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他人と自分を比べないために考えたこと、調べたこと、そこから得られたものとは?

こんにちは、もあもあです。
今回は度々人間関係について思い悩み、
他者と理解し合いたいはずなのに、他者と親密になれることを恐れ、ヤマアラシのジレンマに陥り
他人と自分を比べて落ち込むのを避けるため
自分の殻にこもりがちになってしまう私が自分自身の心と向き合って、
タイトルの答えに辿り着くまでのお話。
作成時間:約8時間かかったのでとても長いです。
忙しい人は、「・負のループから抜け出すために同じ悩みに関するブログを読んだ結果」まで読み飛ばしてください。

自分自身に向けた内容でもあるので、読みづらい部分があるかと思いますが
最後までお付き合い頂けますと幸いです。

・私が内向的な性格になるまでの過程

私は幼少期は今と違って、集団の中で溶け込めなくてもあの子たちは見る目がないんだわ。とAのグループで上手くいかなければBのグループに移って遊びましょ。それでもダメなら1人で遊んでても平気平気!な子供でした。
小学校に上がるとそんなふうに集団行動から外れてもめげずに行動して自由に振舞っていた私でしたが、
母が夏休み直前に亡くなった事がきっかけで、
大きな環境の変化、父の転勤による転校、友達作りの難しさ、いじめ、家庭内での同居人からの性的虐待、ヤングケアラーになる…など、
様々な経験により私の性格はすっかり内向的になりました。
社会人になってからは、職場の人間関係から精神疾患を患い、何回かの転職を経験し、自分がADHDで診断が出るほどでは無いもののASD傾向があることが分かりました。
それからの人生は、自分の性格と発達障害の特性と向き合って、悩んだり解決したりを繰り返す日々を送っています。

・私が他人と深く関わることを避けるようになってしまった過去の出来事


過去の出来事を思い返せば、あれはADHDの自覚が無くて特性も理解していなかったが故に
自他ともに困らされていたとも受け取れる内容もあって
もっと早くに診断される機会があれば違った未来もあったのかも……とナンセンスなことを考えてしまう始末。
けれど、どんな出来事を経験して自分の殻に閉じこもるようになってしまったのか書かないことには、
解決するまでの気づきに繋がらないので書きます。

大事なことですが、すべてADHDが悪いという訳ではないです。
あくまで要因としてそういった特性から困り事が引き起こされたという話です。
誤解なきようお願いします。

◾︎自分の興味のある事でないと話が続かず、他人に対して興味を持つことが難しい。
◾︎結果、自分の話ばかりでつまらないという指摘に対し、真正面からみんなだって自分の話ばかりなのにどうして私だけ責められないといけないのかと反発し、孤立しがちになる。
◾︎グループに所属していたが、休み時間に毎回集まる事やトイレに行くなどの集団に合わせた行動が苦手で1人行動ばかりしていた。その内ペア学習では余り物に。(今思えば自然の摂理ではあったものの、疎外感で悩むことに。)
◾︎本音と建前や暗黙の了解が理解出来ず、相手を怒らせてしまったり、空気が読めないと責められる。
※その空気の読めなさが人によっては、
誠実/正直な人だと評価され好かれることもあり難しい。
◾︎自分のことをせっかく好意を持って褒めてもらっても、自分に自信が持てず劣等感の塊で自分の価値を下げるような発言をしてしまい、場の空気を悪くする。それをフォローする側の大変さを介護で精神疾患のある利用者さんの対応を経験するまで分かっておらずやらかしていた。
◾︎自分が一方的に友達だと思っていただけで、相手はそう思っていなかったのだと思わざるを得ないエピソードの数々(いじめ含む)...
その中で1番印象的だったのは、複数の相手から誕生日プレゼントを求められて贈ったのに、
誕生日にお返しがなかったこと。
私の価値って一体…?と、未だにふと思い出しては苦しむほどトラウマ。
見返りを求めた自分が悪いのか、はたまた相手が悪かったのか...両方かも。
◾︎同じグループの中で自分以外が集まって遊んでいたことが発覚し、他人に対して疑心暗鬼になり、親しくしてくれた別のグループの人たちまで、自分の悪口を言っているのではないかと疑い始めギクシャクして孤立。他人を信じたくても信じられず治るまで苦しむことに。
◾︎親しくなっても陰口の材料にされるのではないかと思って身の上話をしなくなって、
上辺だけの付き合いばかりをするようになった。

