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数学の先生と甘えん棒の話


もういい加減語るのも飽きてきたが私は数学が苦手だ。

小学生になってから6年間も私を苦しめてきた算数が、中学になると更に理解を超える「数学」という学問になり私に立ちはだかった。xだのyだのアルファベットが出現してくるわマイナスという概念が加わるわで数字の持つ限界値はまさに無限になった。今まで野生の勘に頼って数々の死線をくぐり抜いてきた私だが、答えを導き出すのがいよいよ困難になりテストの度に知恵熱を出して苦しんでいた。

そんな数学を中高大を卒業して今度は学生に教えようと言う数学教師は私からしたら相当な変わり者だったし、実際に出会った数学教師も変な人だった。
今回は高校一年生の時に数学の担当だったコウダ先生との思い出について語りたい。

コウダ先生は数学の教師で、いつも「甘えん棒」という木で出来た棍棒を持っていた。平和な高校に鈍器を持ち歩くとは今思えば実に物騒な男である。
甘えん棒は我々が名付けた訳でもコウダ先生が名付けた訳でも無く、棒自体にでかでかと“甘えん棒”という刻印がしてあった為そう呼ばざるを得なかった。正式名称は“さんまちゃんの!甘えん棒”だったので、あの明石家さんまのグッズだと察する。修学旅行の引率で買ったか、お土産でもらったか記憶は定かではないが、その手のルートで入手したのだとぼんやり覚えている。小柄で小太りなコウダ先生が授業のたびにその棍棒を持ち歩く様は実におもろくおかしく、私は密かにダンジョンの序盤で出てくるゴブリンみたいだなぁと笑っていた。

甘えん棒には様々な活用法があった。
黒板を指す指示棒がわりにもなれば寝ている生徒を適度な距離からこずいて起こす事もでき、生徒が問題を解いている手持ち無沙汰な時間には先生の凝り固まった肩をほぐすマッサージ器にもなった。とにかく先生は四六時中甘えん棒と共に行動していた。

私とコウダ先生はトムとジェリーのような関係で、いつもささいな口喧嘩をしていた。主に私が数学に対して辟易しているさまをコウダ先生がからかってくるので、それに対して激昂するといった感じだ。先生と揉める際には甘えん棒が役に立ち、堪忍袋の尾が切れた時は強奪してゴミ箱に突っ込んだりしていた。こうやって文章にするととんでもない生徒であるが(現にそうだが)私とコウダ先生との間には言葉に形容し難い謎の友情めいた物があった為、これらも“荒れる生徒〜平成に蘇る積み木崩し〜”みたいな深刻なものではなく、プロレスのようなお決まりの猿芝居なので安心して欲しい。
互いに腹は立つけど憎めない、そんな関係だったと思う。


高校3年生になると大嫌いな数学が選択制になり、私は迷わず数学との縁を切った。コウダ先生とも廊下ですれ違うくらいしか会わなくなった。会うたびにからかい合うが、頻度は格段に減ったのでなんとなくつまらない思いをしていた。

私が高校を卒業する間際。
コウダ先生とすれ違うと、彼は私を呼び止めた。なんだなんだと立ち止まると彼は言った。

「これを潮井さんにあげよう。もう僕には必要のないものだから」

コウダ先生が差し出したのはなんとあの甘えん棒だった。

「いらね〜〜〜〜〜〜〜〜」

つい本心が口からまろび出てしまったが、コウダ先生は半ば押し付けるように私に甘えん棒を託し、足早にその場を去っていった。
コウダ先生といつ何時も一緒だった甘えん棒は木本来の色の見る影も無く、どす黒くて怪しげな光沢を放つほど使い込まれていた。そんな甘えん棒を眺めると、コウダ先生としてきた歴代のくだらないケンカの数々が蘇る。

これは私の手に渡って良いものではない。
私は甘えん棒を手に、デザイン部の部室へと足を運び、部長のリョウちゃんに「甘えん棒の文字と同じフォントを用意してもらえないだろうか」と頼んだ。

そう、私は甘えん棒を綺麗にしてコウダ先生に返そうと思ったのだ。
リョウちゃんは私の頼みに「任せな!」と力強い返事をくれ、3年間部活で培ったスキルを遺憾なく発揮し、同じサイズ・同じフォントで紙に「甘えん棒」と書いてくれた。“さんまちゃんの!”部分をコウダ先生の名前にするという粋な演出には感動すら覚える。

私はリョウちゃんにお礼を言い、出来上がったその紙を自分の部室に持ち帰った。

立体部と工芸部を兼ねた私の部室には彫刻に必要なあらゆる工具が揃っていた。私は荒い紙やすりで甘えん棒を削った。黒かった表面がどんどん削られ、本来の木の色に戻っていく。やすりの品番を変え、ガサガサの木が滑らかになるまでひたすらやすりをかけた。新品の如くつるつるになった所で、リョウちゃんに書いてもらったフォントをトレーシングペーパーで甘えん棒に写し、はんだゴテで文字を焼き刻んだ。

黒々とした“さんまちゃんの!甘えん棒”は“コウダちゃんの!甘えん棒”として生まれ変わった。
私は出来上がったそれを持ってコウダ先生の所へ向かった。

「どうしたんですか」

突然尋ねてきた私に驚くコウダ先生。

「これは私には必要のないものだから」

私はそう言ってコウダ先生に甘えん棒を返した。


コウダ先生は甘えん棒を手に取るなり、私がそれに何をしたのかをすぐに察して笑った。

「へぇ、よくできてる。ここまでしてもらったんなら返してもらいましょう」

こうして甘えん棒はコウダ先生の手元に帰った。


それから教室を移動するコウダ先生に遭遇するたびに、彼の手には再び甘えん棒の姿が見られるようになった。やはり甘えん棒にはそこがよく似合う。

コウダ先生はその後私のいた高校から転勤になり、今はどこで何をしているかも分からない。
もしもコウダ先生がまだ数学の教師をしていて、手にはあの甘えん棒があるのなら、今の生徒たちに自慢の一つでもしていて欲しいものである。

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