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例えばそれがボロボロでも


あれは、本当に唐突な別れだった。

本当にそうだろうか。
今になって考えてみれば、お互いに随分と前から分かりきった別れだったような気がする。
「ね、元恋人くん。」
とかなんとか、聞いてみたくなる。



恋人と別れて、約3か月半ほどが経った。まだそんなものか、と思う。

今もまだ、たまにカメラロールを遡ると消し忘れた元恋人の写真を見つけては懐かしんだり少し泣いてしまったりしている。

そうは言っても、わたしの中に元恋人に対する好きだという感情が残っているのかと聞かれると、決してそういうわけではない。それがわかるようになったのだから、前に進めていることも確かだ。


ただ、元恋人と過ごした一年弱という短い時間は、26年生きてきたわたしの人生で1番はしゃいだ恋愛だった。これが、最も適切な表現だ。


争い事が苦手なわたしは、いつもみんなにいい顔をして過ごしてきた。でも、どっちにもいい顔をすると後々うまくいかなくなることを小学生の頃知ってしまったわたしは、その互いの悪いところを指摘しながらもいいところを褒めるという技を早いうちから身につけた。

そんな風にうまく交わし、関わりたくないものにはできるだけ関わらない、けれど関わってきたものにはとことん優しくするという選択を取って、我ながら上手に生きてきたと思う。
その分、自分の中に溜まるストレスやフラストレーションが人と比べると異常で、俗にいうため込んで爆発するタイプだと、自覚している。

そんなわたしが、家族以外に唯一自分の全てをさらけ出し、大人気ないことをぶつけられる、元恋人はわたしにとってそんな存在だった。

それが良くなかったんだろうな、と今は思うけれど、当時のわたしはそれが居心地が良くて仕方なかった。

19歳という、幼すぎる彼に何度も何度も憤りを感じたし、何度も何度も呆気にとられて二の句が継げないことばかりだった。

そんなところも愛してあげるべきだったのだろうか。わたしが全てを許し、我慢できる大人だったら、今もまだ一緒にいられただろうか。そんなことを考えることも今はもうなくなってはいるけれど、きっとそういう風にして一緒にいたとしても、別のどこかで互いの何かが崩れ落ちていただろうし、元恋人の性格的に別の人に好意を抱いて結局は離れていただろう。それもわかっているから、後悔も何もない。

それに、わたしもまだまだ子供だ。19歳の彼と付き合って、それを痛感した。だから、わたしにはわたしのこの稚拙さを上手に扱ってくれる人でないとだめだということも知ることができた。元恋人には感謝するべきだと思う。…そう思えるようになった。

自分の足りないところやだめなところを知って反省して、次は失敗しないぞと思えることは、きっと失恋における醍醐味というものだろう。醍醐味なんて、今だから言える言葉であって、別れた当時はこんな言葉思い浮かびもしなかったけれど。

そしておそらく今わたしは、経験値を積む一歩手前に立っている。別れた後に散々後悔して反省したことたちを、次に生かせるかどうかも結局は自分次第だから、次出会う誰かで試される。

会いたいときには会いたいって言うし、好きだと思ったら好きだって伝える。
自分と人は違うように、人から見た自分も違う。受け入れるのが難しくても、1度受け止める。

文字に起こすのは簡単だなあ。



わたしから別れを告げた日の前日、わたしたちは自転車で近くの街に出かけていた。寒すぎて自転車を途中のコンビニに止めて歩いて向かった。寒いから無理だ、自転車は明日取りに行こう、なんて言って、帰りは電車に乗った。

翌日の朝、1人で自転車を取りにむかったわけだが、思いの外遠かった。その日は風が強くて、とても寒かった。歩いても歩いても目当てのコンビニは見えなくて、そんなことばかり考えて、悲しみに暮れるのも忘れていた。

ようやくたどり着いたコンビニには、元恋人の自転車はすでになかった。ああ、そうか終わったんだなと、少し笑えたのを今も覚えている。

その日は、高校時代から仲の良い友達も休みだったようで、バスに乗ってその友達の家に向かった。

バスの中で、悲しい曲を聴いては涙が止まらなかった。人目を気にしながら、マスクとメガネで顔を隠し、頭の中はもう終わったということと後悔でぐしゃぐしゃだった。


あの日あんなに長く感じたコンビニまでの道を、今同じように歩いている。雨が降りそうとはいえ、気温も心地よく、この文章を打っている間にコンビニは通り過ぎてしまった。呆気ない。

時間が解決するとよくいうけれど、時間だけでは解決しないとわたしは思う。別れた当時、毎日のように夢中になれる何かを見つけなければ、と考えていた。でもそんなもの急に現れるわけでもなく、途方に暮れていたわけだが、最近わたしは新しいことを勉強し始めた。

いつの間にか、元恋人のことを考える時間がなくなっていた。世間一般的には、それはいいことなのだと思う。

けれど、わたしにはそれがなぜかどうしようも無くさみしかったので、このブログを書いている。

相変わらずゲームばかりして、美味しいもの食べて「うまい」なんて言ってるのかな。ずっと家にいて体が大きくなってないかな。わたしと別れる前に連絡を取り合っていた女の子とは、どうにかなったのかな。しあわせなら、まあそれはそれでいいや。

彼のしあわせを願うようなことはしないけれど、穏やかに笑って過ごせているのなら、それでいいかな。

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