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1988.8.8 横浜文化体育会館の出来事

1988年8月8日。「88サマーファイト・シリーズ&スーパー・マンデーナイト・イン・ヨコハマ 1988年8月8日 横浜文化体育館 IWGPヘビー級選手権試合 藤波辰巳 VS アントニオ猪木」が開催された。

新日本プロレスのベストバウトの一つと言われてる伝説の戦いだ。

新日の「8.8横浜文体」が特別な理由。29年前の藤波と猪木、そして鈴木実。 NumberWeb

G1公式戦の1大会でしかない「8.8横浜文体」が恒例となっているのには意味がある。

その原点は、'88年8月8日横浜文化体育館、藤波辰巳vs.アントニオ猪木のIWGPヘビー級選手権。この伝説的な一戦が行われた「8.8横浜文体」という呼称には、昭和のプロレスファンにとって特別な響きがある。いわば「ストロングスタイル記念日」なのだ。

この藤波vs.猪木戦が行われた1988年は、新日本にとってどん底の時期だった。エース猪木の衰えもあり、人気下降に歯止めが効かず、この年の4月には初めてテレビ放送がゴールデンタイムから、土曜夕方放送に転落。会場はどこも閑散としており、“冬の時代”と呼ばれていた。

新日本が"どん底の冬の時代"だったこの頃、自分もまた"どん底の冬の時代"でくすぶる19-20歳の大学生だった。やることなすことうまくいかない。自暴自棄でドロップアウトしようかな?と悶々と無限ループをこじらせて大学に休学届け。休学期限の切れる時は正式にやめて働こうとほぼ心を固めていた。

高校まではプロレスは大ファンで欠かさずみていたが大学からはテレビが買えなかったので新日本プロレスからは離れていた。そんな状況の中で偶然に晩飯を食いにいったのが当時の下宿先、京都市西の京円町の近くにあった「つたや」だった思う。その店のテレビで後に伝説の一戦と呼ばれる戦いを目撃することになる。

創業70年は伊達じゃない!京都の老舗大衆食堂『つたや』(円町)

自分にとってのアントニオ猪木とは何か?

その存在の意味は、この試合実況に一夜限りの復活をした古舘伊知郎アナのこの実況に集約されている。

「かつての少年たちの人気者、アントニオ猪木。 歳月は流れました。 しかしながら、脈々とそのかつての少年たちの胸に、「アントニオ猪木」のこのひと文字が息づいています。我々は思えば、全共闘もビートルズもお兄さんのお下がりでありました。安田講堂も、よど号ハイジャックも、あさま山荘も、三島由紀夫の割腹もよくわからなかった。 ただ、金髪の爆撃機ジョニー・バレンタインとの死闘、あるいはクリス・マルコフを卍固めで破ってワールドリーグ戦に優勝したこの猪木の雄姿はよくわかりました! 強い者への憧れ、我々と同世代のこの藤波辰巳。 もしかしたら学校の砂場でコブラツイストの練習を黙々としている子どもの中に、この藤波の姿があったのかもしれません!世代交代の波、筋肉をつけて成長した藤波が、かつて憧れていた猪木をいま攻め込んでいます!」
(後述の新日公式サイトの試合映像22分11秒から)

この実況はスポーツ史に残る伝説の名実況シーンだ。1988年はバブル前夜。平和な時代。血湧き肉躍るような何かと激突して戦うファイターの時代が終わり、終わりなき日常が始まった頃。熱狂の戦いの時代に出遅れてしまった俺たち世代の闘うヒーロがA猪木であり藤波、佐山、長州、前田でありまた矢沢永吉だった。

試合はこれぞストロングスタイルというオーソドックスな60分のフルタイムドロー。詳細はネタバレになるので新日本プロレスオンライン(有料)でどうぞ。

88サマーファイト・シリーズ&スーパー・マンデーナイト・イン・ヨコハマ 1988年8月8日 横浜文化体育館 IWGPヘビー級選手権試合 藤波辰巳 VS アントニオ猪木

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伝説の試合、伝説の実況が"冬の時代"の自分の状況に突き刺さる60分。
猪木は旧世代を代表して戦っている。
藤浪は旧世代を打倒して成り上がるために戦っている。
長州だって革命戦士として戦っている。
みんな戦いつづけている。
俺は戦ってない。

自分はどのリングで戦うべきなのか?それを知るために勉強しよう。大学を辞めるのをやめよう。
なぜそうなのかはいまだにわからなくこじらせてる感満載の話だが人生がそこでかわったのは確かだ。

今ではストロングスタイルにもシナリオがあることをみんな知っている。

それでもシナリオの出来よりも試合を感動のある一戦にするのは戦っているレスラーでありファイターたちだ。

あの伝説の60分から33年がたった。

横浜文化体育館は2020年9月6日になくなった。

寂しすぎる…横浜文化体育館の解体工事の様子を元プロレス記者が追跡! 思い出した鼻をツンとつく匂いと和室のプレスルーム

上野毛の新日本プロレスの道場は昭和な道場な雰囲気から綺麗になった。

猪木さんはレスラーとして旧体制と戦って成り上がり、その後も異種格闘技戦、アントンハイセル、政治家、湾岸戦争、北朝鮮、落選、永久機関、海外進出、永久電気、詩人として戦い続ける。その多くの戦いはハッピーエンドにならず時には失笑気味にみられたこともあったろう。

いま猪木さんは病と戦っている。その戦いを「最後の闘魂」と名付けてファイトしている。

アントニオ猪木「最後の闘魂チャンネル
色々アップされてるけど2020年10月の「新日本プロレスOBが集結!「アントニオ猪木を囲む会」を一押し


ぜひ元気になってもらいたいと心から願う。
そして受け取ったものの大きさに心からお礼を言いたいです。

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