021.成人式と振袖

成人式がやってくると、毎年私は複雑な思いにとらわれます。市民会館で行われた自分の成人式に私は出席しませんでした。その理由は振袖がないからでした。

高校生の頃から、女子の中では成人式の振袖はどうするのかという話題が時折持ち上がりました。親がかりで百万円以上する振袖をあつらえてもらう子や、貸衣装で借りることになると思うという子や、お姉さんや親戚の振袖を借りるという子など色んな人たちがいました。

私は、市長さんのお話を聞くのに、なぜそんな豪華な振袖が必要なのか理解できませんでした。もしもそんなお金があるのなら、子どもの頃から憧れていたフランスに行く費用に当てたいと思い、母に相談すると、あっさりと「じゃ、そうしましょ」ということになりました。

こうして私は振袖話に加わることなく二十歳を迎えました。そして成人式といっても、なんだか振袖品評会のような式に振袖を着ていかないのは仲間外れのように感じられ、実際に自分の成人式の当日は、大学の学年末の試験が間近だったこともあって行きませんでした。

中学生の頃の仲良し4人組の内3人は、それぞれ新調した振袖に真っ白なふわふわの襟巻きをして式に出席したあと、その内のひとりの友人の彼氏の車でホテルニューオータニに食事に行ったと、あとで写真を見せてもらいました。

私にとっては、同じ何十万円という大金を両親に出してもらうのならば、一日限りの振袖よりもフランス旅行の方がずっと価値があったし、振袖を着てホテルで食事をすることよりもパリのカフェの方が興味があったので、そんな写真を見ても羨ましいという感情は湧きませんでした。けれども、仲間外れ感は確かにあって少し寂しい思いがありました。

その年の初夏、1980年6月、私は子どもの頃から憧れていたフランスに出かけました。パッケージツアーでしたが、添乗員の大反対を押し切って丸1日、パリの街をひとりで歩き回りました。キオスクで買った Le Figaro という新聞にパリの地図をはさんで歩いたあの日歩いた道のりは、今も尚、正確にたどることができます。二十歳の私にとっては忘れがたい1日で、見たもの聞いたもの感じたものの一切が身と心に刻みつけられました。

ですから、振袖を買ってもらわなかったことに微塵も後悔はありません。けれども毎年成人式になると、あの時味わった寂しさは蘇ります。

こんな経験から、日本中の二十歳になる女の子の多くが振袖を着る成人式には、やや複雑な思いで、振袖とは誰のために着るのだろうかというのが、私の中でずっと長い間の疑問でした。振袖姿や花嫁姿を祖母に見せたいなどという話を聞くと、振袖よりもフランス旅行を選んだ私は親不孝・祖母不幸だったのではないかと思ったことも何度もありました。

私の成人式が過ぎて何年かした頃、「近頃の成人式は派手すぎる。二十歳の女の子がこんな華美な振袖を着るのはけしからん」という批判が新聞紙上で展開されるようになりました。その時、林真理子が「二十歳の女の子が華美にしなくて、一体誰が華美にするのか」と反論したのがとても可笑しくて、「その通りだ」と思ったのをよく覚えています。

今、還暦になってみると、確かに二十歳の頃は誰もが肌も髪も美しく、人生で最も輝いている時期のように思います。目一杯着飾って成人式に出席して、市長さんの話などそっちのけで、久しぶりにあった同級生たちと笑い転げるのもきっと楽しかろうと思います。

私自身は、生まれ変わっても成人のお祝いになら、振袖よりフランス旅行を選ぶでしょうが、実は振袖を着てみたいという気持ちは心の奥底にありました。

三十歳を過ぎて何年かした頃、外国人の友人が結婚式を明治神宮で挙げることになったとき、私は自分で貸衣装屋さんに行って朱色の振袖を借りて着たのでした。一般的な披露宴だとおかしかったかもしれませんが、金髪青い目の新郎新婦が紋付き袴に打掛けですから、参列者の大年増が振袖でも構うものかと思いました。

私の振袖姿はお世辞半分にしても、新郎新婦だけでなく、外国から参列した新郎新婦のご家族の方々に好評で、私も心のどこかで燻っていた積年の思いが実現できて、いい思い出になりました。

今年もまた成人式の季節がやってきます。雪や雨で裾を気にしながら歩くお嬢さんの姿をハラハラしながら見守ったり、はじける笑顔に幸多かれと祈ったりします。そしてそれともに、事情があって寂しい思いで成人式を欠席する人たちに対しては、「人生は長い。この寂しさを知っている人生も悪くない。それに挽回もできますよ」と心の中でエールを送っています。


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