046.浦安の遊園地

1981年(昭和56年)就職活動をしていた頃、同級生七、八人が集まって、みんなでそれぞれの活動状況を語り合っていたら、ひとりの男子学生が「オリエンタルランドから内定が出た」と言いました。

すると、同級生のひとりが「オリエンタルランド? カレーの?」と真面目に聞き返しました。「オリエンタルカレー」は、子どもの頃から慣れ親しんだカレーのメーカーでした。

「違うよ。遊園地だよ」
「え? 遊園地? どこの?」
「浦安に遊園地ができるんだよ」

その場にいた一同は全員びっくりして、「浦安に遊園地〜?!」と声を上げました。

「浦安といえば潮干狩」というのが当時の我々の共通認識で、「なになに、潮干狩専門の遊園地を作るの?」などと笑い声が上がりました。

私も小学生の頃、電車とバスを乗り継いで、家族みんなで初めて潮干狩に行ったのが浦安でした。遠浅の海でプラスチックでできたおもちゃの熊手とバケツでたくさんのアサリを採ったのをよく覚えています。

内定が出たという学生が「違うよ、ディズニーランドができるんだよ」と言うと、「ディズニーランド? ディズニーランドってフロリダにあるディズニーランドのこと?」と女子学生が問うと、別の子が「フロリダじゃなくてカリフォルニアじゃないの?」などと口を挟みました。

「まあさ、アメリカにはカリフォルニアにもフロリダにもディズニーランドはあるんだけどさ、今度、浦安にもできるんだよ」と答えると、一同、信じられないという表情をしました。

ひとりが「浦安にディズニーランドって、お前、騙されてんじゃないの?」と言うと、他の同級生も「ホント、それ確かな話なのか?」などと口々に言い、埋立地に遊園地なんて作って大丈夫なのかとか、潮干狩コーナーも作るのかとか、あの日あの場にいた学生は、私も含めて浦安にディズニーランドができるなんて信じていませんでした。

◇ ◇ ◇

今思えば、あの頃の学生はロクに新聞も読まずに就職活動をしていたというのがよくわかるエピソードですが、オリエンタルランド自体は1960年(昭和35年)に設立されており、1974年(昭和49年)には米国ディズニーとの交渉が開始され、1979年(昭和54年)には業務提携契約が交わされていました。

東京ディズニーランドの実際の開業は、1983年(昭和58年)4月15日、私たちが学生課の片隅で語らっていたあの日から約一年半後のことでした。

ただあの頃はバブル景気に向かって日本全国でレジャーランドブームが湧き上がり始めた頃でもありました。宮城県の化女沼レジャーランド(1979-2001)、北海道のグリュック王国(1989-2007)や新潟ロシア村(1993-2004)などが次々に開園し、そして閉園していきました。

首都圏には戦前・戦後から子どもたちに愛されてきたいくつもの遊園地がありました。花やしき(1853-)は別格としても、谷津遊園(1925-1982)、豊島園(1926-2020)、向ヶ丘遊園地(1927-2002)、後楽園遊園地(1937-)、小山遊園地(1960-2005)、読売ランド(1964-)、行川アイランド(1964-2001)、横浜ドリームランド(1964-2002)こどもの国(1965-)などが多くの人々の人気を集めてきました。

どこの家のアルバムにも、これらの遊園地で撮った写真が貼ってありました。これらの伝統的な遊園地に比べて、就職活動当時ディズニーランドはまだ海のものとも山のものともつかない存在でした。開園当初は地下鉄東西線の浦安駅からバスに乗って行く、不便なところにある遊園地でした。

ですから、まさか開業から数十年して、多くの遊園地を駆逐してしまうことになるとは思いも寄りませんでした。

今でも私はディズニーランドという名称を見聞きするたびに、みんなで笑いながら浦安の遊園地について語り合った、あの日の光景が浮かんできてしまいます。


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