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拷問人の息子 El hijo del torturador 第1章「手違い」

釣った魚は逃げていた

 暗い部屋へ入り扉を閉めると、黄色いローブの少女は密かな笑みをこぼす。
「手間はかかったが、厄介事は終わった。明日にはこの街ともおさらばできるな」
 女司祭(サセルドーティサ)の装束を脱ぎ、ていねいにたたみながら、ほっそりした少女はその外見と不釣り合いに物騒な独り言をこぼす。そして、神妙な面持ちでくすんだ黄色の装束から金バッジ付きのリボンを外しつつ、また思いにふける。
 少女司祭が手にするのは治安憲兵(グアルディア・シビル)の機械化異端審問官(ラ・インキシドーラ・メカニサダ)の階級章だった。彼女の名はメルガール、階級は少佐(コマンダンテ)である。
 異端審問院より憲兵付きを拝命してからは、こうしてゆっくりする間もないほど、あれやこれやでなにかと忙しくなったといえ、将校宿舎の広さは正直ありがたかった。審問院の窮屈な小部屋とは比べ物にならない、こんな辺境の街ですらホテルよりゆったりとした部屋が割り当てられるのだから、憲兵になりたがるものが少なくないのも、まぁわからなくはない。
 浴室に入って下着も脱ぎ去り、裸身となったメルガールは、空の浴槽に手をかけてため息をつく。
「従卒を帰したのは失敗だったな」
 司祭であるメルガールは奇跡術を操るので、その気になれば浴槽を湯で満たすことなど造作も無い。ただし、奇跡術とは『自分以外のだれかに請われて、その願いを叶える術』であるため、通常は願訴人(ケレランテ)と呼ばれる者と組んで儀式を行う。この場合は従卒に願訴人を務めさせ、メルガールが術を行使するのが基本だった。
 ただ、非常に高度な能力を持つ術師であれば、自らが願訴人と術師のふた役をひとりでこなすことも不可能ではない。
 例えば鏡を使うなどして、あたかも願訴人が存在するかのように装うのだ。
 浴室の鏡をみやりながら、メルガールは「ちょっと小さいな」とこぼした。
 そのまま鏡に写った自らの裸身、その薄い胸と小さな尻、たよりなげな細い腕をしげしげとながめつつ、この身体へ転生してからの日々を思い返す。
 かつて、異端審問官としての任務中に致命傷を負ったメルガールは、非神子と呼ばれる少女へ転生していた。非神子は極めて高度な奇跡能力を有しながら、けして老いることのない人造人間であり、さらには食事も睡眠も排泄も不要だった。そればかりか新陳代謝にともなう発汗や皮脂などの汚れもないため、入浴も着替えも泥やホコリにまみれたときぐらいだ。ただ、メルガールをはじめとする非神子の多くは転生前の習慣を保つために食事を取り、食べたものがそのまま出てくる排泄をし、入浴もしていたのである。
「まぁ、なしならなしでもよいか」
 ひとりごちて寝間着へ着替えたとき、火急の要件ありと、扉を叩く音がした。
 こんな夜になにごとかと、いぶかしみながらドアを開ける。
 従卒が「憲兵詰所から電話です。要件は、司祭服の狂人がメルガール『司祭』を呼べと暴れているため、いちおう照会されたしとのことです」と、申し訳無さそうに告げた。
「なんてこった! 厄介者は最後まで面倒かけやがる!」
 メルガールは頭を抱え、従卒から「いかがいたしますか?」と問いかけられても「いまから引き取りに向かうと返答してください」と言い捨てるばかりだった。そして、そそくさと脱いだばかりの司祭服を身に着け始める。

