触覚的な面白さのあるデザインを追求したい話


独学でデザインを始めてから、7ヶ月経っていました。

小さい頃から絵が好きだったとはいえど、総合大で芸術とは全く関係のない時間を過ごしてきた私にとって、就職の方向性をデザイン系に転向することに凄く勇気がいり、お正月の神社で半泣きでお祈りしたのが既に超懐かしいです。

ツールの使い方や何やらで、表面的なアウトプットのクオリティ向上にひた走ってきたのですが、そもそもユーザーにとって「分かりやすい」「面白い」って何だろう?「もっと本質的な部分で、どんなデザインがしたいんだろう?」と思うようになりました。


完結言うと、このデジタル時代「触れること」の重要性がめっちゃ上がってて、でもそれがあまりにも自然に現実世界に馴染んでるから、わたしはそこをめっちゃ意識して、素敵な体験を提供できるデザイナーになりてえ!!!!って話です。


1.五感の中で、触覚が重要視されている時代?


かの有名なメディア論の父=マーシャル・マクルーハンは、「感覚比率」っていうのを提唱してるらしいです。

簡単に言うと、ある技術が世界に導入される際、人間の五感のうち特定の感覚だけが強調されるようになるっていうことらしいです。

文字のない時代(古代〜)→聴覚
文字発明以降(近代〜)→視覚

って感じで。
(マーシャル・マクルーハン『メディア論』より)


その文脈に即して今の時代を考えると、触覚めっちゃ重要になってねえ?っていうのがメディア論の先行研究らしく、私も身近に感じているのですぐに納得できました。


2.「触覚の時代」の典型例


例えば、Apple社iPhoneの発明。

「スクリーンに直接触れることができて、ボタンは現実世界の本物のボタンの形をしていて、触れるとガチで押したような反応が返ってくる」

今では当たり前のことすぎて、押しても反応のないデジタル画面に対して脳が瞬時に「壊れてる!!!バグった!!なんだキサマは!!!」ってキレ散らかすんですよね。

ある意味、「触って視認している/確かめている」とも言えそうです。

むしろスキューモーフィズム的なUIはひと昔前で、今はフラットなUIがトレンドだったりしますね。それくらいスクリーンに触れてインタラクティブに反応が返ってくるのは当たり前の世界になりました。

立体感のあるios6(スキューモーフィズム)とフラットなios7のUI画面

https://www.semiconportal.com/archive/blog/insiders/kawada/131009-flatdesign.html


あと思いつくのは、舞台とかフェスとかライブとか、声優の朗読劇とかイベントとか、そういうリアルイベントの需要がめっちゃ高まってること。
(こんな時期なんで色々落ち込んでる業界ですけど、全体的に見てめっちゃ伸びてるんですよ。)

「え、デジタル時代関係ないじゃん、むしろ逆行してんじゃん」って思うかも知れないのですが、

デジタル技術が私たちの触覚性を強調したからこそ、オフラインにも「触れられるような面白さ」が追及されるようになったも思いませんか?

わたしはめっちゃ思います。

2.5次元舞台なんてまさにその典型で、仮想世界にしかいなかったキャラクターが、まさに触れられるような距離感で動いて喋っている。(本当に触っちゃダメですよ)

私は2.5の舞台が好きだったことがあったのですが、1列目の席では、演者さんの毛穴も汗も、それこそ8Kテレビに劣らないくらい鮮明に見えるし、暗転中の衣擦れとか息の音までしっかり聞こえる。

実際に演者に触れられないというルールの下においては、この「見える」「聞こえる」は「触覚性」を副次的に補完していて、結局「触れるような面白さ」に収斂してるように見えます。


あと最後に思いつくのは、やっぱりVRとかARとか。

流石に触感まで再現できてないですけど、「触れる没入感」を最大限まで追求したテクノロジーですよね。

ゴーグルが高いんでVRゲームは普及はしてなさそうですが、AppleがARメガネとやらを開発してるとか何とかで、(https://www.semiconportal.com/archive/blog/insiders/kawada/131009-flatdesign.html より)触覚性を追求する時代も相まって、これから絶対伸びる市場だと大確信してます。

SAOの時代も全然あり得なくなくて怖いですね。


3.触覚体験をデザインするデザイナー


今までの文脈から、「こいつはリアルな表現ができるデザインがしたいんだ!」って思われた方もいらっしゃると思うのですが、実はそれは二次的なものに過ぎなくて、

どちらかというと、「触れたらインタラクティブに反応が返ってくるという体験」をデザインしたい、ということです。

なので、私の目指しているゲームUIデザイナー的な文脈に即して言うと、
リアルなキャラクターへの没入感を高めるために、あえてフラットでシンプルなUIを作る、っていう表現方法もあって、

「リアルかそうじゃないか」はあくまでも「何に触覚的な体験を付与するか」で決まってくる気がします。


iPhoneの例で触れたように、今ではデジタルの触覚性があまりにも現実世界に馴染み過ぎいて、そこに潜んでいる「触覚的な気持ち良い」がどのようにデザインされているかって言うことに気付きづらい気がします。

だからこそ、体験をデザインするデザイナーとして、今ナウい「触覚性」に常に意識的でありたいです。


でも、どうなんでしょう。
プロのデザイナーさんって、そんな意識は当たり前すぎて、私はやっとスタート地点に着けただけなんでしょうかね…汗

とりあえず、大学で研究してることと自分のデザインの考え方がマッチしてて、それを言語化出来たというだけで許してください。


4.さいごに


ジョナサン・クレーリーは、人間の赤ちゃんが、母親や自分の身の回りの物を手当たり次第触って、触覚で環境を認識することで、脳が発達/視覚的な正確性を得ていく過程について述べていました。
(ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜-視覚空間の変容とモダニティ-』)

そう考えると、やっぱり「触れられるような面白さ」って人間にとってめちゃくちゃ需要高い問題に感じます。脳が発達しちゃうんですからね。すごい(小並感)

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