以上のことから、私は他人と深く関わることを避けるようになりました。
書いてみると自業自得な部分もあれど、
人的要因と環境的要因から「他人と深く関わると自他ともに傷つけあうことになるのだ」という
認知の歪みが発生した原因があることが分かりました。
だけど、
必ずしも過去と同じ事をしてくる人ばかりでは無いこと、
自分と違う感性の人がいても仲良くできること
を今は知っています。

・劣等感を感じる瞬間を書き出してみる


自分を救うために私が劣等感を感じる瞬間を思い返すと、以下の通り
※書けば書くほど、救いようがないように思えてきましたが、後ほどちゃんと救われるので大丈夫です。

◾︎明るく社交的で自分に自信がある人物を見たとき
◾︎自分より容姿のいい人物が当然だけどチヤホヤされているのを見たとき
◾︎自分以外から他人と比べられて余計に落ち込むとき
◾︎同じグループの中で自分だけが招待されていなかったとき
◾︎それを知った時に庇ってくれる人がいなかったとき
◾︎社交辞令を真に受けて行動してしまい、バカにされたとき
◾︎自分のときより明らかに他人の方が反応が良かったとき
◾︎他人の生活が羨ましいと思ったとき
◾︎文句を言わないからと他の人には押し付けない雑務を任されていると知ったとき
◾︎陰口であの子いてもいなくても一緒だよね。と言われているのを知ったとき。
◾︎自分の家庭環境が異常だったのを思い知ったとき。
◾︎自分の父の事が嫌いだけど、世のお父さんたちが下にみられているのを感じたとき
◾︎普通は〜だよねと言われたとき
……などなど、もうやめて、これ以上苦しめないで!
と、思ってしまうくらいの劣等感を抱えていて、
なおかつ、抑うつ持ちなので自己嫌悪に陥るという負のループ。
それでも頑張って生きてて私偉い。

・負のループから抜け出すために同じ悩みに関するブログを読んだ結果

私が久しぶりにnoteを開いて先ずしたことは、
noteがオススメしてくれた記事を読むこと。

そして、1つのエッセイ漫画と出会うことになった。
「嫉妬心を無くしたい」をテーマに連載されている内容で、詳しく読むためにnote記事の元になったブログをのぞくと、
私の抱える劣等感とも通じる内容だったので、とても参考になり救われた想いになることができた。

今まで劣等感を感じた時は、劣等感を抱いた相手と同じことをしてみる。的な解消法を実践しても何か違うと感じていたのだけど、
その方の連載記事を読み進んでいく内に、似たような体験をされていて共感の嵐。

連載内容の中で劣等感についても描かれており、
その内容が私の中でぐるぐる考えていてもたどり着けなかった答えへと導いてくれました。

そうか、上下関係を勝手に脳内で作り出してたんだ。
それに振り回されて苦しんでいたんだ。

さらに読み進めてまとめまで辿り着いた時、
私の心はなんだか軽くなったように思います。
この連載記事と出逢えたことに感謝🙏
(詳しく書きすぎると引用源にアクセスされる方が減りそうなので、ラフなまとめで失礼しました。)

・これらから得られたものとは

ここまで書き綴るまで約7時間
長かった。
主人と話し合うより何倍も。

・自分のマイナス感情を生み出している根源について書きまとめることで、自分の抱えているものが何なのかはっきり知ることが出来た。
・思い返してみるとろくな経験してないなと思った。
・そんな自分でもしぶとく生きられているのって凄いのかもしれない。
・凄くなかったとしても自分の人生を諦めなかったことはえらい。
・同じ悩みを持つ、持っていた人の記事を参考にしてみることで、自分の持っていなかった価値観を知ることが出来た。
・時にはこうやって一人の時間を持つことで、集団と関わり合うエネルギーを回復するのも大切。これは孤独では無い。
・自分の中の中に湧いてくる感情を受け止めるのも受け流すのも自由。

他にも出てきそうですが、今のところはここまで。


と、ここまで長々読んで頂き本当に心からありがとうございます。

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