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寒々しい朝を温めることも出来ないチーズだけのホットサンド

 そぼ降る雨の中、黙々と歩いていた。既に立春から半月以上は経っているのだが、みぞれ混じりの雨が靴下まで染みて、足を踏み出すことさえおっくうになりつつある。そういえば、むしろ立春ごろのほうが暖かかった。
 とはいえ、急がねばなるまい。トークライブの会場には腐れ縁の女と猫っぽい娘が待っているはずだ。いちおう、イベント開始時刻には間に合わないので、あとから合流という手はずにしていたが、ここまで遅くなったのは想定外もいいところ。
 そろそろイベント終了の頃合いだが、この期に及んでは時間を確かめることさえ面倒だし、さほど意味もなかった。ただ、こうなってしまった原因ははっきりしていて、すべては猫、暴君モンテズマのお導きによる。
 俺が古い仕事仲間へ設置依頼したネットワーク監視ボット、その撤去と証拠隠滅を同じ人へ発注したのだが、その打ち合わせ予定が猫の急病ですっかり狂ってしまったのだ。猫の名前はモンテズマ、名の通り気性が荒い上にやたらと大きく、しかも太っていたのは、俺も動画でやりとりした際に見ている。
 ともあれ、そういう事情とあらば予定を組み直したかったが、作業者が『病院への支払いもあり、できれば前金を少しいただきたい』と伝えてきたため、やむなく時間をずらし強行したのだ。しかも、ただでさえ遅くなっているところ、本題を切り出す前に猫の病状やらなんやらを長々と聞かされたから、こんな時間になってしまったというわけ。
 とかなんとか、起こってしまったことをくよくよなげいてもしかたないし、気を取り直して会場へ足を進めた。足先の冷たさが背骨まで伝わるような気がして、なにはともあれ温かい飲み物がほしい。ただ、トークライブハウスの飲食物は、ひかえめに言ってもほめられたようなものじゃなく、特にノンアルコールの温かい飲み物や汁物は壊滅的といってもよいほどだった。
 濃厚な渋みや雑味、えぐさを含んだコーヒーと称する泥湯や、反対に香りも味もすっ飛んでしまった色つきのお湯みたいな紅茶、あるいはカップのそこにへばりついたダマをしつこく突き崩さないと塩気しか感じないコーンスープなどがせいぜいで、居酒屋基準では美味い方に属する熱燗や焼酎のお湯割り、ホットワインなどとはいちじるしい対照をなしている。
 イベント帰りと思わしき人々とすれ違いつつ、ようやくたどり着いたライブハウスの看板を横目に、びしょ濡れの階段を慎重に降りた。幸いにも地下の会場からは暖かい空気とともに笑い声やさざめきがふんわりとやわらかく昇っており、まだそれなりに客が残っていることを示している。
 じっさい、ゲイアーティストとライターのトークイベントは終演後の雑談タイムが本番という雰囲気もあり、常連は終電近くまで飲み食いしていた。たまには主催のふたりも客席でしゃべってくれるし、おかげでライブハウスの売上も悪くないらしい。
 地下の会場は思いのほか人が多く、熱気すら感じるほど。コートの前をはだけながら、腐れ縁の女と猫っぽい娘を探す。ただ、ゲイアーティストがステージから降りてるので、客席は予想より混んでいた。内心まいったなと毒づきながら疲れ気味の目を凝らすと、腐れ縁の女がゲイアーティストの隣に陣取っている。
 横顔でもわかるほど、あからさまにデレデレしているが、まぁ憧れの存在だからそうならないほうが不自然だ。次に猫っぽい娘を探すと……いた!
 なぜかステージで女性ライターとグラスをかわしている。
 流石にゲイアーティストのテーブルはいっぱいなので、とりあえず腐れ縁の女に近い席を確保しつつ、イベント限定メニューの『豚汁』をに決めた。この時間だと煮詰まって塩辛いだろうが、それでも美味しくないことがわかっているものよりはマシだろうさ。
 そうこうしてる間に腐れ縁の女が俺を見つけて、嬉しそうにグラスを高く掲げた。俺も手を振りながら表情で応えていると、ホールスタッフがやってくる。ポニテのあどけない娘がこちらへ向いた瞬間、他の客が大声で彼女を呼んだ。
 俺には目もくれず「いま、おうかがいします」と、自動音声マシンめいた口調でこだまのような言葉をまきちらしながら去る。かなりお疲れのようだ。気を取り直し別のスタッフを探すものの、残念ながら見当たらない。結局、ポニテの彼女が出てくるのを待って、ようやく声をかけた。

