感染症に日本が負けるとしたら

日本に感染症が蔓延したとして、それが日本の負けだとした場合、何が原因で負けた事になるかといったら
「国民が現代的な感染症の知識を身につけていない」
「国民が論理的な集団行動を取るリテラシーを身につけておらず、自制的な行動ができない」

ということに尽きる気がします。

その一因として
「国や他者のミスや至らぬ点だけを批判し、自らは行動を省みない」
という姿勢が、負けに至る大きな要因な気がします。

組織で働いた事がある人であれば誰でもわかるとおり、少数の人たちの力・奮闘だけで、組織を変えることも良くすることもできません。
集団に身に迫る危険があるとして、他人が何でも全部守ってくれる、自分は何もしないでもよい、という人が大多数な時点で、その集団は負けてしまうものだと思います。

新型コロナウイルスに伴う肺炎について、これだけ世間で騒がれているのに、今でも満員電車の中で咳き込んでいるのにマスクをつけずに乗車している人を多く見かけますし、トイレでも手を洗わずに出ていく人も多く見かけます(男子トイレではほとんどの人がそうじゃないですかね…)。
「手洗い」「うがい」や、咳を他人に向けてしない、等々は幼稚園・保育園の頃に学ぶ基礎的な衛生概念で、最近はテレビでも頻繁にアナウンスがされていますが、その意味や大事さを学び取れてない大人が意外と多いということなのだと思います。

こういう人たちを眺めると、僕は「負けてしまうかも」と感じてしまいます。国民の多くに基礎的な衛生概念が身についていないようであれば、国の偉い人達や担当省庁がどれだけ頑張っても、感染症の流行を抑えられるものでもありません。

知り合いの台湾人に、上述のような事象を指摘され、「日本の人たちは狂っている!!」と憤慨されたことがありますが、その気持ちはとても理解できますし、申し訳ない気持ちになります。


「世界をつくった6つの革命の物語」という本を読むと、「清潔」という概念がほんの100年前くらいに定着した概念だという事に驚きます。

100年ほど前に清潔という概念が発明され、定着し、手洗いを奨励することで病気の発症を抑えられたり、水をきれいに保つことで疫病を抑えられることを人類は学びました。

このことにより、今までは人口過密になると感染症・疫病など衛生問題が発生することで突破できなかった人口の限界点を超えることができるようになり、多くの大都市が成立することができるようになりました。

まだ、人類は、「清潔」という概念を理解してたった100年、その割には人間はとても賢く適応しているとも言えるし、まだ未知の問題が発生した時の大衆の反応が子供じみたものである、とも言えると思います。

東京など人口過密都市に住む人たちにとって、インフルエンザやコロナウイルスなどの感染症は敵であり、克服すべき課題だと思います。今までより都市化が進めば進むほど今まで以上に厄介な敵になりますし、人類の叡智として、皆が団結して克服し続けていかなければいけない課題だと思います。

日本が感染症に負けないために何をすべきか。それは、国民一人ひとりが、基本的なリテラシーを身につけて、日々行動をする。それが第一歩な気がしています。誰かのせいにして、日頃の鬱憤を晴らすような娯楽的な消費だけでは、何事も良い方向には変わらないのではないかと思います。

僕は、今回の件を通して人類がまた一つ賢くなり、これからより豊かな生活が送れるようになれば良いな、と思っています。



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