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176:意識に物理世界との誤差が最小限の「モノもどき」ができあがる

​​ハードウェアとソフトウェアとが一体化したモノ=ヒトということになるとすれば,モノ自体もハードウェア+ソフトウェアとの組み合わせで考えることができるのはないだろうか.ヒトの意識=ソフトウェアに現れるのがモノのソフトウェア部分と考えてみる.しかも,ソフトウェアということでプログラム可能として考えてみる.ヒトがモノを体験したときに,ヒトの意識内に立ち現れるモノを考えていくと,ここで立ち現れてくるのが,私が「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」でずっと考えてきた「バルク」なのではないだろうか.物理世界に存在するモノはサーフェイスに覆われているが,意識に立ち現れてくるモノにはサーフェイスがなく,バルクが剥き出しである.サーフェイスを持たない剥き出しのバルクにおいては,上面,側面,下面といったものはなく,一挙に現れてくる.一挙に現れてくるバルクに,感覚データ由来のサーフェイスが付与されて,モノが意識に立ち現れる.意識では,サーフェイスに囲まれたモノが先にあるのではなく,剥き出しのバルクが先にある.

意識が物理世界を切り取り,白い練り物でできたアバウトな3DCGモデルようなものが意識内でできあがっていく.この白い練り物が意識に立ち現れるサーフェイスを持たないバルクである.この白い練り物としてのバルクに感覚データが貼り付けられていき,意識に外界にモノとの誤差が最小化された「モノもどき」が立ち現れてくる.意識にはバルクが先にあり,あとから感覚由来の外界のデータが貼り付けられて,サーフェイスができあがっていく,サーフェイスが出来上がったときに,剥き出しのバルクがはじめて空白になる.そうして,意識に一つの型ができあがる.

プラスチックのブロー成型の様子が上の記述を表しているように思われる.最初に膨らんでいるのが意識にない立ち現れる白い練り物としてのバルクで,これ自体は何かでしかない.そこに感覚データが貼り付けられる.この映像だと「貼り付け」というよりは輪郭を与えられるという感じである.輪郭=サーフェイスを与えられて,さらに視覚から得られた「色情報」を付与されれれば,意識に物理世界との誤差が最小限の「モノもどき」ができあがると考えられる.

ヒトは普段,ここで膨らんでいる練り物としてのバルクを体験することはない.このバルクにはすぐにサーフェイスが与えられる.サーフェイスが一度与えられると,意識におけるバルクは「空白」となってしまう.なぜなら,物理世界のモノにおいて,ヒトはサーフェイスしか見ることができなし,触れることができないからである.物理世界のモノと誤差が最小化した意識の「モノもどき」においても,バルクはなくなり,サーフェイスに囲まれた部分は空白となってしまう.そして,意識からは,空白=バルクは締め出されていく.けれど,インターフェイス以後,サーフェイスを透してバルクを見ることができ,バルクに触れることができるようになってきた.モノではなく,情報を起点にして考えることで,バルクへのアクセスが可能になってきたからである.インターフェイス以後のヒトは,モノを見て,モノに触れているのではなく,情報を見て,情報に触れている.この体験の変化によって,モノの体験とともに意識に現れる「モノもどき」が持つことになる空白の存在が改めて強調されるようになっている.だからこそ,空白を見る,空白に触れる「錯覚」という体験が表現としての強さを持つようになってきている.​​意識に立ち上がる空白を孕んだ「モノもどき」をの起点には情報からできあがる「錯覚」がある.

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