「豚汁は終わりました」

 携帯ショップのロボットだってもうちょっと愛想がよさそうなものだが、迷ってても仕方ないのでホットゆずを注文する。やがて、ポニテのロボ娘が黙々とゆずジャムの入ったガラスマグや電気ケトルを置いて、スイッチを入れた。正直、ここまでちゃんとしたものが出てくるとは思わなかったので、冷めないうちに味わう。
 カップをおいて腐れ縁の女をみたら、相変わらずゲイアーティストの隣でうっとりモードだ。割り込む図太さは持ち合わせていないので、ステージ近くへ移動して女性ライター氏と猫っぽい娘のお話を拝聴させていただく。
 とはいえ、けっこう長いこと話し込んでいたらしく、挙句ふたりともすっかり酔っているものだから、途中から聴き始めてもさっぱりわからなかった。いちおう、今夜のお題は最近のクイア映画ということになっていたのだが、ふたりは映画批評か批評家に関するあれこれで盛り上がっている。もちろん、前後の文脈もへったくれもない会話の断片にすぎないが、それでも思いのほか興味深く、猫っぽい娘の話術にも感心させられた。
 そのなかでも、映画をはじめとする動画視聴のアーキテクチャ、つまり映画を観客へ提供するための社会構造をもふくむ様々な仕組みが激変しているのに、批評が追いついていない、むしろ追いつかないことを誇るというのはどういうことだと、ふたりで憤慨するところなどは、自分の興味範囲にも通じるものがあり、つい聞き入ってしまう。
 また、ふたりとも男女のヘテロセクシャルを『自然な関係』と無邪気に決めつけ、男性と女性の関係性にばかりこだわっているフェミニズム批評、特にクイアを都合よくヘテロ批判の棍棒に使いがちなところを小気味よくあげつらっており、そこもまた深く共感するところだった。猫っぽい娘の『もぅね、フェミニズム批評は先回りされてるの、どうせここでドヤるのだろうと待ち構えてるところでほんとにドヤ顔、それが滑稽さや哀れさを醸してることに気がついてない』なんてひと言には、つい「ほんまやで」と合いの手を入れてしまい、壇上から手を振ってもらう。
 そうこうしているうちに夜もふけて、ゲイアーティストが帰るとさすがに解散モードになった。猫っぽい娘も女性ライター氏と仲良くステージから降りたが、別れ際の熱いハグとキスにはみていた俺も驚いてしまう。腐れ縁の女はゲイアーティストを出口までお見送りしていたからよかったものの、その場にいたら大変なことになっていた。猫っぽい娘も自覚があったようで、俺の耳に口元を寄せ「おねぇさんには内緒ね」とささやく。
 うなずきながら、さすがにサークラだなぁと妙に感心させられた。
 ともあれ、腐れ縁の女が戻ると俺達も帰り支度。これから俺の部屋でお楽しみスリーサムだ。
 猫っぽい娘と腐れ縁の女が、恋人同士のように相合傘で歩く。その後からびしょ濡れの靴下に足を取られつつ歩く俺は、すでに寝取られ男の風情といったところだ。いつぞやのように猫っぽい娘が酔いつぶれることもなく、腐れ縁の女と俺の部屋までたどり着く。重たい鉄扉を開け、先にふたりを中へ入れると濡れそぼった靴を脱いで新聞を詰め込み、靴下を洗濯機へ放り込んだ。
 ひと息ついて「先にシャワー浴びる?」と声をかけつつ部屋に入ると、半裸のふたりがマットを引っ張り出している。かるく天井をあおぎ「おじゃまだったかな?」と、冗談とも皮肉ともつかない言葉を差し入れつつ服を脱ぎ始めたら、俺の携帯が初期設定のとぼけた着信音を盛大に鳴らした。
「勘弁してくれよ」
 プレイ前には必ず電源を落としているのに、こういう時に限ってしくじってしまう。とにもかくにも、鳴ってしまった携帯は黙らせねばならなかった。まずは自分自身を殴りたい衝動を黙らせつつ端末をバッグから引っ張り出したら、液晶画面には猫の暴君モンテズマ。これが猫からの電話だったらどんなによかったか……。
 まさか猫が俺に電話をかけるはずもなく、発信者はモンテズマのお母さん、つまり俺がネットワーク監視ボットの撤去と証拠隠滅を依頼した作業者だ。ため息を飲み込み奥のふたりへ「電話だからテキトウにやっといて」と言い捨て、音声通話を開始する。
「やばいの?」
 古い付き合いの作業者とはいえ、声にトゲが含まれるのはさけられなかった。
「電話するぐらいにね、マシンあるよね?」
「いや」
「じゃ、すぐに立ち上げて! すぐ!」
