037.ゴールデンウィーク

昭和の頃、ゴールデンウィークといえば、大晦日に新しいカレンダーに取り替える時「どうぞ来年はいい休日の並びでありますように」と4月から5月にかけての祝日を祈るような気持ちで見つめたものでした。

例えば、ちょうど50年前の1970年のカレンダーを見てみると、ゴールデンウィークにいわゆる祝日でお休みが増えるのはたった2日しかありません。しかも一度も連休になっていません。

4月29日(水)は「天皇誕生日」で休みでしたが、30日と5月1日は平日で、2日は午前中に学校も仕事もある土曜日でした。翌日曜日はせっかくの「憲法記念日」でしたが、日曜日と重なってしまった為、休みを損した気分になりました。その頃は振替休日という制度はありませんでした。振替休日が始まるのは3年後の1973年からです。

5月4日(月)はまた学校・仕事で、5日(火)の「こどもの日」にようやくお休みとなるのです。このように月曜日を挟んで休みになることを「飛び石連休」と呼んでいました。

その5年後の1975年のカレンダーを見てみると、この年は4月29日(火)の「天皇誕生日」のあと3日置いて三連休となりました、5月3日の「憲法記念日」が土曜日、翌日4日が日曜日、そして5日月曜日が「こどもの日」だったのです。三連休というのは当時珍しくて「ゴールデンウィーク」という感じがしましたが、それでも土日を入れての三連休でした。

私が就職した1982年には、大企業では週休2日制が導入されつつありましたが、中小企業はもちろん、学校の教員や銀行員なども、毎週土曜日の午前中は仕事をしていましたから、三連休というのは滅多にありませんでした。

当時、就職活動の際、週休2日制かどうかは重要な情報でした。そういえば、メーカーに勤めていた友人が、「うちは完全週休2日制だから、週の中に祝日があると土曜日出勤しなくちゃならないのよ」と言っていたことを思い出しました。完全週休2日制とは、そういう意味なのかと驚きました。

1980年代半ばになると米国や欧州との貿易摩擦問題が起きるようになりました。そのためアメリカでは日本車が打ち壊されたり、フランスではほぼ日本製に限られていたVTRなどの通関を、いかにも嫌がらせのように内陸のポワチエに置いた税関に限るとしたこともありました。それにつれて「日本人は働き過ぎだ」「もっと欧米のように休暇を楽しむべきだ」などという議論が湧き上がりました。

私は1985年から86年にかけて1年間フランスに滞在していましたが、その頃、よく耳にしたのは「日本人は休みも取らず、長時間残業して、貿易摩擦など起こすアンフェアな国民だ」というものでした。

外国に出るまでは、「日本人は勤勉で努力家だ」として評価されているものだとばかり思っていたので、私は大いにショックを受けました。さらに1960年代、70年代の公害問題は知れ渡っていて、「日本人は大気汚染の中マスクをしないと生活できないのか」などと真顔で質問されたこともありました。それも一度や二度ではありませんでした。

「公害を撒き散らしながら、安い人件費で、休みも取らず夜遅くまでがむしゃらに働き続けた挙句、外国との貿易摩擦を起こしている迷惑な国」というのは、いつの時代も急速に経済成長をする国が、先進国から貼られるレッテルなのかもしれません。とにかく国際的にも休暇の整備は必要なことだったのでしょう。

フランスはカレンダー上で飛び石連休になると、「橋」という意味の pont(ポン)と呼んで、飛び石連休に橋をかけて全部を休みにしていました。平日に銀行に行ったら閉まっていておかしいなと思っていたら、pont(ポン)だといわれ最初意味がわかりませんでした。

法律で保証されている五週間の有給休暇の上に pont(ポン)ですから、日本から来た私は驚きました。ついでに言えば、フランスの銀行はお昼休みは閉まっていました。「休暇の概念」が日本とはまるで違いました。

1988年からは5月4日は「日曜日・月曜日以外なら国民の休日」という連休作りのための祝日が導入され、振替休日も併せて何とか「ゴールデン」になるように工夫をしていきました。


平成の30年間で、昭和の日、みどりの日、海の日、山の日と祝日も増え、月曜日の振替休日が大学の教員泣かせになるほど多くなり、週休2日制も社会にすっかり定着しました。

今年のゴールデンウィークは、5月2日の土曜日から6日の振替休日までカレンダー通りでも五連休となりました。今年は自粛要請の中、少しも「ゴールデン感」はありませんが、それでもこの半世紀の間に日本の休暇は大きく変わりました。この長い連休を実現するには、多くの人々の努力がありました。来年は名実共にゴールデンウィークになるよう願ってやみません。


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