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074:インタラクションは表象から「現れ」へと向かう

「2 The Material Turn───On the Material Turn in Interaction Design」のまとめ

コマンドライン(CUI)からグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI),そしてタンジブル・ユーザ・インターフェイス(TUI)という流れで,表象中心のインターフェイスからマテリアルインタラクションになっていく.だから,TUIは表象とメタファーに基づくインターフェイスからマテリアルインタラクションへと最初の一歩になる.表象とメタファーに基づくGUIは「記憶」より「認識」が基本的なデザイン原則になっている.「認識」が重要視されるから,GUIは「直感的」が良しとされる.

ワイバーグは「メタファーはフィジカルな世界とデジタル世界とのちがいを規定することを手助けしてきた」と,この章の最後に書いている.デジタル世界を理解するためにフィジカル世界を経由してしまったと,ネガティブな感じである.私は,この「遠回り」は重要だったと考えている.なぜなら,この迂回によって,「メタファー」を使って,ヒトの身体感覚をデジタル世界に移植できたと考えているかである.デジタル世界で「直感」を働かせることができるようになるために,メタファーが果たした役割はとても大きなものだったと思う.

From metaphors to materials

「マテリアル・ターン」はメタファーから脱却し,フィジカル・マテリアルとの直接的インタラクションを目指している.その一つの例が,ダグラス・エンゲルバートの木製マウスであった.画面上のメタファーではなく,手で持たれたマテリアル=マウスがコンピュータと直接的にインタラクションしている.しかし,このマウスが「木製」であることはインタラクションに何も影響を与えていない.

ここで,モールスキンとEvernoteによる「ノートをとる」というインタラクションを考えてみる.「ノートをとる」は単なる行為でけなく,インタラクションである.なぜなら,ノートブックがインターフェイスで,書かれたノートの出力だからである.そして,モールスキンとEvernoteとが連携したあらたな「ノートをとる」インタラクションには「書かれたノートをキャプチャーする」という要素が追加されている.この要素は従来の「ノートをとる」インタラクションのどの要素にも似ていないし,フィジカルなメタファーに基づかない要素となっている

「書かれたノートをキャプチャーする」を含めた「ノートをとる」ことがリアルなインタラクションになっている.木製のマウスは木製である必要はないけれど,モールスキンのノートは「紙」という伝統的なマテリアルである必要がある.「紙」が持つフィジカルな特質に基づくインタラクションの集合があり,モールスキンとEvernoteの連携は,その特性をデジタルインタラクションのプロセスに組み込んでいる.「書かれたノートをキャプチャーする」というデジタルなインタラクションが追加されてはいるが「ノートをとる」というプロセスは,「解釈」や「連想による理解」が入る余地がない紙のノートが示すリアルなインタクションを使っている.

ワイバーグがノートとペンとが持つ「ノートをとる」というインタラクションにキャプチャーというデジタルな要素を組み合わせを賞賛しているのはわかる.この延長線上に,iPadとApple Pencilによる「紙に描く」という伝統的な行為そのものをシミュレーションすることが出てくるのだろう.もちろん,iPadとApple Pencil以前にも「紙に描く」の模倣は行われていたけれど,それを「見かけと感触(look and feel)」のレベルで行なったのが良かったのだろう.だが,伝統的な行為をそのままデジタルに移してもダメなのだろう.コンピュータに移植した身体感覚がデジタル独自の発展をしていると考えるべきで,そこをうまく活用して,再び,伝統的な行為に引き戻すことが求められていて,そこをApple Pencilはうまく利用したのではないかと,私は考えている.ワイバーグの考察とともに考ええていきたい.

ワイバーグはモールスキンとEvernoteの連携の例の後に,MITの石井裕が提案した「ラディカル・アトムズ」を参照する.ラディカル・アトムは,コンピュータの計算的力でピクセルを操作すづのではなく,フィジカルマテリアル自体の形態を変形させていく概念であり,試みである.

例えば「inFORM」は,コンピューティングがフィジカルな形態をとることを示している.ここではコンピュータを介してヒトとモノとのダイレクトなインタラクションが行われており,計算的現れが伝統的な表象ベースのデザインパラダイムを補完している.


From representation to manifestations

インタラクションは表象から「現れ」へと向かう.それは,抽象的・理論的な何かが出来事,行為,オブジェクトとして明確に示されることを意味する.そして,コンピューティングがより具体的になれば「ヴァーチャル」と「リアル」との違いがなくなっていくだろう.マテリアル・インタラクションの視点から見ると,この変化は存在論的に重要となってくる.

Integrating the computer in the world

ワイバーグは「Mogees」を例として,コンピューティングと楽器との関係を考察する.Mogeesによって,日常のフィジカルなオブジェクトが楽器になるというだけではなく,日常的なオブジェクトがコンピュータへの入力装置になり,インタラクションの一部に組み込まれるのである.Mogeesは.スキュモーフィズムを超えて,あたらしいデザインの楽器を作成できるということなのである.

計算的現れでは,マテリアルの選択が重要となってくる.なぜなら,情報の処理だけでなく,計算処理をどのようなマテリアルで現すかで,音の鳴り方が変化するといったことが起こるからである.マテリアル・インタラクション・デザインでは,マテリアルが問題となる! だから,マテリアル・インタラクション・デザインはインタラクション・デザインと伝統的な工業デザインとのあいだにある.それは,物質と非物質を混ぜ合わせることを意味するのである.

インタラクションのマテリアリティでは「距離」ではなく「近さ」が問題になっていく.なぜなら,ヒト,テクノロジー,インタラクションのモード,オブジェクトなどの異なる要素の分離がなくなっていくからである.

ヒトとコンピュータとの「あいだ」といった「距離」そのものがなくなっていくというワイバーグの指摘はその通りだと思う.Appleの「Designing Fluid Interfaces」のスライドであったように,iPhoneは石斧から続く「道具」なのであり,そこには「距離」はなく,手元にあるという「近さ」しかない.

渡邊のこのツイートは,ワイバーグのインタラクションのマテリアリティと重なっている.スマートフォン以後,「物質を作らず,物質的で物質以上の体験を設計すること」が目指されてきたし,開発者会議で明示的に共有されていることは重要である.そして,そこからフィジカルとマテリアルとの融合のみを考えるのではなく,そこで再び画面内の表象の役割を考えることも重要だろう.「物質を作らず,物質的で物質以上の体験」をつくりだす「表象」をあらたなマテリアルと考えることも含めて,マテリアルのインタラクションは考えていかなければならないだろう.

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