 普段の奇妙なイントネーションも語尾の『にゃ』もない作業者の言葉は、それだけでうんざりするほどめんどくさいなにかが発生したことを物語っている。
「場所変えてかけなおすよ」
「切らないで、そのまま移動して」
 カバンをつかんで「わかった」と返事、玄関を出て階下の仕事場へ向かった。液晶画面が明滅し、映像通話のリクエストが表示される。階段を降りながら受信許可すると、画面には全裸で絡み合う男女が表示されていた。
「なにこれ?」
 反射的に疑問を口にはしたが、男の顔は知っている。腐れ縁の女がご執心の、高校生くんだ。別に確認するつもりもなかったが、ちょいちょい自撮りをあげてたから、嫌でも覚えてしまう。そうすると、相手は誰だ?
 返事を確認する間もなく仕事部屋の錠前を回し、暗証番号をタイプ。重たい鉄扉をそっと開けて部屋に入ると、できるだけ静かに閉めた。端末から若い女の嬌声が聞こえる。明らかに性交中だ。
「もしかして?」
 ふたたび端末に呼びかけたら、作業者の女が顔をだし「高校生くんのライブ動画よ」と半笑いで応えた。作業者も自撮り画像をみてるから、ダブルチェックで確定だろう。腐れ縁の女は上の部屋で猫っぽい娘とプレイ中だし、相手の女は顔も乳の大きさもちがっていた。どうやら歳の近い彼女がいるだろう気配はあったが、チェックせずに放置していたらこのザマである。
「消せる?」
「もうすぐ消える」
 画面にモンテズマの巨大なハチワレ頭が現れ、作業者の言葉にかぶさって消える。タイミングよすぎだ。
「流したはしから消えるやつ?」
「そこまでじゃないけど、数分で消えるみたいね」
「ライブ、だよね?」
 録画データの送信だったらおおごとだったが、作業者は笑って受け流す。
「ライブ、間違いない。彼女とおセックス中継ですよ」
「厄介なことを……」
「ま、どこにでもいるバカップルだけど、お仕置きする? それとも放置?」
 腐れ縁の女が絡んでないなら、放置推奨ではないかと思う。正直、俺は他人のセックスを見るのが好きだし、こういう若者の馬鹿さ加減は嫌いじゃなかった。とはいえ、今夜はちょっとわけが違う。このままだと、腹の虫が治まらなかった。
「お仕置きなら?」
「単にアカを飛ばすだけでじゅうぶんと思うけど、なんなら乗っ取ったふりとか? でも運営を騙って警告するのは非推奨」
「考える時間は?」
「あんまない」
「じゃ、アカウント消して」
「ほい」
「消えたの?」
「うん、そっちのコンパネから確認できるよ」
 マシンを立ち上げ、コンパネを確認したら、確かに消えている。ネット通話に切り替えると、作業者の指示を受けながらこちらのローカルで必要な処理をおこなった。ついでに先程のアカウントと紐付いている他のアカウントも飛ばしたが、いずれもポルノアラートを偽装……いや偽装じゃないんだが……できるのは助かる。ポルノアラートでアカウントが抹消されると端末情報が記録され、携帯番号を変えないかぎり同じサービスで別アカウントも開設できなくなるが、まぁ高校生くんも人生の修行だ。
 処理のついでにトラフィックを確認する。腐れ縁の女がご執心だったのは承知だが、それにしては年初からほとんどやり取りが途絶えていた。対して、バレンタイン直後から他のアカウントとのトラフィックが急増している。情報のスケールが状況を明瞭に示していた。
 つまり、腐れ縁の女がバレンタインデートを蹴られた時、すでに高校生くんは彼女と楽しくやっていたのだろう。アカウントを消去する前なら検索でいろいろわかったかもしれないが、いまとなってはトラフィックの痕跡から推測するしかなかった。
 いや、俺が推測せないかんのか?
 こういう時、腐れ縁の女だったどうしたろうと、そんなことを考えた。いや、考えるまでもないだろう。俺は、それを目の当たりにしていた。
 ちょっと肩をすくめ、俺に目配せしながらニヤリと笑って歩み去る。あの時、腐れ縁の女はそうだった。
 ともあれ、高校生くんは推薦かAOでさっさと合格し、恐らく同世代のカノジョちゃんとハメ狂ってたと、その挙句にセックス実況という流れは間違いない。でまぁ、当人はポルノ通報でアカウントが消去されたことの意味がわからないほどじゃないだろうから、少なくとも入学手続きを完了するまではおとなしくしてるはずだ。
 もしかしたら、高校生くんのセックス実況問題が顕在化する前に、俺が火消ししたってことか?
 ちょっと面白いな。妙な高揚感を覚えつつ、作業者とモンテズマに礼を言った。

