が家の黒猫の魂は成熟している。これがわたしのペット自慢です。


※写真はナマコではなく黒猫です。うちの。



それではまた。


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