俺たちの好きなチバユウスケ

アベフトシが亡くなった頃に、俺たちの好きなアベフトシ、みたいな名前の2chスレッドが立っていたような気がする。
チバさんの思い出話をするなんて、数十年後だと思っていたのでとてもつらい。
つらいけど何か書かないと悲しみが濁流のように押し寄せてくるので、筆、というかスマホをとりました。

15年くらい前の大学生の頃、猛烈にチバユウスケから影響を受けていた私は、ミッシェルやROSSOやバースデーは聴き尽くして、次にチバさんが影響を受けた音楽や映画をしらみつぶしに辿っていた。
その頃流行っていたバンドにはあまり興味を持てなくて(東京事変は別)、だったら逆にチバさんのルーツを辿って古いバンドを掘っていこう、と思っていた。


私が通っていた東京の外れにある大学では、なぜか流行りのバンドのコピーをやるのはダサい、解散したバンドや渋いバンド、メジャーすぎないバンドのコピーをやることがかっこいいみたいな雰囲気があった。

いくつかある音楽系サークルが集まってイベントをするときには、ミッシェル、ROSSO、バースデーのコピバンが乱立して被りまくっていた。
あとはルースターズとかあぶらだことか村八分とかじゃがたらとか頭脳警察とかそんな感じで渋かった。
でもブランキーとかナンバガとかスーパーカーとかビークルとかSyrup16gとかもあったな。
東京事変と林檎さんは別枠でみんな大好きだったけど。

私はジャズ研にいたので、うらやましくみんなのコピーを見ていた。
そんなにチバが好きならなんでジャズ研にいるの?とよく言われたけど、自分でキュウちゃんのドラムをコピーしても全然かっこよくないことはわかっていた。


みんなにとってチバユウスケはとっくに通ってきた道だったので、みなみちゃんほど毎日チバのこと考えてないから!ともよく言われた。

地方から上京してきてやっと好きなバンドを追える環境を手に入れた私と、首都圏で生まれ育ったみんなとの圧倒的格差を感じた。
これが文化資本の差ってやつなのか?…と、社会学理論の講義で習ったばかりのブルデューの概念を当てはめたりしていた。


みんなとの差を埋めようと思っていたわけではないけど、その頃の私は取り憑かれたように起きた瞬間YouTubeやニコニコ動画を開いて、ミッシェル関連の動画を漁りまくる生活を送っていた。

違法にアップロードされた「塩化ビニール地獄」をかき集めて、消される前にチバさんが紹介していたレコードをメモして、下北、渋谷、新宿、御茶ノ水あたりのディスクユニオンとかレコファンとかをハシゴして探した。

ロキブル公式にも、ファンクラブの会報か何かで、チバさんがおすすめのレコードや映画を紹介してるアーカイブがあったので、それもメモしてレコ屋に走った。
レコードプレーヤーは持ってなかったから、CDで買っていたんだけど。

チバさんがチャーリーパーカーやスタンゲッツのレコードを紹介してるのを見つけた時には、チバさんジャズも聴くんだ!って嬉しくなった。



大学4年の2011年4月、アベフトシ追悼イベントで知り合った社会人のお姉さんと一緒に、渋谷クアトロにウィルコジョンソンを観に行った。

開演ぎりぎりに行ったら、偶然チバさんが入口の壁にもたれて、缶ビール片手に煙草を吸っていた。
大学時代の4年間、寝てる時以外のほとんどの時間はずっとチバさんのことを考えていたので、遭遇できたことがめちゃくちゃ嬉しくて、絶対に絶対に毎日拝んでいるチバユウスケに違いないのだけど、チバさんですか?と声をかけた。


チバさんはほろ酔い状態で機嫌がよくて、自分のライブかのように、ようこそ、いらっしゃいませ〜って感じで歓迎してくれた。

チバユウスケに歓迎されてウィルコジョンソンのライブを観るなんて、現実がバグりすぎている。

そして缶ビールを右手に持ち替えて、左手でがっちり握手をしてくれた。

夢が叶いすぎて頭が真っ白だったので、その日のチバさんの髪型や服装は全く思い出せないし、何を話したのかもほとんど覚えてない。
伝えたいことが渋滞しすぎて、結果ありがとうございますと連呼するくらいしかできなかったと思う。

チバさんとは5分くらい立ち話をしたのだけど、一つだけ覚えているのは、怒髪天とバースデーの対バンライブが震災の影響で中止になった話で、
私が安易に「震災のせいで行けなかったんですよね」と言ったら、チバさんに「俺だってやりたかったよ!」とちょっと怒られたこと。
そこだけすごく覚えている。


そのあと、ライブが始まってしばらくして会場後方を何気なく振り向くと、泥酔状態で立っていられなくなったチバさんが仲間にずるずる引き摺られていた。

引き摺られていくチバさんを見て、ほろ酔い状態の段階で遭遇できてよかったと思いつつ、これがあの有名な泥酔状態のチバユウスケか!と天然記念物をみたような気持ちになった。



というわけで、学生時代にどっぷりチバさんの音楽や価値観に影響を受けまくってアイデンティティが形成された私なので、最近はバースデーを以前ほど熱心に追っていたわけではなかったけど、やっぱり思い出がありすぎてものすごくさみしい。
バースデーやチバさんは私にとって実家みたいな、いつでも帰れる場所だと勝手に思い込んでいた。


King Gnuにハマれたのも、常田さんがミッシェルを通っていて時々ミッシェルの影響を感じるからだし、King Gnuの立ち姿や4人のキャラクターや放送事故みたいなマイペースなMCはいつもミッシェルみたいだなと思って観ている。

それになにより、学生時代に猛烈にのめり込んでチバさんの音楽やルーツまで掘り進めたから、私の耳はKing Gnuの良さに気づけたんだと思う。

そうやって、いつまでもアベフトシの不在を嘆いて新しいバンドを聴こうとしないのはもったいないと気づいて、今まで聴いてこなかったバンドやアーティストを開拓してるうちに、今度はチバさんがいなくなってしまった。


どんな言葉を綴っても、あの時チバさんに「俺だってやりたかったよ!」と言われたことを思い出すので、少しずつ時間をかけて受け入れていくしかないだろうとはわかってる。

ただ、かなしいものはかなしい。
治りかけのかさぶたが何回も無理やり剥がされて、いつ治るのかわからない。

でも、私はもうすでにチバさんからたくさんのものをもらっていて、それが私の血となり骨となっている。
チバさんのいる時代に生まれて、とても恵まれている。
チバさんが分けてくれた文化資本を使って、これからは自分の力でその資本を増やしながら、私は私の人生を楽しく生きていくしかない。


チバユウスケに出会えて、本当によかった。
今言えるのはこれが精一杯です。