053.銀行とカード

私は今でも新卒で就職した当時の上司の結婚記念日を覚えています。なぜなら、結婚記念日の日にちの四桁(例えば8月22日ならば、0822)は、上司の銀行キャッシュカードの暗証番号だったのです。

なぜ私が上司の暗証番号を知っていたかというと、当時、銀行にお金をおろしにいく時には、同じ課の人たちに「これから銀行に行きますけど、一緒にお金をおろしてきて欲しい人いますか?」と声を掛けるのが当たり前のような雰囲気がありました。

すると「私も」「僕も」とキャッシュカードが次々に差し出され、三人分、四人分のお金をまとめておろしに行ったものでした。みんなの暗証番号は当然のように暗記していました。私も週末前など他の人に頼んで時々お金をおろしてきてもらいました。

2020年の今日では、銀行のキャッシュカードの暗証番号を他人に教えるなんて、事件や事故が起きても警察だって相手にしてくれないでしょうが、昭和60年(1985年)前後には「家庭的な雰囲気の職場」や「仲間内」では、みんなが暗証番号を互いに知っているのが当たり前のようなところがありました。

私の勤務先のみならず、友人間で暗証番号を教え合っていることも珍しくはありませんでした。別の会社に勤めていた私と同じフランスかぶれの友人は、暗証番号をフランス革命の年号1789にしたと教えてくれ、私にはそういう発想はなかったのでスゴイなぁと思ったことを思い出します。平成生まれの人が聞いたら、呆れて言葉もないようなエピソードです。

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私が新卒で就職したのは昭和57年(1982年)のことでした。4月の入社早々のある日、私たち新入社員はA会議室に集まるように言われ、行ってみるとそこには同じビルにある銀行の支店から銀行員が数人出張してきていて、「ここで給与振込口座を開設してください」と指示を受けました。そして同時にクレジットカードの申込みも合わせて行うようにと言われました。

なるほど、会社に入るとこのようにして企業グループに組み込まれていくのかと思いながら口座を開設し、クレジットカードも作成しました。私がそのことを他の会社に就職した学生時代の友人に話したら、振込口座はともかく、クレジットカードを作らせるなんて、ちょっと問題ではないかと言われたことを今でも覚えています。

同時はまだ、クレジットカード=月賦払いの借金というイメージがありました。現金払いをしないと、いくら使ったかわからなくなるから無駄遣いのもとになるなどと思われていました。

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三年後、新卒で入った会社を辞めてフランスに行こうと決心した時、個人レッスンをお願いしていたフランス人の先生から、フランスに行くなら「VISAカードは必須」と言われ、私の持っていたクレジットカードにはVISAは付いていなかったので、早速別にVISAカードを作りに行きました。

実際、1985年当時のフランスではCB(カルトブルー)と呼ばれるカードとVISAカードの汎用性が極めて高く、日本で時々見かけたJCB、UC、DCは街中ではほぼまったくと言っていいほど見かけなかったのでアドバイスに感謝しました。

少し脱線ですが、あの頃のフランスではまだまだ小切手が大手を振っていて、スーパーのレジで数千円程度のお買い物をしても、小切手を切る人が少なくありませんでした。小切手には算用数字ではなくて、綴りをすべてアルファベットで書かなくてはならない決まりがあり、前の人が手書きで長々と綴りを書き続けるのをうんざりしながら待っていたことを思い出します。

あの当時、日本でも小切手は使われていましたが、ほとんどが商店間、企業間取引に限られていて、しかも一定金額以上という暗黙の了解もあり、スーパーのレジで小切手を切るなどということはありませんでした。

フランスでは小切手文化が根強くあったおかげなのか、当時からクレジットカードの浸透率も高く、フランス学習の初級クラスで「現金で支払いますか? それともクレジットカードですか?」などという言い回しを習ったものでした。多分あの当時日本語学習者が同じ文例の日本語を習うことはなかったでしょう。

当時のフランスは、スーパーマーケットはもちろん、ほとんどの店舗やレストラン、駅で切符を買うのもVISAカード一枚で用が足りましたが、日本のスーパーや鉄道でクレジットカードが日常的に使えるようになったのは、21世紀に入ってからではないでしょうか。

脱線ついでに言えば、フランスの銀行はお昼休みもあり、残高が一定額以下だと口座管理料がかかると言われ、少しまとまった預金をするたびに食器や小物をくれる日本の銀行とは大違いでびっくりしました。

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私が子どもの頃は、地域で冷房があるのは駅前の銀行くらいしかなかったので、夏の暑い日にみんなで走り回って遊び疲れると、揃って銀行に入っていって、ソファに腰かけたり、冷水機でかわりばんこに冷たい水で喉を潤したりして涼みました。小さい子の為に、冷水機の足踏み係と子どもを支える係に分かれて仲良くみんなで飲みました。

