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今日の、終わりに。

どうも、今日はわたしの誕生日です。  


4月3日という誕生日は、難儀なものだなぁと、特に学生時代思っていました。
春休みというタイミングは、祝ってもらえるチャンスが一番少ないと思うのです。

入学して仲良くなった頃にはもう過ぎていて、クラス替えもまた然り。
夏休みや冬休みは、まだ、学年を共にする仲間としてマシな方だと、春休み勢からは思ってしまいます。

今日誕生日なんだよね!えっまじで、おめでとう〜!と不特定多数に言われ、給食なんかでその日だけは主人公みたいに扱われているのを、羨ましいなぁと思ったこともたびたびです。  


春休みという概念がなくなってから、学生でなくなってからは、なんだか私にとって、誕生日というもの自体のきらめきが薄れていきました。

歳をとるということに、うっすらとネガティブなイメージがつき始めたからかもしれません。まぁそれ以上に、誕生日を祝われるだけの関係性があり、身近にいる存在というのが、学生時代から比べるとぐんと減ったということでしょう。

誕生日か、まぁ記念日とか、私そんな気にしないタイプだし?

んー、ハスってんなぁと思います。 


あまりに祝われないのは寂しいので、数年前からLINEの誕生日通知をオンにしました。便利なものですね、おかげでお祝いメッセージは増えました。私自身、他人の誕生日を覚えるのが苦手なので、単純にありがたい機能です。

この職業をはじめ、SNSなどをはじめて、間違いなく人生で一番多くの方におめでとうの言葉をいただいています。
誕生日なかなか祝われない問題を抱えていた身としては、実に感慨深いです。

***

誕生日のきらめきが薄れた数年前は、たぶん誰かに祝われる総量でめでたさをはかっていたのだと思います。
ここ最近は、自分の中で大切な日として、特別な日として、扱えるようになりました。開き直りとかじゃなくって、ちゃんと、そう思います。

なので、今年は友だちと集まることも自ら遠慮したし、誕生日を迎えるにはなかなかハードな世の中だけれど、私の中の特別感はなんら変わりません。
4月3日生まれで良かったなと思っています。

それもこれも、私が大切に思う人たちが、しっかり私の誕生日を祝ってくれていると、実感できるからです。
本当にありがとうございます。こうして感謝できる1日があるだけで、生きていて良かったと思います。

今日は特別な1日でした。
誰かにとって特別な1日を、少しでも共有して、ちょっと特別な日がたくさんできたら、人生ハッピーだなって思います。

ちなみに
歳をとることへのネガティブさが全くなくなったのも、嬉しいことです。どんな大人になれるかなって、わくわくしてます。
変わらず地道に、ちゃんと気付いて、受け入れて、感謝して、好きなこと見つけて、考えて、笑って、生きていきたいと思います。


この1年も、よろしくお願いします。


4月3日は、そろそろおしまい。
また明日、おやすみなさい。良い夢を!


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