被写体とカメラマン、友達と私
便宜上、被写体とカメラマンと書いたが私自身はどこにでもいる、ただ写真を撮るのが趣味な女だ。
これは愚痴というかなんというか。同じことを思う人も結構いるんじゃないかと思う。
それはさておきだ。写真が趣味でそれなりに撮れるとなると、友人からカメラで撮って欲しいと頼まれることもあるだろう。
友達同士で気軽にそんな話をすることも多いのではないだろうか?
やっぱり映える写真には憧れるし、カメラで綺麗な写真を撮りたい!という思いの子も多いだろう。
そこで友達が趣味で写真を撮っていたら。頼んでOKがでたら、遊びがてら写真を撮りに行く、なんてこともよくあるだろう。
知らないモデルさんと撮影
知らないカメラマンと撮影
そんな状況よりも全然頼みやすくて、ラフで楽しい。撮りたいし、撮られたい。
お互いギブアンドテイクで楽しく撮影できる。
確かにそうだ、現に私もよくやる。
ただ、そのなかでどうしても悲しいことがひとつ。
加工だ。
写真の加工をモデル側の友達に勝手にされてしまうことが、私にはどうしても悲しく思えてしまう。
やはり顔がよく見えるようにしたり、フィルターを好みでかけたりしたい気持ちはよく分かる。
けれど、私はその写真を撮ってからパソコンで編集して、そこで色味を変えたりトリミングをしたり等、それなりに時間をかけてそのデータを渡しているのだ。撮る時点でも、色味や明るさ、コントラストなどを考えて撮影している。
それをスマホでさらにトリミング、好きなように加工されて、その完成品だけをみんなに見せたりSNSにあげられているのを見ると、とても、本当にとても悲しいのだ。
「そこまで加工したら、私がわざわざカメラで撮る意味なくない?」
そう言いたくなるようなほど加工されることもある。
画質だって、せっかくカメラで撮ってもスマホでの加工を重ねるごとに落ちていってしまう。
プロでもないのに、そんなことを言うのかとも言われそうだし、私の実力不足かもしれない。
でも、何も言わずに加工され、それを完成品として出されるのは、やっぱりすごく悲しいのだ。
私がこだわった部分、写したかったところ、伝えたかった雰囲気。
それが全部無かったことにされてしまう。
そうは思っても、友達だからこそ、言っても無駄だったりもするのだ。
もちろん、こちらの意見を聞いて一緒に最初から最後まで、一生懸命に考えてくれる子もいる。
そういうときはやっぱりすごく楽しくて。
一緒作り上げた作品を、後から見返して「ここが良かったね」「あそこもっとこうしたかったね」「また撮ろうね」そう話してる間もとても嬉しくて楽しいのだ。
でも、最近は加工される悲しさばかりが勝っていて、もう友達との撮影なんて…… と後ろ向きになることも多い。
もしモデル側の子で、これを見て思い当たることがあったら、少しでもいい。自分の友達、カメラマンの気持ちを考えてあげて欲しい。
あなたがなにも考えず切り取ったところは、相手にはとても重要な部分だったのかもしれないから。
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