憲兵詰所で書類不備

 真夜中と言うのに、憲兵詰所はどことなく浮ついた、あたかも闘山羊場(ラ・プラサ・デ・カブラ)めいた空気が漂っていた。
「女司祭様(セニョーラ・サセルドーティサ)、なんの御用か存じ上げませんが、どうか昼間においでください。そもそも、ここはあなたのようなお方がおいでになるところではございませんよ」
 胸元を大きくくつろげ、三角帽をあみだにかぶった当番の兵長(カボ・プリメロ)が、居住まいを正しつつ申し訳なさそうに言う。すると、黄色いローブを目深にかぶった小柄な人影は、懐から金バッジ付きのリボンと書類を取り出した。
「兵長、私は機械化異端審問官のメルガール少佐です。令状に基づき、迷えるものを移送します」
 あわてて立ち上がり敬礼する兵長へ、にこやかに答礼したメルガール少佐は「護送車の手配はどこで?」とたずねる。
 すると、兵長は心底から申し訳なさそうに「こちらの一般令状ですと、業務が始まってから手配することになります」と答え、続けて「本部へ電話して緊急要請に切り替えますか?」と聞き返した。
 なにか考えるような沈黙の後、メルガール少佐は「いや、それには及ばない。朝一番に審問官を送るから、それまでに準備したまえ」と、静かに告げた。そして、了解と答える兵長に、メルガール少佐は「可能なら面会したい」とかぶせる。
 だが、兵長は再び申し訳なさそうに「どうしてもご希望とあればご案内しますが、お勧めはしません」と、うつむき加減に答えた。
「取り調べ中か?」
「はい、それも特別に強化された尋問の最中です。山羊のように暴れたので」
 メルガール少佐は「あまりおもちゃにするなと、取調官に伝えてくれ」とだけ言い、後はよろしくと出口へ向かう。
「お待ちください! 少佐!」
 呼び止められたメルガール少佐は、兵長の前に戻る。
 ガタついた天板へくっつかんばかりに身をかがめて令状の一角を示す兵長から「この移送先は未登録なのですが、身元照会は可能でしょうか?」と問われた。
 ひどく蒸し暑い夜、たまたま当直だったというだけで厄介事に巻き込まれてしまった兵長に、同情とも憐れみともつかない感情を覚えつつ、メルガール少佐は「そこには帝国管区の筆頭拷問人(エル・トルトゥラドール・スプレモ=デ・ディストリト・デ・インペリオ)と書いてあるだろう。移送先登録も身元確認も不要のはずだが?」と、つとめて冷静に返す。
「管区筆頭拷問人?」
「そうだ。審問所の拷問人だよ。襲名の際にはヒメネス枢機卿も立ち会われている」
 そろそろめんどくさくなってきたはずの兵長を完全に押し切ろうと、メルガール少佐は異端審問官の権威を漂わせつつ、ほんの少しフードをあげて相手の目を見た。透き通った白い肌と井戸の底のように黒い瞳の対比は、まなざしの力強さを際立たせ、すでに力を失いつつあった兵長の官僚的な防御を突破する。
「寺院の位階はわかりませんが、それだと最低でも大佐(コロネル)、もしかしたら将官(ヘネラル)に相当するかもしれませんね」
 わが意を得たりとほほ笑みながら、メルガール少佐は「そういうことだ。後は、うまく書類を作ってくれ」と言い置いて、再び出口へ向かった。
「少佐! 大佐ですか? 将官ですか?」
「もちろんヘネラールだ」
 振り返りもせず兵長へ応えると、メルガール少佐は夜の闇へ溶けて行った。

第2章

拷問人の息子 El hijo del torturador 第2章「紫煙」を読む

名称など表記一覧

女司祭
サセルドーティサ
Sacerdotisa

治安憲兵
グアルディア・シビル
Guardia Civil

機械化異端審問官
ラ・インキシドーラ・メカニサダ
La Inquisidora mecanizada

少佐
コマンダンテ
Comandante

願訴人
ケレランテ
Querelante

闘山羊場
ラ・プラサ・デ・カブラ
La plaza de Cabra

兵長
カボ・プリメロ
Cabo Primero

帝国管区筆頭拷問人
エル・トルトゥラドール・スプレモ=デ・ディストリト・デ・インペリオ
El torturador supremo de Distrito de imperio

大佐
コロネッロ
Coronel

将官
Generalヘネラル

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