プレゼンテーション3

出来事の解釈は変えられるけど人の生死は変えられない 「銀河英雄伝説(13)」を読んだ。

銀河英雄伝説の13巻が発売された。
前半は帝国の話。
後半は自由惑星同盟の話。
やっぱり私はヤン・ウェンリーが好きだ。
私の人生を狂わせたやヤン・ウェンリーの話が大好きだ。

13巻は、小説版2巻最後を含む内容である。
小説版をお読みになった方は、第2巻の最後を含むということが、何を意味するのかお分かりだろう。

再マンガ化にあたって、藤崎氏独自の解釈で様々な改変が加えられた。
藤崎版の銀河英雄伝説においても、キャラクターの生死の運命までは変える事ができなかった。
既に、かなりifの世界に入り込んでいるこの作品だが、主要キャラクターの生殺与奪については変更がないらしい。

もうしかしたら、第2巻の最後が変更されるのであれば、小説版第8巻の悲劇も回避されるのではないかと期待していたのだが、さすがにそこまで原作を無視することはできなかったようだ。

本物の歴史も同じ。
出来事の解釈は後の研究や、時の権力者の介入によって、いかようにも変えられる。
でも、人が死んだという事実だけは、変えようがない。
もしこの作品をヤンが読んだら、そんなことを考えるのかもしれないな。

極めて正しい判断であると思う。
しかし、ちょっとだけ、彼らが生き続けた話も読みたいなと思っていた。

藤崎解釈のフレデリカ・グリーンヒルが、やけに軽く書かれていることに違和感を感じるのは私だけだろうか。
ヤンとユリアンのハイネセン行きの話もなくなっているし。
その違和感も一緒に作品の1部だと思って楽しめば良いのだろう。




この記事が参加している募集

サポートしていただけたら、新しい本の購入に当てさせていただきます。