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役に立つリベラル・アーツとは?

リベラル・アーツの原義、定義については、ま、ググってWikipediaでも読んでください(べつに読まなくても全然かまいません)。
しばらく以前から、ビジネスパーソン界隈で、リベラル・アーツの重要性なんてことが説かれているようですが、ビジネスに限らず、すべての実践的知性において、じつはリベラル・アーツは必須の能力だと言えます。
なぜか。そして、「実践」において役に立つリベラル・アーツとはどんなものか。この記事では、そのことに絞って書いてみたいと思います。

1.実践的リベラル・アーツの定義

リベラル・アーツ、基礎教養ということですが、実践的知性において役立つリベラル・アーツを一言で定義するなら、「アナロジーによってネットワーク状に結合され、且つ構造的に立体化された知識体系」ということになります。

2.実践的知性とは?

そもそも実践的知性とは、どんな知性でしょうか。それは、既定の答のない状況のなかで、多様な課題に応じつつ、一定の処方を創造する知性のことです。
<状況>とは、何でもいいのですが、例えば「新商品を開発しなければならない」という<状況>がある。学校の勉強のように、既定の知識を体系立てて勉強していけば正解にたどりつく、ということはありません。市場における多様な情報をインプットしつつ、そこからエイヤッと「新商品」という「処方」をアウトプットしなければならない。
ここでの「アウトプット」は、ただインプットした情報を整理したり、特定の定式で変換したりしたものではなく、そこには「創造性」が介在していなければなりません。
創造的アウトプット、そのためのインプット、そこに、リベラル・アーツはどのように関わっているのでしょうか?

3.創造的アウトプットのための創造的インプット

創造的アウトプットするためには、テストで点を取るための勉強方法とは違った、言わば創造的インプットが必要になります。
つまり、ただ既定の知識体系、知識の領域を順序立ててインプットしていくのではなく、常にアウトプットありきでインプットしていかねばならないのです。
例えば、マーケティング資料やウェブや書籍の情報を読みながら、つねにこのデータを「新商品」に結像するには、と、想像力を働かせながら読んでいかなければなりません。
想像力とは個人の勝手気ままな空想、妄想の類とは違います。創造的アウトプットのためには、創造的インプットが必須になる。より正確には、創造的アウトプット-創造的インプットループの構築が必須になります。想像力とは、この創造的ループが回るエフェクト(効果)として、ある程度オートマティックに作動するイメージング能力なのです。

4.創造的ループ構築のためのリベラル・アーツ

インプット-アウトプットの創造的ループを構築するには、リベラル・アーツが必須になります。
例えば、Aという情報をインプットする。創造的インプットとは、Aという情報をインプットしたとき、それがBに似ており、Fにも似ている、そしてある観点からはXYZの集合の一部である、と、脳内で即座にそのAが(A≒B≒F)⊂(X,Y,Z)と変換して考えられるということです。
そのためには、新しい知識Aに対して、いかに拡張性の高い、そしてある程度構造化されて深度を獲得した情報の体系が参照できるか、ということが必須で、その情報体系の大きさ、密度が、そのまま想像力の働く範囲となります。
最初に、私は、リベラル・アーツを「アナロジーによってネットワーク状に結合され、且つ構造的に立体化された知識体系」と定義しました。
インプット-アウトプットの創造的ループを構築するためには、そのようにネットワーク結合×構造化された参照項の充備が必要ということになるということです。

4.実践的リベラル・アーツの身につけ方

さて、それでは、そのような「アナロジーによってネットワーク状に結合され、且つ構造的に立体化された知識体系」をどのように身につければいいのか。

ひとつは、情報に接するとき、つねにアナロジーを働かせながら接する癖をつけることです。
アナロジーの能力、AとBは“似ている”(準同型である)ことを察する能力は、誰もがこれを持っている人間にとって先天的な能力です。
ただ、近代的な知的訓練に馴染んでしまった人は、むしろAとBが“どう違うか”(分節性)ということに過度に敏感になり、先天的なアナロジーの能力が抑圧されてしまっている可能性もあります。学校の勉強がよくできる知識の豊富な人間が、創造性を発揮できない場合があるのは、この抑圧が働いているせいだと考えていいでしょう。私自身は、学校秀才だったことはありませんので、その抑圧を解く方法についてはよく分かりません。まあ、努力しないための集中力を発揮してください、と分かったような分からないようなアドバイスをするにとどめます…(笑)。
吉本隆明も、社会人になってからの勉強は、学校の勉強とは違う、と言っています。例えば『源氏物語』を読んでいて、ある個所、ある表現が何となく引っかかる、そういえば、「あれ」に似ているんじゃないか。…そんな連想をたどって、読書の幅を広げていけば、いつのまにか「全部が繋がっていく」というアドバイスをしています。つまり、アナロジーを働かせて読んでいけ、ということです。

もうひとつは、つねに原理的に考える、ということです。
Aという情報は、もちろん非Aという「背景」において成り立っています。Aに接するとき、その非Aを視野に入れて考える。そのためには、A/非Aという「構造」を考えなければなりません。
「構造」を捉えるには、一歩引いて、或いは、抽象度を上げ、ひとつ深い次元に降りて考える必要があります。
そのために必要になるのは、一言でいえば「哲学」です。どちらかといえば、「職人の哲学」「極道の哲学」「アスリートの哲学」というような、現場から抽出され、普遍性に届いた智恵のことを指しますが、もちろんプラトン、カント、ヘーゲル、ニーチェといったいわゆる哲学も、抽象度を上げて考えるためのいい訓練にはなるでしょう。

1.つねにアナロジーを働かせること
2.つねに原理を志向すること







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