日記 (8/12〜8/18)

 退屈だから久しぶりに日記を書く。

月曜日
 夜、急にネプリを出したくなって、7月くらいに書いて放置していた詩を使うことにした。
 この詩を書いているときに、「ここは改行というより改頁したいな」と思うところがあって、短い詩一編に数回の改頁でページを割ける媒体があまり思いつかなかった(個人の詩集とかだったらできそうだけど、しばらく詩集をつくる予定もない)のでやむなく改行していた。
 夜11時になって急にネプリ、やってみたいな、と思って、ネプリに出せそうないい感じの詩ないかなあ、といろいろ考えていたときに、「ネプリだったら手軽に好き勝手できるじゃん」と思って、例の詩を改頁して小さい冊子にすることを思いついた。深夜の思いつきとテンションの産物である。
 正気になって「失敗してたらどうしよう」「いちいち冊子にするの、印刷してくれた人も面倒だろ」と思ったけど、一週間の有効期限もまたネプリの魅力である。数人が刷って「なんだこれ」と思い、そして忘れ去ってくれればそれはそれでいい。詩集だとこうはいかない。改頁のないバージョンはいずれどこかで公開すると思う。
 軽やかな印刷物です。よかったらどうぞ。
 セブンイレブン 8/21  23:59まで
 プリント予約番号 KR3Y53CH
 A4で印刷したら、灰色の実線で切り取り、点線で山折りして、ページ番号順になるよう重ねて、綴じると冊子になります。

火曜日
 最近書き上げた詩を読み返して、ある程度納得できるものになったな、という手応えを感じた。ここで一度完成ということにしないと、詩がズブズブと推敲の沼地に引き摺られていってもとの詩の魅力ごと底なし沼に消失する、みたいな予感がある。一度沼地に沈みきるまで推敲してみたいが、勇気がない。

水曜日
 昨日に引き続いて、書き上げたばかりの自分の詩がとても良いな、と思えている。背伸びしているみたいな力みもなくて、全体を通して自然に言葉が出た。詩のモチーフの一部は高校生の、書き始めたばかりの頃に考えついたもので、それを引っ張り出して今使うことが詩の全体にどういう影響を与えるかわからなかったのだけど、やってみてよかった。同じところをぐるぐるしながら詩を書いている。でも高校生のときの自分では今の詩は書けなかっただろう。達成感で謎の脳内物質でも出ているのか夜中なのに「朝だ!」みたいな変な気分になった。でもきっと、いざどこかに提出したりすると、手放した瞬間に不安に駆られる。

木曜日
 親戚の元気いっぱいチルドレン(複数形である)がやってきた。元気を吸い上げられているような気もしたが、元来底抜けに元気いっぱいな子どもたちらしいので、別にわざわざ萎れた大学生からなけなしの元気を吸い上げる必要もないだろう。吸われているように思えるのは私の元気が枯渇気味だからである。
 ほぼ初対面の、休みでぐうたらしているくせにうっすら元気のない堕落した大学生にも物怖じしないで突進してくれる。ずっと元気いっぱいでいて欲しいと思った。

金曜日
 低気圧のせいか一日中眠くて、うつらうつらしていた。なんとなく頭が重い。
 『嵐が丘』でも読むか、外は嵐だし、と思って読み始めたが、冒頭が冬だったのでちょっと季節外れの選書だったかもしれないと思った。

土曜日
 昨日はずっと家の中にいたので、台風が過ぎていった実感もなかったのだが、夕方散歩に行ったらまだ青い栗の実が地面に転がっていて、やはり台風だったのだなと思った。田んぼの方に行けば数メートル四方の稲が根本から薙ぎ倒されている。梨などももう少しで収穫、というところだろう。被害が大きくなければいいが。

日曜日
 言語化って難しいなと思う。思考自体言語に頼るところも大きいように思うけれども、言葉にした瞬間に捨象されていくもの、取りこぼされていく複雑性、があるような気がしてならない。今の私の言葉の限界なのだろうと思う。濁流を細い綱で渡っていくような不安さが拭えない。

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