 そんなこんなでひと通り作業を終えると、おもったより時間が経っている。寝ちゃったかもしれないと思いながら静かに階段を登り、そっと鉄の扉を開く。奥の部屋は灯りがついたまま、ヒーターとエアコンがフル回転だ。もわっと身体にまといつく暖気の壁を押し倒すように入って、カバンを静かに置く。
 ダメ元で服を脱ぎ、パンツいっちょで寝室に顔を出すと、仲良くならんだ女たちの尻が目に入った。案の定、ふたりともよく眠っている。腐れ縁の女は寝込みを襲っても文句を言わないし、むしろそういう夜這いプレイを好んでいたりもするが、いくらなんでもこの状況では思いとどまったほうが無難だ。
 それに、自分自身もすっかり疲れ切っている。普段ならガチガチになるだろう光景を目の当たりにしても、股間のイチモツはなぜかしおれたままだった。さっきまでの高揚感はきれいに失せ、むしろ不安に近いなにかを手のひらに感じる。単なる疲労と思いたいが、勃起を妨げているのは別のなにか、曖昧で嫌な予感だった。
 仕方ないので、せめて添い寝でもしようかと猫っぽい娘の脇に手をついたら、ひやりと湿った感触が伝わる。ふたりとも妙に端へよっていると思ったが、つまりはそういうことだった。
 どちらの愛液か潮かわからないが、かなり激しいプレイだったのは間違いない。ちぇ、参加できなくてもライブでみたかった。カメラを仕込むならこっちだったか……。
 ともあれ、終わった祭りを悔やむほど虚しいものはなかった。気持ちを切り替えるためになにかするか、いやしないほうがよい。こういうときは寝るに限るのだ。エアコンの暖房はそのままヒーターを切ると加湿器を入れ、ふたりにそっと毛布をかける。俺はスウェットに着替え、布団をかぶって横になった。
 ふたりに起きた気配はなく、自分もすぐに眠ってしまう。

 耳元でなにかごそごそする。猫っぽい娘の気配を感じたが、起きる気になれない。
 猫っぽい娘が帰るときは、いつもこんな感じだった。明け方の、俺が眠ってる間にひっそり帰る。なれるまではさみしさを覚えることもあったが、わかってしまえばどうということもなかった。

 次に目を覚ました時、目に入ったのはシャツを羽織った腐れ縁の女ひとりだった。猫っぽい娘の姿は見当たらず、ほんのちょっと前に帰ったと言う。聞くと、腐れ縁の女が起きた時には、すでに帰り支度を終えるところだったそうだ。そのまま挨拶もそこそこに、眠っている俺もほったらかして夜明け前の街へ出ていったので、腐れ縁の女はかなり気に病んでいる。