当時それがいけないことだとは誰も思っていなくて、銀行とは、塩化ビニールでできた可愛らしい貯金箱をくれたり、水を飲ませてくれたりする、誰もが安心して利用できるサービスステーションのような感覚でした。子どもですら歓迎されていたような雰囲気がありました。

私が小学生の頃の銀行は、お金を預けるのも引き出すのも、すべて書類に記入して印鑑を押して担当窓口で処理してもらっていました。それでも通帳の文字は機械の印字文字でしたが、結婚する前に銀行員をしていた母によれば、昭和三十年前後は、お金を出し入れするたびに通帳に一行一行手書きで記入し、係員の判子を押していたと話していました。

根本忠明著 『銀行ATMの歴史』(日本経済評論社 2008)によれば、日本で初めてCD(キャッシュディスペンサー)が設置されたのは昭和44年(1969年)12月のことで、住友銀行が新宿と梅田の両支店に設置したのが始まりだそうです。しかし、これは中央コンピュータのオンライン・システムとは連動していない「オフCD」と呼ばれるもので、あらかじめ磁気カード上に支払い限度額を設定しておき、その範囲内で支払うという仕組みでした。

翌月、昭和45年(1970年)1月に三井銀行も数寄屋橋支店にCDを設置しましたが、こちらも「オフCD」でした。しかも1,000円札を10枚1束で出す形式で、こちらはお得意先企業の部課長クラス130人を対象としたサービスだったそうです。

その後中央コンピュータとオンラインで結合されたいわゆる「オンCD」とよばれるCDが設置されるようになったのは昭和46年(1971年)8月のことでした。三菱銀行によって、本店、丸ビル支店、新宿西口支店の3箇所に設置されたそうですが、相変わらず「袋出し方式」でした。今のように現金が1枚ずつ引き出せるようになるのは、翌月9月に富士銀行(現みずほ銀行)が銀座支店、新橋支店に設置したCDを待たなければなりませんでした。

1970年代は、近い将来予想された金融機関の土曜日の休日化、つまり週休二日制の導入を視野に、オンライン形式のCDの開発・導入が盛んになり、都市銀行を皮切りに、地方銀行、相互銀行、信用金庫へと次第に導入されていきました。1975年1月現在で都市銀行13行(第一銀行、三井銀行、富士銀行、三菱銀行、協和銀行、日本勧業銀行、三和銀行、住友銀行、大和銀行、東海銀行、北海道拓殖銀行、神戸銀行、東京銀行)の支店2,432店舗において、合計2,931台が設置されていたそうです。

その後、それまで現金の引き出し機能しか持たないCDから、今度は現金を預け入れができるマシン、さらに入出金機能を合わせ持つATM(オートマティック・テラーズ・マシン)が開発されていきました。日本で初めてATMを導入したのは富士銀行で、昭和52年(1977年)のことでした。1970年代はCD中心だったのが、並存時代を経て、1990年代後半以降にはATM中心の時代となっていきました。

私自身の年齢でいえば小学校の高学年か中学生くらいに両親がキャッシュカードを持ち始めたわけですが、それまでお給料というものは、封筒に入れた現金を、職場で上司が部下に労いの言葉をかけながら手渡すのが当たり前でしたが、私が高校生になった頃には、お給料を銀行振込みする企業が増え始めました。大人たちはお給料の有り難みが減るなどと言っていました。

大学生の頃には、キャッシュカードでお金の入出金は自分でやっていましたが、振込の時は窓口で手続きしてもらっていました。それが次第にATMのバージョンが上がるに従って、窓口業務だった振込もATMでできるようになり、それなら振込手数料はこちらがもらいたいくらいだと思ったことを覚えています。

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大蔵省の護送船団方式だの、失われた十年だの、バブル崩壊後のニュースが目や耳を通り過ぎていき、気がついたら13行あった都市銀行はわずか4行となり、振込手数料は無料になるどころか窓口よりATMの方がお得ですなどといわれている内に、コンビニ内にATMが次々に設置されるようになっていきました。

さらに、インターネットバンキングなるものが登場し、気がつくと街中の銀行は子どもが水を飲むどころか、利用者が店内に入るのもいちいち尋問されるようになり、その支店やATMでさえ次々と姿を消していきました。

先日、新卒で入社した会社が入っていたビルを通りかかったら、A会議室で私の給与振込口座を作ってくれた行員さんがいた支店、正確に言えば、かつて支店だった場所に残っていたATMコーナーの閉鎖の貼り紙がありました。時代が変わったことを実感した瞬間でした。

25歳の時、フランスの銀行の口座管理料に驚いていた私ですが、日本でも通帳発行手数料がかかるというニュースが飛び込んできました。かつてATMでのセルフサービスへと促されたように、今後はオンライン口座への移行を強く促されることになるようです。

それでもあの日、A会議室で口座と共に作ったクレジットカードは、今ではVISA機能も付いて、38年経った今でも買い物やオンライン決済で日々の生活に欠かせない存在になっています。


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