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「銀紙が私の宝物です」という彼女の声を僕は何度も再生した

「お母さんにもらった銀紙が宝物です」と作文を発表する女の子がいた。
小学2年生のときの話だ。

その意味を知るには僕らは幼すぎて、クラスの男子が彼女を泣かせてしまったことを今でも後悔している。

その女の子は少し変わっていた。怒ると噛みつく子で、周りから距離をおかれていた。

不思議なことに、彼女と一緒に暮らしている子たちが各クラスに二人くらいずついた。
大きくなってから知ったのだが、彼女たちは児童養護施設で暮らしていた。
一緒に暮らしている子たちは結束力が強く、誰かがもめていると上の学年のお兄さんお姉さん的な子たちがすぐに駆けつける。
僕ら他の子どもたちにとって、威圧的で敵に回したくないグループだった。

大人になった今なら見え方は違う。
すぐ駆けつける子たちは面倒見がいい子たちだと映るし、噛みつく彼女のことも自己防衛のために覚えた術なんだろうと納得する。
しかし小学2年生の当時は、変わった子だとしか思えなかった。

その年の運動会が終わった直後、国語の時間に運動会の感想文を書かされた。
後日、感想文が返却されたとき、何人かの子は立って発表することになった。いつも、指名される子たちは作文の上手な固定メンバーだ。
ところが、このときばかりは違った。
最後に彼女が指名された。
クラス中がどよめいたのを覚えている。

そして、彼女は本当に嬉しそうに読み始めた。
運動会のお弁当の時間にお母さんと一緒にご飯を食べたという話だった。
それが児童擁護施設で暮らす彼女にとっていかに幸せな時間だったのか今ならわかる。
しかし、小学校2年生の僕たちは不思議そうに聞いていた。
彼女が親と暮らしていないことを知らなかった子もいるし、知っていてもそれがどういうことか感覚として分からない子がほとんどだった。
親とご飯を食べたという当たり前の話をどうして嬉しそうに話すのか理解できなかった。
そして、最後に彼女は言った。

「ごはんを食べたあとにお母さんにもらった銀紙が宝物です」

すると後ろの席の男の子が言った。

「銀紙ってアルミホイルだろ。そんな安いの宝物じゃないよ」

ずっと不思議そうに聞いていた他の子たちもみんな笑った。僕も笑った。手紙をもらったなら分かるけどアルミホイルなんてどこにだってある。彼女が男の子の方を向く。彼は机を引いてよける体勢をとった。
いつもの彼女ならすぐにつかみかかって噛み付いてくるからだ。
ところが彼女は動かなかった。
そして大声で泣いた。

そのあとのことは記憶から消えている。
このシーンを何度も再生しては後悔している。同級生としてどうすべきだったか、何度も問いかける。だけど小学校2年生ならそこまで想像力も働かない気もする。
他の立場でも何度も再生する。彼女はどう感じたのか、彼女の親が知ったらどう感じるか。
もしかすると、彼女の銀紙はお母さんのおにぎりを包んでいたのかもしれない。おにぎりを食べ終わった後に「この銀紙もらっていい?」と言ったのかもしれない。そう思うとさらに胸が苦しくなる。笑ったことを後悔する。
その後悔とともに、幸せそうに作文を読んでいた彼女の笑顔も思い出す。

ただの銀紙が彼女にとっては間違いなく宝物だった。
学校の先生の立場でも再生してみる。先生は彼女の作文を読んで感動したから他の子にも聞かせたかったんだと思う。だけど小学2年生には難しすぎた。
どうすべきだったか答えはわからない。
教育として正しくなかったのかもしれない。

でも、その国語の授業は今でも僕に影響を与えている。後悔するだけではなく、幸せとは何かを考えさせられる。子どもの立場でも親の立場でも教育者の立場でも。

僕は転校したのでそれ以来彼女に会っていないけど、そのとき見せた笑顔を今もふりまいていることを願っています。

(こちらはの文章は、twitter上で発信したものを転載しています)

この話は、映画「すずめの戸締まり」を見て、その感想を頭の中で整理しているときに思い出しました。37年経ってようやく言語化できました。


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読んでいただいてありがとうございます。
余談ですが、僕が転校したのはギャンブルと信用取引で大損して家を失ったからです。転校後は結構大変でした。人生一発逆転を狙った中卒の父親が僕を東大に入れようとする下克上受験のような話につながります。その話もいつか。



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