 寝ぼけまなこのかたすみに、ふわりと黒い旗がひらめいた。

 その意味を考える間もなく、いつもそんな調子だから気にしなくていいと、だいたい始発で帰ってるから大丈夫と、俺の口が勝手に言葉を吐き出している。気がつけば「ちょくちょく泊まってたんだ……」と、腐れ縁の女はますますしょげかえっていた。
 その時、黒い旗を高々と掲げる高校生くんが、視界のはじでにやりと笑う。
 ようやく自分のしでかしを理解したが、もちろん後の祭りだった。幸い、腐れ縁の女だと先のことも想像はつくというか、すくなくともこれが初めてではない。まずは、この場のよどんだ空気を入れ替え、俺も含め思考をリセットすることだ。
「思い当たるフシはあるの? 攻めすぎてプレイ崩壊?」
「えぇ~! いやいやいやいや、それはないわ~あの逝きっぷりだったから、それだけはない」
 全力で否定する腐れ縁の女に気圧され、思わず後ずさりしてしまう。踏んだシーツはまだ濡れていた。
「とりあえず洗濯して、なんか食べようか?」
「そ、そうね……」
 シーツをまとめる俺をバツ悪そうに見守る腐れ縁の女に「ホットサンドはどう? チーズしかないけど」と声をかける。
「ありがとう、でもさ、なんかね」
「気にしないで、俺も腹減ってるし」
 あいまいな笑顔でたたずむ腐れ縁の女に微笑みを返すと、濡れたシーツを洗濯機へ入れて蓋を閉めた。とりあえず、シーツだけでも先に洗って干そうとスイッチオン、洗剤に柔軟剤、漂白剤を投入し、次は食事の支度。ただ、昨夜はふたりとも逝き疲れて寝落ちしたらしいので、用意してる間にシャワーを浴びてもらった。よく考えれば、猫っぽい娘は盛大に逝きまくった挙句、身体も拭かずに帰っているんだな。気にしても仕方のないことだが、猫っぽい娘はともかく高校生くんがどこかに引っかかってしまうのは、まだ止めようがなかった。
 もやもやを振り払えないまま、とりあえずパンとマーガリン、シュレッドチーズ、そして水耕栽培の菜っ葉をテーブルに並べる。まずは全部のパンにマーガリンをなすりつけると、ホットサンドメーカーに塗った側が外になるようセットし、目分量でチーズをふりかけた。同じようにマーガリンを塗ったパンをセットして挟むと、火加減を調節してコンロにかける。パンを焼く間に水耕栽培の菜っ葉をかるくゆすぎ、ざっくりちぎるとザルで水切りした。そしてヤカンに水を入れ、インスタントコーヒーを準備する。
 そうこうしていると、腐れ縁の女が浴室からでてきた。スウェットに着替えるタイミングを合わせて焼き上げたホットサンドを食べやすく切り、菜っ葉を添えて皿によそう。広げた簡易座卓にコーヒーと皿をならべ、先に食べ始めてもらった。
 自分が食べる分をさっと焼き上げ、頭にタオルを巻き付けた女の前に座る。マーガリンのコクと外側のカリッとした食感が、安物のシュレッドチーズでも豊かな旨味を感じさせてくれた。添えた菜っ葉もホットサンドのやや濃厚すぎる味わいをほどよくやわらげて、思いのほか調和している。最近になってフリルなんとかだか、なんちゃらリーフとかの水耕栽培野菜が出回っていて、便利に使っていた。ただ、なかにはきゅうりの絞り汁を染み込ませたキッチンペーパーのようなものもあるので、当たりハズレのリスクはそれなりに大きい。
 そんなことを考えながらもそもそ食べていると、先に食べ終えた女が聞くとはなしに昨夜の出来事を話し始めた。腐れ縁の女によると、休憩後に女性ライターがフェミニズム映画批評を激しく攻撃したところ、猫っぽい娘は大喜びで合いの手を入れはじめたらしい。しまいにはステージに呼ばれ、ゲイアーティストまで置き去りのフェミニスト攻撃を始めちゃったということで、実はフェミニズムに傾倒していた腐れ縁の女はすっかりしょげてしまっていた。ただ、ゲイアーティストもその展開は本意でなかったらしく、休憩時間に客席へおりたっきりステージには戻らず、おかげで腐れ縁の女は同じ卓を囲んで話もできたのだから、悪いことばかりというわけでもない。
 まぁ、イベントのお題は最近のクイア映画で、アオリにも「クイア映画批評を斬る」って書いてあるのだから、女性ライターの暴走もあながち的外れと言いにくいところがまた厄介ではあった。もし、俺が拾った断片的なトークに近い内容だったなら、あのイベントとしては目くじらを立てるようなものではないのだろう。とはいえ、腐れ縁の女が複雑な思いを抱えてしまうのも、それはそれでわからなくはなかった。

 結局、俺は非常によいタイミングで会場入りしたと、そういうことなのだろうか?
 もし猫っぽい娘もこの場にいたら、どのような言葉がかわされていたろうか?
 腐れ縁の女と猫っぽい娘の相性が精神的にもよかったら……。

 皿へ溶け落ちて固まったチーズのしずくをつつきながら、窓をくもらせる寒々しい朝の空気をみつめる。そんな空想も、虚しいばかりだ。ふたりの仲がどうであろうと、俺のしでかしは自分が抱きしめるしかない。高校生くんの穴を、猫っぽい娘が埋めることはないし、期待してもならない。
 そのうえ、腐れ縁の女は猫っぽい娘の素振りから何かを感じていたようで、駅まで歩きながら「あの娘はどこか別世界、手の届かないところへ行っちゃった」とか、しまいには「もう逢えないかもしれない」とまで言い出したのには少なからず驚いた。
 心配するのはそっちじゃないと口に出せないもどかしさを、どうにかこうにか押さえ込む。しかし、ほどなくして俺は思い知ることとなった。
 やはり、あの夜が後戻りできない分かれ道となっていたことを。


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